現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

名大の合格発表

2009-03-09 11:12:34 | 虚無僧日記
1日経ったから、こんなに冷静に書いているが、
「一珍くん」が名古屋大学医学部に入るまで、
彼が3歳の時から見ているだけに、この半年、
1カ月、1週間の緊張を思うと、他人事ではなく
私もハラハラドキドキ。合格発表で彼の受験番号
を見つけた時は、涙が出そうになった。私の隣に、
黒い帽子を目深に被った小柄なおばあさんが、もみ
くちゃにされながら、目頭にハンカチを当てていた。
お孫さんの代わりに見にきたのだ。「有りましたか?」
と尋ねると、うれしそうに笑顔でうなづく。「良かった
ですね」と云いたかったが、お互い声にならない。
私はそのおばあさんの肩を抱いて喜びをかみしめあった。
ここまで来るのに家族で、さまざまな思いがあった
ことだろう。もらい泣きしていた。

説明会場で知人のNさんに会った。子供さんが慶応と
名大両方受かったと。Mさんも慶応と名大両方合格。
なんで、みんなそうやすやすと受かるの?
「自分の子供じゃないみたいだ」と、親は一様に言う。
ほんとに名大にはいるような子は、ものすごい能力だ。
試験問題を見てみたがチンプンカプン、一問も解けない。
問題の意味すら解らなかったのだ。

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名大医学部合格

2009-03-09 10:17:09 | 虚無僧日記
昨日3/8 名古屋大学の合格発表。私のマネージャー
鈴花にくっついて、発表を見に行った。私のH.P.を
作ってくれている天才お坊ちゃま「一珍くん」は別行動。
今は、インターネットでも見れるので、それを見て、
合格した人だけが、手続きに行けばいいのだという。

そのせいか、4・5千人も受けた割には来場者は少ない。
発表と同時に、あちこちで「あった、あった」のささやき声。
受験生は意外ともの静か。みんなもっとはしゃぐかと
思いきや、落ちた仲間を気遣っているのか、皆冷静だ。

それを在校生が、太鼓や踊りのパホーマンで盛り上げる。
毎年新聞に載る胴上げシーンも、在校生がやってくれて
いる演出なのだとわかった。

さて、「入学説明会」が、学生と父兄別々に、各教室で
行なわれるとのことで、ついでにのぞいてきた。生協主催で、
パソコン、教科書の買い方、種々の共済制度の説明だったが、
在校生がプレゼンを行なっているのだ。それが皆すばらしく
上手い。「今時の学生は」とよく思うが、さすが名大生。
社会に出てもトップセールスになれるほどの見事なプレゼン
ぶりに感心した。

大学にはいったら少しは遊べるかと思ったら大間違い。もう
春休みのうちから、大学指定のパソコンの使い方の講習を
受けて、レポートの作り方、プレゼンの仕方を習熟しておか
ないと、授業には付いていけないと。合格までの猛勉強が
これで終わるのかと思ったら、大学にはいってから もっと
勉強するのか と驚きであった。

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チェン・カイコー その3

2009-03-09 07:28:37 | 虚無僧日記
昨日3/8 アクセスip数 492人で イッキに 875位で
目をぱちくり。「甲冑を着けたDJ徳川家康」で若者の
アクセスが多かったのか、中国映画の陳凱歌か。はて?
そこで陳凱歌の作品をもうひとつ。

『人生は琴の糸のように』(1991)

盲目の琴弾きの話。日本なら琵琶法師。
彼は師匠の遺言「千本の弦が切れた時、琴の秘密の
扉が開いて、そこに隠された処方箋を取り出せば、
世間が見えるようになる」という言葉を信じて、ひたすら
琴の練習に打ち込む。

ひたすら弾き続けて 995本まで来た時、彼は、人々
から「神様」と崇め奉られるまでになっていた。その
琴の調べは、人々の闘争心をいさめ、心を癒すほどの
力があった。 

若い弟子を連れて旅を続ける彼だが、最後に赴いた
村で、その弟子が村の娘と恋に落ちる。
「女よりも琴だ。琴はけっして裏切らない」と諭すが、
弟子は「師匠は僕が羨ましいんだっ!」と言い放つ。
心乱れる彼。あと1000本まで2本。「琴は裏切らない、
処方箋さえ手にすれば、目が開き世界が見えるのだ」。
 
しかし、1000本目の弦が切れた時、・・・やはり目は
開かなかった。絶望する彼。自分の人生は何だったのか
と。「神様なんかじゃない、ただの盲人だ」と自嘲する
彼に食堂の亭主が言う。「あなたのこれまでの人生は
幸せでしたよ」と。
 
そうだ。千本の弦を切るまでに、喜びの場で、哀しみの
場で、争いの場で、街中で、村の広場で、川縁で山頂で、
彼は魂をこめて琴を弾き続けてきたのだ。確かに自分の
人生を生きたのだ。
 
この映画を見終わって、しばし呆然。陳凱歌という人
すごすぎる。私の尺八には人々の心を癒し、争い事を
鎮める力があるだろうか。尺八をもって「神にも仏にも
なり得る、なりたい」と念じての虚無僧修行だが、その
先にあるのはもう見えている。

『覇王別姫』も、ひたすら京劇に打ち込み、それを誇り
としてきた人生が、国家によって民衆によって妻にも
否定され、絶望の極地で自殺する。ひとつのことに生涯を
かけた上での絶望感。今の私の心だ。

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