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沖縄戦七十五年,慰霊の日“沖縄県民斯く戦えり-県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを”

2020-06-23 20:04:53 | 国際・政治
■本土決戦回避と続く基地負担
 本日は沖縄慰霊の日、沖縄県では最後の激戦地である糸満市にて新型コロナウィルス禍下での配慮した慰霊式典が執り行われました。

 慰霊の日。本日は20万の戦死者と戦災犠牲者を出した沖縄戦慰霊の日です、75年前の今日、沖縄では現在の糸満市において第32軍司令官牛島満大将が自決し、沖縄戦はその組織的抵抗を終えました。“沖縄県民斯く戦えり-県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを”, 沖縄方面根拠地隊司令官大田実海軍中将が県庁に代わり本土へ打電した最後の言葉です。

 沖縄県民斯く戦えり-県民に対し後世特別の御高配を賜らんことを。その言葉の通り、沖縄戦は激戦でした、その激しさを説明する簡単な言葉は、第32軍司令官牛島満中将、第10軍司令官サイモン-B-バックナー中将、日米両軍の司令官が共に戦死しており、特にアメリカ軍では建国以来長い戦史を紐解いても、中将が戦死したのはこの沖縄戦のみというほど。

 沖縄戦。考えてみますと日本列島、特に首都圏と九州を中心に本州九州の方々は、沖縄戦において沖縄県民が第32軍や海軍と共に、文字通り身を挺して戦い抜いた事により、相当、救われています。借りが在るのですね。どういうことか、元々、連合軍による沖縄侵攻のアイスバーグ作戦は四月中に沖縄本島を占領する事を目指していました。しかし、です。

 第32軍は一個師団を欠いた編成で戦闘に臨み、本土からの膨大な航空戦力の支援を受け、なにしろ沖縄戦での日本軍航空機損耗は実に3007機に及ぶ、しかし、弾薬などの枯渇に苦しみながら戦い続けています。一日でも長期間戦う事を念頭に、そしてその粘りこそが沖縄本島の文民被害と民生被害を極限まで拡大しつつ、戦い続けた、これが沖縄戦でした。

 6月23日の沖縄慰霊の日、この日まで第32軍は組織的戦闘を続けていました、そして沖縄に侵攻した連合軍は45万という驚くべき規模であり、第32軍の沖縄本島配備戦力は第24師団と第62師団に独立混成台44旅団など。第32軍だけでは戦えず、沖縄県での臨時現地召集により増強した、学徒や生徒も含め、こう戦い抜いたわけです。その意味は何か。

 四月中に沖縄本島が陥落していたならば、連合軍は沖縄本島を最大の兵站基地として用いる構想でした、勿論、次は本土です。オリンピック作戦とコロネット作戦として、九州日向灘沿岸と首都圏九十九里浜へ100万名規模の着上陸を計画していました。しかし、これが実施されなかったのは8月15日の終戦記念日、無条件降伏を決断した為なのですが。

 コブラ台風。1944年12月に発生した台風により、アメリカ海軍は駆逐艦3隻が沈没し、空母カウペンス、モンテレー、カボット等が損傷し、沈没した駆逐艦には新鋭駆逐艦であるフレッチャー級も含まれていました、これをもとに連合軍は台風シーズンには日本本土進攻は難しく、沖縄戦での激戦は結果的に1945年前半の本土決戦を回避出来た事になる。

 しかし難しいのは、沖縄県民への借り、こうしたものをどう考えているのか、実際問題として経済振興策や税制優遇といった施策がある、と反論もあるかもしれませんが、県民の四分の一が死亡する状況は、広島長崎の原爆投下による死亡率さえも上回るものでして、安易に経済振興、という言葉で解決できるようなものではありません、余りに心が無い。

 基地問題。難しいのは、北東アジアにおけるアメリカ軍の最重要拠点は、首都圏の横田-横須賀-横浜の在日米軍三角州とともに、明らかに嘉手納基地とキャンプシュワブを中心とした在沖米軍の海兵隊と空軍となっている点でして、ここが戦後の沖縄に一貫した厳しい基地負担を強いています。せめて、米軍が不要な程に自衛隊が強靭であれば、と昔は考えた。

 自主防衛と云いますと響きは保守の方には良いのかもしれませんが、朝鮮半島有事や台湾海峡有事といった所謂周辺事態に対して、従来は日本が米軍への後方支援を実施する事となっており、在沖米軍基地は首都圏米軍基地と並ぶ戦略拠点となっています、ここを自衛隊が置き換えるとなりますと、自衛隊が韓国軍や中華民国軍支援を行えるのか、となる。

 駐留なき安保として、自衛隊の装備体系を米軍基準として、自衛隊の補給品などを米軍と共通化できるようにしてしまえば、問題は無いのかもしれませんが、自衛隊がB-52やB-1といった装備等を使う事はやはり想像しにくく、また膨大な米軍増援を自衛隊だけで兵站支援する基盤を構築するものは自主防衛とは程遠く、無駄な装備ばかりとなってしまう。

 専守防衛の日本が全力で支援すると転換してもそもそも韓国や中華民国からは信用がない、こうなりますと、米軍ポテンシャルを動かす事は、旧軍の様な巨大な影響力を再構築するという選択肢でも採らない限り、地域安定を破綻させるものとなります。いっそ20km四方のメガフロートに移設でも出来れば、とも考えるのですが、歯がゆい難しさがあります。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
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