■三重県の第33普通科連隊
三重県久居には"三"繋がりか、かつて旧陸軍歩兵第三三連隊本営が置かれていました。そして同じ場所には現在第10師団隷下の第33普通科連隊が駐屯しています。

入場する普通科隊員とUH-1HおよびV-107、V-107は流石に全てCH-47に置き換えられています。この二機も用途廃止航空機を展示しているものでして、これは近傍の陸上自衛隊航空学校本校の置かれる明野駐屯地が所在している故でしょう、なにか、自衛隊らしさ。

入場する自衛官候補生と背景にはUH-1H多用途ヘリコプターにV-107輸送ヘリコプター。現在は既にUH-1Hは全て除籍され、強力なエンジンを積むなど改良したUH-1Jとエンジンを双発とする等したUH-2の評価試験が進んでいますが、この頃まだUH-1Hは現役です。

朝日を浴びて整列する96WAPCと74TK、ここは三重県津市にある陸上自衛隊久居駐屯地、京都大阪名古屋から伊勢神宮へと至る近鉄久居駅、その駅前に整然と並ぶ建物群に大書された久居自衛隊、この建物が三重県を防衛警備管区として受け持つ部隊の駐屯地です。

74式戦車の浮かぶ勇壮な輪郭。これから行われる記念式典へ待機する戦車を見上げる構図から。この久居駐屯地には第10師団の隷下部隊である第33普通科連隊が駐屯しています。普通科部隊は旧軍で言う歩兵、記念式典の支援へ遠く滋賀県から戦車部隊が展開している。

82式指揮通信車の入場と待機車両の長い車列が続く。久居駐屯地は隣接して久居訓練場が配置され、訓練場は演習場のような射撃訓練などは行えませんが、三重県都市部は津市の近鉄電車駅前にある駐屯地、というには想像できないような広さを有している駐屯地です。

式典開始時刻となり駐屯地から行進して久居訓練場へ入場してまいりました、自衛官候補生の入場を正面から撮影します。候補生というのは昔の新隊員、いまは昔のようにすんなりと入れてくれない、曹候補学生という制度があり、終身雇用時代は終わりを告げている。

64式小銃を自衛官候補生たちは抱える。この64式小銃も陸上自衛隊では全廃され久しいですが、当時はまだ予備役部隊などにも残っていました、重量が4.4kgもありまして一眼レフに巨大な単焦点超望遠レンズを装着した重さがあります、毎日担ぐのは大変だろうなあ。

第33普通科連隊の隊員も入場を開始、普通科隊員を正面から。89式小銃を携行している。この重量3.5kgで一眼レフに超望遠ズームレンズを装着したようなもの。64式がEOS-5Dに400mmF2.8ISを装着の重さ、89式小銃はEOS-7Dに100-400mmIS2とG3Xの重さ。

第1中隊と第2中隊と車列や航空機を背景に入場が進む。V-107が背景に有りますと、もともと自衛隊は高度経済成長期に装甲車やミサイルよりもV-107を600機導入する案が、航空科に有りV-107も全日空が新幹線に対抗し新時代の基本交通手段を目指していました。

連隊旗を奉じて副連隊長が入場する。指揮官の入場、普通科連隊というのは1200名の師団普通科連隊と650名の旅団普通科連隊というように区分されています。第33普通科連隊は師団普通科連隊であるのは前述の通りでして副連隊長とともに多数の中隊長や幕僚が並ぶ。

連隊旗の到着と指揮官の敬礼、本部管理中隊長、第1中隊長、第2中隊長、第3中隊長、第4中隊長、対戦車中隊長、重迫撃砲中隊長、教育隊長、連隊人事幹部、連隊情報幹部、連隊訓練運用幹部、連隊補給整備幹部、中隊長や連隊幕僚だけでもこれだけ揃うのですね。

中隊旗が旗の敬礼動作を行う、背景に並ぶのは軽装甲機動車。軽装甲機動車、陸上自衛隊を中心に広く配備されている小型装甲車で2000両以上が導入された小松製作所製装甲車です。そして2002年に中部方面隊で最初に慶応高機動者を受領したのが、この連隊なのです。

連隊幹部の整列、後方支援連隊の指揮官も一人並ぶ。2000年代は変革の時代で、上記の軽装甲機動車など普通科の機械化が一挙に進み、結果、後方支援連隊整備大隊から普通科直接支援中隊を各連隊駐屯地へ分遣し、車両整備の支援を実施するようになっています。

国旗へ敬礼、捧げ銃。整列を完了した部隊とともにいよいよ式典開始です。日章旗が式典会場へ到着しまして、われわれ観覧の一同も起立して国旗を迎えます。平和主義と国民主権を掲げた憲法と国家が有ってこそ、憲法と主権を守る 防衛力として自衛隊はあり得る。

日章旗が登壇する。そして第33普通科連隊長、兼ねて久居駐屯地司令の古屋浩司連隊長も車両にて観閲台へ。古屋連隊長はこの久居駐屯地での連隊長を経て、しばらくののちに上級部隊である第10師団の師団司令部幕僚長、そして現在は宮城地方協力本部長にあたる。

巡閲をおこなう古屋連隊長。詳しい方のお話によれば、古屋1佐は普通科幹部として一本、初の中隊長は山岳連隊として名高い第12師団第13普通科連隊、現在は旅団へ縮小されてしまいましたが険しい日本アルプスで部下を引っ張れる歩兵を地でゆく指揮官なのだとか。

巡閲、会場は比較的広い。久居駐屯地、いやここは訓練場ですが式典会場は千僧の第3師団祭や守山の第10師団祭、練馬の第1師団祭よりも広い会場となっています、実際ここでは火炎放射器さえ実際に放射できるほどの面積がありますので、展示が行われるか楽しみ。

連隊長の巡閲とともに敬礼する普通科隊員、そして並ぶ軽装甲機動車、さらに引退した航空機、と。自衛隊は機械化が遅れていた、識者など何気なく表現しますが有る意味的外れで、長らく空中機動を重視し航空打撃力と輸送能力を装甲車よりも重点的に整備しました。

巡閲続く、重迫撃砲に対舟艇対戦車誘導弾が並ぶ。79式対舟艇対戦車誘導弾は通称重MAT,もともとは師団対戦車隊に配備されていたものですが、2002年の師団改編で第10師団が乙師団から戦略機動師団へ改編された際に全ての普通科連隊に対戦車中隊が置かれている。

自衛官候補生も敬礼を行う。自衛官候補生、昔は曹候補士で入隊したらばほぼ定年まで奉職できましたが、人件費節減観点から七年以内に陸曹選抜に合格できなければ強制退職という曹候補学生という制度となった。彼らは候補生となってまだ数週間、様になっている。

日章旗と整列した隊員たち。スタンド席にて撮影できた故の良い撮影環境です。この2013年当時の行事はまだ牧歌的で、地方の駐屯地祭ならば開門後に到着しても一般用スタンド席上段がまだ開いていたのですよね。いまは開門三時間前に並んでも最上段は厳しい。

連隊長訓辞。この2013年行事というのは、3.11東日本大震災の記憶もまだ鮮明であるとともに南海トラフ巨大地震の危険性が大きく認識され、三重県を防衛警備管区とする第33普通科連隊には熊灘にめんした長大な海岸線をどう対応するか、防衛とならび課題だった。

鈴木英敬知事の訓辞、2013年の様子です。西宮生まれで灘中灘高と東大へて通産官僚、2011年に36歳という史上最年少で県知事となった鈴木知事です。学歴経歴は凄い方ですが2020年代の鈴木県政を見ますと、逆に三重県民は若い知事を良く育てたなあ、と何か感心する。

式典会場を18mm広角で写し込む、空が広い。式典会場の奥には、見えませんが伊勢湾が広がり、背後には直ぐ近鉄線、そして壮大な鈴鹿山脈が広がり、その奥に隣接して京都府が、という立地です。祝辞と祝電披露も終わりいよいよ、観閲行進準備の号令が掛かる。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
三重県久居には"三"繋がりか、かつて旧陸軍歩兵第三三連隊本営が置かれていました。そして同じ場所には現在第10師団隷下の第33普通科連隊が駐屯しています。

入場する普通科隊員とUH-1HおよびV-107、V-107は流石に全てCH-47に置き換えられています。この二機も用途廃止航空機を展示しているものでして、これは近傍の陸上自衛隊航空学校本校の置かれる明野駐屯地が所在している故でしょう、なにか、自衛隊らしさ。

入場する自衛官候補生と背景にはUH-1H多用途ヘリコプターにV-107輸送ヘリコプター。現在は既にUH-1Hは全て除籍され、強力なエンジンを積むなど改良したUH-1Jとエンジンを双発とする等したUH-2の評価試験が進んでいますが、この頃まだUH-1Hは現役です。

朝日を浴びて整列する96WAPCと74TK、ここは三重県津市にある陸上自衛隊久居駐屯地、京都大阪名古屋から伊勢神宮へと至る近鉄久居駅、その駅前に整然と並ぶ建物群に大書された久居自衛隊、この建物が三重県を防衛警備管区として受け持つ部隊の駐屯地です。

74式戦車の浮かぶ勇壮な輪郭。これから行われる記念式典へ待機する戦車を見上げる構図から。この久居駐屯地には第10師団の隷下部隊である第33普通科連隊が駐屯しています。普通科部隊は旧軍で言う歩兵、記念式典の支援へ遠く滋賀県から戦車部隊が展開している。

82式指揮通信車の入場と待機車両の長い車列が続く。久居駐屯地は隣接して久居訓練場が配置され、訓練場は演習場のような射撃訓練などは行えませんが、三重県都市部は津市の近鉄電車駅前にある駐屯地、というには想像できないような広さを有している駐屯地です。

式典開始時刻となり駐屯地から行進して久居訓練場へ入場してまいりました、自衛官候補生の入場を正面から撮影します。候補生というのは昔の新隊員、いまは昔のようにすんなりと入れてくれない、曹候補学生という制度があり、終身雇用時代は終わりを告げている。

64式小銃を自衛官候補生たちは抱える。この64式小銃も陸上自衛隊では全廃され久しいですが、当時はまだ予備役部隊などにも残っていました、重量が4.4kgもありまして一眼レフに巨大な単焦点超望遠レンズを装着した重さがあります、毎日担ぐのは大変だろうなあ。

第33普通科連隊の隊員も入場を開始、普通科隊員を正面から。89式小銃を携行している。この重量3.5kgで一眼レフに超望遠ズームレンズを装着したようなもの。64式がEOS-5Dに400mmF2.8ISを装着の重さ、89式小銃はEOS-7Dに100-400mmIS2とG3Xの重さ。

第1中隊と第2中隊と車列や航空機を背景に入場が進む。V-107が背景に有りますと、もともと自衛隊は高度経済成長期に装甲車やミサイルよりもV-107を600機導入する案が、航空科に有りV-107も全日空が新幹線に対抗し新時代の基本交通手段を目指していました。

連隊旗を奉じて副連隊長が入場する。指揮官の入場、普通科連隊というのは1200名の師団普通科連隊と650名の旅団普通科連隊というように区分されています。第33普通科連隊は師団普通科連隊であるのは前述の通りでして副連隊長とともに多数の中隊長や幕僚が並ぶ。

連隊旗の到着と指揮官の敬礼、本部管理中隊長、第1中隊長、第2中隊長、第3中隊長、第4中隊長、対戦車中隊長、重迫撃砲中隊長、教育隊長、連隊人事幹部、連隊情報幹部、連隊訓練運用幹部、連隊補給整備幹部、中隊長や連隊幕僚だけでもこれだけ揃うのですね。

中隊旗が旗の敬礼動作を行う、背景に並ぶのは軽装甲機動車。軽装甲機動車、陸上自衛隊を中心に広く配備されている小型装甲車で2000両以上が導入された小松製作所製装甲車です。そして2002年に中部方面隊で最初に慶応高機動者を受領したのが、この連隊なのです。

連隊幹部の整列、後方支援連隊の指揮官も一人並ぶ。2000年代は変革の時代で、上記の軽装甲機動車など普通科の機械化が一挙に進み、結果、後方支援連隊整備大隊から普通科直接支援中隊を各連隊駐屯地へ分遣し、車両整備の支援を実施するようになっています。

国旗へ敬礼、捧げ銃。整列を完了した部隊とともにいよいよ式典開始です。日章旗が式典会場へ到着しまして、われわれ観覧の一同も起立して国旗を迎えます。平和主義と国民主権を掲げた憲法と国家が有ってこそ、憲法と主権を守る 防衛力として自衛隊はあり得る。

日章旗が登壇する。そして第33普通科連隊長、兼ねて久居駐屯地司令の古屋浩司連隊長も車両にて観閲台へ。古屋連隊長はこの久居駐屯地での連隊長を経て、しばらくののちに上級部隊である第10師団の師団司令部幕僚長、そして現在は宮城地方協力本部長にあたる。

巡閲をおこなう古屋連隊長。詳しい方のお話によれば、古屋1佐は普通科幹部として一本、初の中隊長は山岳連隊として名高い第12師団第13普通科連隊、現在は旅団へ縮小されてしまいましたが険しい日本アルプスで部下を引っ張れる歩兵を地でゆく指揮官なのだとか。

巡閲、会場は比較的広い。久居駐屯地、いやここは訓練場ですが式典会場は千僧の第3師団祭や守山の第10師団祭、練馬の第1師団祭よりも広い会場となっています、実際ここでは火炎放射器さえ実際に放射できるほどの面積がありますので、展示が行われるか楽しみ。

連隊長の巡閲とともに敬礼する普通科隊員、そして並ぶ軽装甲機動車、さらに引退した航空機、と。自衛隊は機械化が遅れていた、識者など何気なく表現しますが有る意味的外れで、長らく空中機動を重視し航空打撃力と輸送能力を装甲車よりも重点的に整備しました。

巡閲続く、重迫撃砲に対舟艇対戦車誘導弾が並ぶ。79式対舟艇対戦車誘導弾は通称重MAT,もともとは師団対戦車隊に配備されていたものですが、2002年の師団改編で第10師団が乙師団から戦略機動師団へ改編された際に全ての普通科連隊に対戦車中隊が置かれている。

自衛官候補生も敬礼を行う。自衛官候補生、昔は曹候補士で入隊したらばほぼ定年まで奉職できましたが、人件費節減観点から七年以内に陸曹選抜に合格できなければ強制退職という曹候補学生という制度となった。彼らは候補生となってまだ数週間、様になっている。

日章旗と整列した隊員たち。スタンド席にて撮影できた故の良い撮影環境です。この2013年当時の行事はまだ牧歌的で、地方の駐屯地祭ならば開門後に到着しても一般用スタンド席上段がまだ開いていたのですよね。いまは開門三時間前に並んでも最上段は厳しい。

連隊長訓辞。この2013年行事というのは、3.11東日本大震災の記憶もまだ鮮明であるとともに南海トラフ巨大地震の危険性が大きく認識され、三重県を防衛警備管区とする第33普通科連隊には熊灘にめんした長大な海岸線をどう対応するか、防衛とならび課題だった。

鈴木英敬知事の訓辞、2013年の様子です。西宮生まれで灘中灘高と東大へて通産官僚、2011年に36歳という史上最年少で県知事となった鈴木知事です。学歴経歴は凄い方ですが2020年代の鈴木県政を見ますと、逆に三重県民は若い知事を良く育てたなあ、と何か感心する。

式典会場を18mm広角で写し込む、空が広い。式典会場の奥には、見えませんが伊勢湾が広がり、背後には直ぐ近鉄線、そして壮大な鈴鹿山脈が広がり、その奥に隣接して京都府が、という立地です。祝辞と祝電披露も終わりいよいよ、観閲行進準備の号令が掛かる。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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