日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

掃除をしながら、MOTTAINAIを考える

2009-05-05 17:00:00 | ビジネス
GW中、何処にも出かける予定が無い。
というよりも、GW明けにガス屋さんが30年前に設置した小型ガス湯沸し器(=瞬間ガス湯沸し器)を撤去にやって来るため、片付け・掃除に明け暮れている。
というのも、年末の大掃除をサボってしまったからだ。

床などは、古新聞を濡らし細かく千切って、床に撒き、箒で掃き、水拭きという「昭和の掃除」。
もちろん水拭きで使う雑巾は、捨てる予定だったTシャツやタオルで作った雑巾だ(私の場合、エコではない)。
亡くなった母が、私が子どもの頃に手伝いをさせながら、私に覚えさせた家事のやり方だ。
「掃除機でやってしまえば・・・」と言われると思うのだが、フローリングなどの床はこの方法のほうがきれいになるのだ。

水拭き→カラ拭きの後は、ワックスがけということになるのだが・・・久々にワックスをかけたら、その匂いの凄さに閉口した。
もちろんワックスがけの後はカラ拭きをするのだが、とにかく窓を開けていても部屋中にワックスの匂いが充満してしまった。
数年前から問題になっている、「化学物質によるアレルギー」の心配までしてしまったほどだ。
そこでフッと思い出したのが「米ぬかで」だった。
昔から「米ぬか」をワックスの代わりとして使っていたコト、を思い出したのだ。
もう一歩進んで考えると、「ワックスがけが面倒」という人が多いことを考えると「米ぬかワックスシート」のような商品があると、おそらく市場が生まれるのでは?と思ったのだ。

というのも、現在大手メーカーが販売している「モップ用ワックスシート」は、「埃を立てず、静かに、手早く掃除をする」という点で、子どもや介護をしている家庭での需要が高いからだ。
とすれば、その原材料は「人に優しいモノなのか?」という点が気になったのだ。
その点「米ぬか」を原材料とする「米ぬかワックス」であれば、安心・安全度も高いはずだと考えたからだ。
何よりも現在「米ぬか」のほとんどは、産業廃棄物として処理されている。
産業廃棄物として処分されるのなら、他の製品にすることで利益としたほうが良いのでは?と思ったのだ。

早速調べて見ると、服部製紙という会社がsunekというブランドで、販売していることがわかった。
ただ、いわゆる「モップ用ペーパーシート」なのかが、よくわからない。
いずれにしても、現在この1社だけだとすれば「米ぬか」を産業廃棄物として処理している現場としては、利用できるチャンスが生まれるはずだ。
競合する企業が登場することで、その市場は拡大するコトができるのだ。

そして、このような商品こそ「ブランド米化していない米どころ」の地域で、開発をして欲しいと思っている。
このような商品をきっかけに、お米そのものも都市部で直接販売できるようなルート開拓ができると考えるからだ。
その結果、「第6次産業+α」が生まれれば、地方経済の活性化にも繋がるのではないだろうか?

恵みのお米だからこそ、MOTTAINAI精神でトコトン利用し、自然に帰す提案する時代がきていると思うのだ。





子どもは遊びの天才だった?

2009-05-05 09:56:13 | ライフスタイル
今日は「子どもの日」。
私にとっての「子どもの日」というのは、(浜松で育ったため)「浜松祭り」だった。
昼間の勇ましい「凧揚げ」よりも、夜の「御殿屋台の引き回し」を見に行った記憶がある。
元々「男の子のお祭り」というコトもあり、勇まし過ぎて1、2回見に行ったという程度だ。
当時は、凧や御殿屋台を持っている町内会も少なく、私が住んでいた町内になかったため、参加ではなく見に行くだけだったということや、女性が参加していなかったというコトもある。

大人になった今は、「ゆっくり休む日」となってしまったのが悲しい・・・。
そんな思いで新聞のWEBサイトをチェックしていたら、毎日新聞に
遊びの風景という、写真集がUpされている。
これらの写真を見ると、懐かしさと共に時代の変化を感じてしまう。
掲載されている写真の多くは、東京周辺で撮影されたモノのようで、写真が撮影された当時としては、比較的豊かさを感じるモノも幾つもある。
それでも、子どもたちの表情はどんな時でも豊かで楽しそうだ。
遊び道具がなくても、遊び道具を見つけて作ってしまう「創造性と発想力」がある。
戦況が厳しくなっていく中でも、荷台を遊び道具として使ってしまう、という逞しさもある。
その遊びのネーミングも、シニカルさを感じさせる。

そして、その背景となる「町並み」も時代の変化を象徴しているように、大きく変化していることがわかる。
「稲を刈った後の田んぼで野球に興じる子どもたち」などは、今となっては見られない光景だろう。
他にも路地裏でめんこ遊びをしたり、おままごとをする光景なども、既に消え去った子どもたちの遊びの風景だと思う。

そんな風景が一変する写真が1枚ある。
子どもの遊びが、変わった写真でもある。
それが、1977年8月に撮影された「ファミコンに興じる子どもたち」の写真だ。
といっても、百貨店の売り場でファミコンに興じる子どもたちの姿なのだが、この写真以降、「遊びを創る」から「与えられた遊びをする」という光景へと変わっていく。
同時に「外・路地裏」から「家の中」へと遊び場が変わっていくのだ。
「外」と言っても、ビル(マンション)に囲まれた公園の遊具へとなっていくのだ。

そんな写真を見て、ハタと考えてしまった。
日本人の創造性・想像力・発想力が低下しているのではないか?と。
子どもの「遊びの天才力」を、私たち大人の都合とエゴで奪ってしまっているのでは?と。

やはり「子どもは遊びの天才」であって欲しい・・・と、願う「子どもの日」だ。