京都三大祭の一つに挙げられる葵祭りが五月十五日、京都市内において開催され、平安時代の装束に身を包んだ一行500名が京都御所から上加茂神社へと向かった。
写真は前衛を務めた京都府警騎馬隊である。歴史的行事の多い京都市においてはその特性から騎馬警察が維持されている。写真は河原町今出川において撮影したもので、行列一行が到達する二十分ほど前から自動車に厳重な交通規制が引かれ、歩道には多くの観光客がカメラを並べていた。中には車道に乗り出して撮影を試みる観光客が警察官に注意を受ける様子があったが、平日という事もあってそうした様子は高齢者に多くみられた。「最近の若者は・・・」といわれる中で、国際観光都市京都では高齢者の観光客によるこうした行為が指摘されるようになっている。
欽明天皇治世下の567年、天候不良や飢饉といった天災を収めるべく、賀茂の神々を鎮めるために行われた祭事がその始まりとされ、祭りという言葉自体が葵祭りを示すほどに、平安時代における祭事の代名詞となった。819年には朝廷の律令制度の一環として定められた国家的行事としての性格を有するようになり、1467年からの応仁の乱を契機に1693年までの二世紀に渡り断絶はしたものの、再興し今に至る。なお、江戸時代の復興に伴い、牛車や騎馬、同行者を徳川幕府の家紋である葵を飾った事から、今日の名称である葵祭りという呼称が定着するに至った。
明治における東京遷都を契機として1871年から1883年までの間、一時断絶があり、また太平洋戦争の戦局悪化を契機として1943年から1952年までの間、やはり祭事の断絶があった。しかしながら、本土初空襲があった1942年(ミッドウェー海戦は葵祭りの三週間後に生起、我が帝國海軍はその空母機動部隊の主力4隻を喪失する事となった)にも実施されていたとは恐れ入るというものだ。
写真は鴨川を渡河し、下鴨神社へ向かう一行を対岸から撮影。小生はロードレーサーを携行し、橋梁以外の強行渡河を実施し撮影した。橋梁非利用強行渡河なんて久しぶりであった。
マクドナルドの前を通過する行列一行、撮影した位置は、同志社大学や京都大学から十分ほどの位置にある通りで、市バス以外は厳重な交通規制下にあることがみてとれる。
毎年市バスから撮影すれば良好な撮影位置を保持できると思うのだが(京都市営バス一日乗車券は500円)、諸般の事情で今年度も実施できなかった。
なお、多くの観光客がカメラを構えているが昨年、フラッシュの連写に驚き馬が暴走するという事件があった。こうしたことから、小生はISO感度を上げ低速シャッターにて撮影した。
前日、第三師団記念行事に展開していた関係から、どうしても、観閲行進と比較して遅いとか、騎馬隊なのに徒歩行進よりも遅い、というような印象を受けてしまった(笑)。
なお、この後、下鴨神社において訓練展示流鏑馬が実施され、空包弓矢を用いた迫力の模擬戦神事が展開されたとのことだが、時間的制約から撮影できなかったことが残念である(また来年行こう)。
HARUNA
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