第三師団記念行事の重箱の隅をつついたので、今回は第三師団隷下にある信太山の第37普通科連隊記念行事について扱ってみたい。
■旧式?新型?
かつて、師団長最後の手札として、対戦車隊が有する16基の対戦車誘導弾は決戦兵力的な用途が期待されていた。これは同時発射で瞬時、一個戦車大隊に壊滅的な打撃を与える事が出来る為だ。
64式対戦車誘導弾、通称MATは日本が始めて実用化に至ったミサイルである。残念ながら旧式化は著しく、射程は1600メートルで、双眼鏡(Mk37と書いてあった)を介し、リモコンで誘導するものだが、弾頭炸薬量が少なく、飛翔速度も85m/sと限定的であるが、今も川崎重工においてミサイル本体の製造は継続されている。
ここで注目するべきは、発射母体に新型の73式小型トラックが使用されている点で、長距離移動の際の疲労低減が期待できる。目下、XATM-6として高機動車搭載の87式対戦車誘導弾後継ミサイルが開発中であるが、その配備開始まで、この新しい車輌に古い装備を搭載した対戦車装備の使用は継続される事だろう。
■個人装備の充実
第37普通科連隊は言うに及ばず、ゲリラコマンド対処を主眼として全国の普通科部隊ではきわめて早いペースで装備の近代化が進められている。
写真は訓練展示用に集積された個人装備の一群で、警衛の隊員に撮影の可否を尋ねた上で撮影した。
最も目に付くのは88式鉄帽に装着された新型の個人用暗視装置である。空挺団を筆頭に2002年頃から装備が開始されたもので、従来のV3暗視装置が複眼式であったのに対して単眼式で軽量なものになっている。微光増倍式暗視装置で、単眼式である場合、故障した場合や強力な光により使用不能となった際に暗視装置を利用していない目により戦闘が継続できる点である。価格や視野、重量、視認性能については残念ながら浅学にして資料を持ち合わせていたい為、またの機会としたい。
写真は普通科連隊の情報小隊で、訓練展示の際に第三飛行隊のUH-1H多用途ヘリコプターから降下した後敵情を探るべく展開する様子だ。
注目する点は、鉄帽、つまりヘルメットを装着せず、ブーニーハットと呼ばれる帽子を着用している点だ。これは2000年ごろから富士総合火力演習などで見られる様になったが、戦闘装着セットには含まれていないもので、多様化する状況に対して柔軟に対応するべく装備品の創意工夫が許されるようになったという事だろうか。
正規の装備品以外のものを私物というが、私物の着用が一部で非公認ながら実施されているようだ。これは米軍のイラク派遣部隊においてもみられるものだ。
写真は信太山駐屯地の売店であるが、LEN製陸自迷彩のプレートキャリアー(セラミックプレートを挿入する防弾器具で、プレートの強度によっては至近距離での30口径小銃弾を阻止する)や集約チョッキ(タクティカルベスト)、キャメルバック(背負い式水筒、チューブが口元に延びており戦闘動作を継続しつつ水分補給を受けられる)等が置かれていた。こうした装備と、そして財布の中身と相談して個人装備の近代化が進められるのだろう。何とか税金で補えるようにしたいが、装備発展は早く、対して予算は制限的である為、致し方ないというべきだろうか。
■駐屯地の特色
信太山駐屯地の特色はどのようなものだろうか、駐屯部隊や装備などは防衛ハンドブックや雑誌などで知る事が出来る為、駐屯地祭で知った少し変わった視点から駐屯地を見てみたい。
信太山駐屯地は、実はかなり広い。市街地の中にある千僧駐屯地と比べれば、特にグラウンドの広さなどは充実そのものである。春日井、守山、伊丹といった駐屯地も四角いグラウンドの数辺が観客席となり、どの確度からも観客が写真に写るのだが、信太山ではそういったことは無い。一辺に観客席を集中しても充分なキャテパシーがあるわけだ。しかし、グラウンドが広い為、指揮官巡閲の際に整列した部隊と指揮官が50㍍ほど離れているので、これが意外な感じであった。指揮官巡閲とは指揮官が隷下部隊の様子を見ることにあるが、それにしては遠いかな、と思ってしまった。
もう一つの特色は資料館に置かれたおキツネ様だ。解説されている通り、祝園で部隊車輌に突撃を試み武運つたなく玉砕したキツネさんを、奉っているのだが、このおキツネ様に手を合わせると射撃があたると書いてある。
しかし、37連隊の隊員に千僧できいてみると、案外知名度が低かったように感じた。
資料館にはこの他、旧軍、自衛隊の歴代の火器や信太山に駐屯した部隊の戦史などが展示品と共に記されており、駐屯地祭に行かれた際は立ち寄られれば何かしら発見があるのではないだろうか。
HARUNA
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