日々是マーケティング

女性マーケターから見た日々の出来事

一体いつ決まったの?エコポイント

2009-05-15 22:17:44 | ビジネス
今日から、「エコポイント制」が始まった。
早速、鳩山総務大臣は都内の電気店で32型薄型テレビをご購入されたようだ(紹介記事は朝日新聞)。
このような、政府主導の生活者向け景気対策や経済政策が実施されると、決まって関係大臣がこのようなパフォーマンス購入をする。
おそらく、テレビのニュースなどで見ている人たちは、「また(普段やらないコトを、選挙向けにパフォーマンス)やっている」程度にしか感じていないのではないだろうか?
実際、鳩山さんのように「じゃ、これ」と言って、お財布から現金がサッと出て購入できる家庭は、余り多くないのではないだろうか?
むしろ、休日などに量販店に家族で出向き、イロイロ見ながら店員さんの説明を聞き、パンフレットを持ち帰り、とりあえず検討、夏のボーナスで購入、という家庭の方が多いのではないだろうか?
もしかしたら、ネットで価格のチェックをし、製品レビューなども参考にしながら、家族で相談という家庭もあるかも知れない。

ところで、この「エコポイント」だが、一体いつ国会で決まったのだろうか?
この話が出て1ヶ月程度で施行されたような印象があるのだが・・・。
私が、余り興味を持っていなかったので、知らなかっただけなのかも知れないのだが、それにしても「景気対策+CO2削減策(本当に?)」として、議題に上がってから(本当に議題に上がったのかもわからない印象なのだが)、そんなに時間が経っていないような気がするのだ。

多くの家電量販店が実施している、「10%ポイント還元」のような内容ということや、メディアで取り上げられる対象製品の筆頭に挙げられるのが「地デジ対応テレビ」だったこともアリ、個人的には「まるで、地デジ対応薄型テレビ促進策」のように感じている。
そこへ「地デジ推進」の鳩山さんが、薄型テレビの現金一括購入というパフォーマンスを見ると、「CO2削減」ではなく、「地デジ対応テレビ販促企画(政府版)」という気がしてくるのだ。

もう一つ気になるのは、この家電量販店的「ポイント還元政策」で使われるお金だ。
このお金の出何処は、税金だ。
大盤振る舞いの「定額給付金」に続く大盤振る舞いなのだが、国の借金が増えつづけているというのに、そんなお金は一体何処から出てくるのだろう?
それこそ「霞ヶ関埋蔵金」から出てくるのか?
そんなことを考えると、あえて政府が家電量販店のようなコトをする必要があるのか?と、思ってしまうのだ。
確かにこの「ポイント還元政策」で、事業収益が赤字に転落した家電メーカーの売上は、少しは良くなるかも知れない。
だからと言って、景気対策にもCO2削減にも結びつかないように思うのだ。

本当にいつ、決まったのだろうか?


発想に障害はない

2009-05-15 14:20:05 | ビジネス
昨日毎日新聞のWEBサイトに、障害者のアイデアが次々商品化されているという記事が掲載されていた。

以前、北欧のプロダクトデザイン会社の方の講演を聞いたことがある。
その会社は、リウマチなどを患った方や体に障害のある方を対象にした、デザインを手がけている会社だ。
その方のお話の中で印象的だったことがある。
それは「障害者が使いやすいデザインは、健常者にとっても使いやすいデザイン」というコトだ。
「ユニバーサルデザイン」というコトバが一般化し始めた頃で、「ユニバーサルデザイン」というのは、「障害者のためのデザイン」ではなく「誰もが使いやすいデザイン」というコトなんだ、というコトを教えてもらったのだった。

最近ではすっかり聞かれなくなった感のある「ユニバーサルデザイン」というコトバだが、それだけ「みんなが使いやすいデザイン」が当たり前になってきたのかも知れない。
しかし、それでも様々なハンディのある人たちとっては、使い勝手の悪いモノ・コトというのはまだまだ多いのではないだろうか?
例えば、ハンディのある人ではないが妊婦さんや赤ちゃん連れのお母さんなどが使いやすいモノ・コトというのはそうではない人にとっても、使いやすいだろう。
急速に進行しつつある高齢化社会というコトを考えれば、高齢者にとって使いやすいモノ・コトも同じなのではないだろうか?

どうも私たちは「自分たちが当たり前(=標準・スタンダード)で、そうではない人たちのコトになると、注意を向けない」という傾向にある。
決して「色眼鏡」で見ているわけではないのだが、どこかで「自分と違う=イレギラー」という判断をしがちだ。
そのような発想の中では、「大量製品」と呼ばれるモノを作るのには便利だったし採算という視点では考えられなかったと思う。
ただ、これから先の社会状況などを考えると、自分たちでは限界のある発想をハンディのある人たちから得るというのも、一つの方法のような気がするのだ。
というのも「当たり前」と思っているコトが、「当たり前」ではないコトも数多くあるし、「こうなれば良いのに・・・」という見落としがちな問題点を指摘してくれるからだ。
その意味で「発想には障害はない」と思うし、「障害者ならではのアイディア」というコトもないと思うのだ。

多くの人が快適になるモノ・コト作りのために、ハンディのある人たちの社会参加・雇用も大いにあるのではないだろうか?