現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

15年ぶりに元同僚に再会

2009-03-16 22:01:44 | 虚無僧日記
名古屋駅のコンコースを虚無僧の恰好で歩いていたら、
「牧原さん!」と、後ろから呼び止められた。振り向く
と、なつかしい千代田の同僚、浜崎くん。彼もすっかり
頭がグレーになったが、バシッとスーツを決めて、立派
な風格。聞けば、〇〇商会の監査役をしているとのこと。
有名な会社だ。千代田生命が潰れて、40歳以上は全員
解雇となったが、結構みな然るべき会社の幹部クラスに
おさまっている。さすがだ。でもこの歳になってまだ
“宮仕え”とはお気の毒とも思う。

天正の昔、武州忍城が陥落して、浪人となった二人。
方や新田を開墾して豪農となった吉野織部之助と、
虚無僧になった月山養風が青梅で再会したような
めぐり合わせだった。

これから、ますます倒産が増え、失業した人は大変な
ことだろう。みな虚無僧になればいいのに。

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ボーナス4,000万円!?

2009-03-16 21:27:31 | 社会問題
AIG巨額ボーナス、「言語道断」とサマーズ議長(読売新聞) - goo ニュース

経営破たんで巨額の経済支援を受けているAIGが、
幹部社員400人に総額162億円ものボーナスを支給。
個人の最高額はなんと6億円。平均でも一人4,000万円。
非難ごうごう。当然だ。

私の勤めていた千代田生命は、10年前経営破綻し、AIGに
買収された。その時40歳以上は全員解雇となった。私的には
「会社が倒産したので」と言っているが、どっこい会社は生きて
いた。AIGスター生命として継続しているのだ。
それも一躍「スリーA(AAA)の優良企業です」に変身して、
外貨建てで外債などへ投資する保険を販売し、順調に業績を
伸ばしてきた。それが1一転、もうAIGから他社へ身売りだ。
生々流転、行く河の流れは早くして、あぁ無常の世か。

AIG傘下のスター生命やアメリカンホームから、たびたび
保険の加入お勧めの案内が送られてくる。“安心を売る”のが
生命保険会社だったのに。働いている人たちも不安なことだろう。


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五木寛之 『親鸞』

2009-03-16 20:43:19 | 五木寛之
3/15 中日新聞 五木寛之『親鸞』
「叡山では学生(がくしょう)たちが、夜を徹して議論する
のも珍しくない。両手をポンと叩いて、さて右手が鳴った
のか左手が鳴ったのか。そんなことを議論することは空しい。
仏陀とは覚者のことであり、無明の闇の中で光を受け、その
光を反射してみずから光を放つ存在が仏陀だ」

そして3/16 の『親鸞』
範宴(後の親鸞) は、もう比叡山には帰らず、吉水の法然の
もとに日参して法話を聞く。「夜は鴨川の橋の下で寝る。
周囲には骨が散らばっている。衣はすでにぼろぼろ、汗と垢
にまみれ異臭を放っている。これこそ糞掃衣(ふんぞうえ) だ」。

吉川英治の『親鸞』では、事前に法然に面会を求める書状を
送り、特別待遇で迎えられている。ま、昨日のTVドラマ城山
三郎の広田弘毅同様、小説家によって創られた親鸞だ。事実
はどちらかわからんが、五木寛之の親鸞はリアリティがある。

大徳寺の開祖大灯国師は、20年 鴨の河原で乞食(こつじき)行を
して、帝に見出された。親鸞もそのくらいの覚悟と行を積まな
ければ、ただの人だったろう。

ところで、私も一昨年京都に行き、鴨の河原で野宿しようと
したが、ホームレスが一人もいない。清水寺や金戒光明寺では
警備員に咎められた。先日、金戒光明寺で休んでいた人が警察に
突き出された。捕えてみれば仏像盗みの常習犯だったとか。

京都は、ホームレスには厳しい町だ。条例で締め出している
ようだ。寺はそういう人を救う場ではないのか? 四国はどこも
野宿自由。虚無僧には優しい町だった。

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青山俊董尼

2009-03-16 19:25:01 | 虚無僧日記
青山俊董(あおやましゅんどう) 尼。愛知県一宮出身、
曹洞宗の尼僧。
もう10年以上前、青山俊董尼の姪という人に出会った。
「子供の頃 俊董尼の寺に預けられ、厳しくしつけられた」と
話していたので、俊董尼のことを知った。最近各地で講演
を行なっており、よく目にする。

3/14 中日新聞に 『法句経との出会い』 として寄稿している。
「観るなかれ、他人のこれを作(な)し、彼の作さざるを観る
なかれ。ただ己れの何を作し、何を作さざりしを想うべし」
15歳で理想に燃えて出家得度し、修行道場に入った私は、
十日も経たないうちに批判の鬼になっていた。完全な人間など
ありはしない。欠点を持ち合わせた人間同士、条件次第では
鬼も仏も出す。大切なことは、目をそむけたいような渦巻く
泥を、どう肥料と転じて花を咲かせるか、それを学ぶのが
仏法」と。

津本願寺の荒井眞道さんも、同じことを言っていた。「出家
してみたが、僧侶の世界も俗世間と同じ。出世欲に汲々とし、
権力争いや嫉妬が渦巻くいやな世界。その中で自分はどう
生きるかだ」と。

「朝起会」の活動については、ネットで誹謗中傷が横行して
いる。私もややもすると批判する心が出る。倫理を学んで
いても完全無欠な人たちばかりではない。いろいろな人が
いて、いろいろ湧き出ることがあって、その中で倫理的な
処し方を実践して学ぶ場所なのだ。『法句経』の一語、深く
心に留めおこう。

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アクセス数 582件

2009-03-16 09:42:58 | ブログ
アクセスip 数 582件で 657位になった。
gooブログ 120 万件中の 657位である。
「どどど、どうしたのだ!? なんか悪いこと
書いたか? 」

念願の 500 番以内にあと一息だが、最近
ブログ炎上なんて問題になっている。少々
怖くなってきた。言動に責任を持たねば。

今日も見ていただいている方、ありがとうございます。



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法隆寺非再建説の勝利

2009-03-16 09:42:12 | 虚無僧日記
3/15 NHKスペシャル「法隆寺再建の謎」を見る。
金堂の一部修理のため、釈迦三尊像を移動し、
天蓋、天井の調査を行なった結果、新事実が
発見されたとのこと。

法隆寺は680年に消失したという記録がある。
ところが、金銅の本尊釈迦三尊像には火事で
罹災した跡がない。現存する法隆寺は、680年
の焼失以降に再建されたのか、「焼失した」と
いう記録が誤りなのか、長年論争されていた。

昭和43年、慶応文学部史学科の私の恩師浅子
教授は、「芯柱の年輪の年代測定の結果、現存の
法隆寺は680年火災以前に建てられたものである」
と断定していた。

ところがその後、現法隆寺の南西から「若草伽藍跡」が
発見され、焼け跡の痕跡も出た。そこで、現法隆寺は
「680年焼失後の再建である」ということが定説となり、
浅子説は否定された。

しかし私は浅子教授の「芯柱の年輪測定」の事が
ずっと気になっていた。今回、天井裏から木の皮の
ついたままの木材が発見され、その年輪幅の測定から
伐採年が678年。つまり火災のあった680年以前と出た。
すなわち、浅子教授と同じ測定結果が出たのだ。

そして青山大学の浅田教授は「現法隆寺は、若草
伽藍が焼失して後再建されたのではなく、若草伽藍と
同時に既に建てられていた。680年、若草伽藍の方は
火事で焼失したが、現法隆寺は少し離れた所に建て
られていたため、罹災を免れた」と結論づけた。

なるほど、二つが同時に存在していたということに、
なぜ考えが及ばなかったのだろう。浅子教授は先年
亡くなられた。氏の年代測定の正しさが改めて認め
られたのだが、推論に誤りがあった。惜しまれる。

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