北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【G3X撮影速報】横須賀軍港めぐり【4】軍港巡り遊覧船と船越地区の自衛隊新潜水艦岸壁(2024-01-06)

2024-04-21 20:23:49 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■新潜水艦岸壁
 軍港めぐり遊覧船の旅は続きます。

 うらが、あすか。名字と名前ではなく掃海母艦うらが、試験艦あすか、船越地区停泊の様子です。ぐるりと遊覧船はここ船越地区を回りまして、それから荒井掘割水路を通りまして吉倉桟橋へと戻ってゆくのですが、船越地区も年々変容を続けています。

 潜水艦岸壁、別の言い方があったように記憶するのですけれども潜水艦岸壁のほうが通りがよい、船越地区にこの数年の間に建設されました新しい地区でして、現在ヴェルニー公園から丸見えの潜水艦岸壁とはべつのところ、言い換えればここは見えにくい。

 そうりゅう型潜水艦、船体側面の吸音タイルに沿って、なにか吸盤に無数にからみつかれたような模様が見えまして、これは何なのかなあ、と思ったりするのですが、ちょうどこれをまとめている最中にBS-12にて日曜ゴジラ劇場を放映していますゆえ。

 潜水艦は海の忍者といわれますが、海上自衛隊の潜水艦は艦番号を早い時期に消しまして、艦隊行動の秘匿につとめています。なんでも昨今は2000mm級のレンズが普及して、このG3Xも2400mmだよ、識別帽から艦名が読みとられることも多くなったとか。

 潜水艦はこのために、艦名ばらばらの識別帽を準備しまして敢えて撮影された場合でも艦名を秘匿しているという。舷門にSSN777と書いていたノースカロライナとは大違い。そしてこちらは一見潜れそうにないですが、潜水艦救難艦ちよだ、停泊しているとこ。

 ちよだ、潜れそうにないように見えますがDSRV深海潜水艦救難艇が潜る。今年お正月にBSで"原子力潜水艦浮上せず"というチャールトンヘストン主演の海洋パニック映画が放映されていましたが、DSRVはこの作品と、あと"レッドオクトーバーを追え"に詳しい。

 吉倉桟橋がみえてきました、荒井堀割水路のむこうにみえます情景です。汐入駅まえのホテルなど横須賀の市街地がよく見えていまして、中心部は横須賀中央駅のあたりなのですけれども、この情景をみますとそう汐入のあたりもかなり都会になってきたなあ。

 21世紀到来、という情景がみえてきます。もがみ型護衛艦、ステルス性重視の護衛艦でこの時点では掃海隊群直轄艦という扱いでしたが、3月の改編で第11護衛隊に移管、護衛艦隊の所属となりました、護衛艦もがみ、くまの、です。さてこの護衛艦の艦番号は。

 くまの。2ですから二番艦の護衛艦くまの、ですね。しかし、多数建造するのですから02とすればよいものを2とだけ記載されていますと何か味気ないなあ、と思ってしまうところ。革新的な護衛艦でしたが、今後はさらに大型化した改良型に建造が移行します。

 もがみ型護衛艦、拡大改良型は艦隊防空用の広域防空ミサイルを搭載すると言いまして、すると当初計画の掃海隊群へ護衛艦を配備するという計画はどうなるのか、護衛艦隊に護衛隊群以外の手持ちの護衛艦を増やすという現在の方針を踏襲するのか、と。

 おおなみ、護衛艦おおなみ、が見えてきました有名な"おおなみ事件"の舞台です。おおなみ事件とは名古屋で一般公開されていた艦上にてガスタービン艦特有の上部構造物排気による強風で見学者男性のカツラが吹き飛ばされ、乗員がチャッチしたというもの。

 危機一髪とはこのことをいうものでして、いや勿論、帽子をとばされないように、と乗員の方は人が通る度に注意喚起していましたがカツラは見抜けずあわや海にカツラがおちる一歩手前をつかんだものの、お互い気まずい思いをした、ということで有名になりました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【G3X撮影速報】久居駐屯地創設72周年記念行事【1】新年度最初の自衛隊行事撮影(2024-04-07)

2024-04-21 20:00:50 | 陸海空自衛隊関連行事詳報
■久居駐屯地祭二〇二四
 新年度と云えばどこの行事を撮影に行くのかを考えるところですが色々考えました先は伊勢の国の連隊行事としました。

 三重県津市の久居駐屯地、今年度最初の行事撮影となりました久居駐屯地祭は張り切って開門45分前に並ぶこととなりましたから、スタンド席最前列というなかなか確保が難しい場所に撮影位置を陣取る事が出来ました、榴弾砲空包一閃、さあ行事の始まりです。

 久居駐屯地には第33普通科連隊が駐屯、現在の連隊長さんは金子洋幸1佐、2022年に着任しています。コロナ禍下では感染対策と精強な部隊の練成、という並行する事が難しい責務を担った指揮官の一人、連隊の精強さは能登半島地震災害派遣を観れば分かる。

 普通科連隊は陸上自衛隊の骨幹戦力となっています。その編成は師団普通科連隊と旅団普通科連隊でわかれるのですが、第33普通科連隊は第10師団隷下部隊であり、師団普通科連隊という大型の編成を採用しています。もっとも、諸外国の連隊よりは小さい。

 本部管理中隊、第1普通科中隊、第2普通科中隊、第3普通科中隊、第4普通科中隊、重迫撃砲中隊、以上を以て編成されています。第3師団や第1師団などは第5普通科中隊を隷下にさらに加える事例もあります。そして師団の後方支援連隊から支援部隊がつく。

 軽装甲機動車を装備しているのが第4中隊のみとなっていて、との3個中隊は高機動車を運用しています。装甲がありませんので前線どころか接近経路でも徒歩など地形防御を活用しなければなりませんが、この背景には予算不足があり、この点が非常に厳しい。

 金子連隊長の入場です。式典を行っているのは久居訓練場という普段は訓練を行う場所なのですが、車両のすぐ後ろに見えますのが久居駐屯地、そう、駐屯地と訓練場は隣接しているのですね。ただ真ん中に公道が走っていますから県警が交通統制を支援しています。

 連隊長に敬礼っ。自衛隊の連隊旗は旧軍の様式を踏襲しています、ただ天皇陛下から下賜された旧軍の連隊旗のような連隊番号を冠したものではないために意匠だけ継承しているのですけれども、連隊の象徴である事は変りない、旭日を示し特別な意味を想させる。

 巡閲、連隊長が整列した部隊を巡閲します。軍隊というものは名称が同じでも内容は一つではない、それは編成や装備体系という些細なものではなく政治文化や社会と国家の価値観と軍隊は連動していると最近ようやく気付きました、それを団結させるのが指揮官だ。

 機械化の進む普通科連隊を支援するために師団後方支援連隊からは第2整備大隊普通科直接支援中隊が駐屯していて、軽装甲機動車などの機械化装備整備支援を行います。後方支援連隊には戦車直接支援中隊などもありましたが戦車廃止にあわせ解散しました。

 軍事機構というのは似ているようでそうではない、欧米の軍隊はクラウゼヴィッツ的な政治の延長としての実力集団である、しかし中東などでは国王の民衆支持の為の奉仕集団としての戦闘集団の側面があり、アジアでは体制安定化の先に軍事力の内外安定がある。

 訓示において。やはりウクライナ戦争と中東情勢に触れられるのですが、国家防衛戦略により自衛隊の全ての師団と旅団は湯時の際に機動運用されることとなり、数年前まであった地域配備部隊という概念は解消している為、装備不足へ指揮官の悩みはいかほどか。

 鈴木議員、前三重県知事の訓示です。政治の役割を協商されていましたが、反撃能力整備という急激な方針転換、自衛隊にアメリカ式のマルチドメイン部隊を編成する構想なのかもしれませんが、主権者たる国民にはもう少し分り易く説明してほしいと思いますね。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都幕間旅情】榛名さんの総監部グルメ日誌:京都-四条大宮,春の花冷えの夜には一献と熱々おでんにしよう

2024-04-21 18:14:00 | グルメ
榛名さんの総監部グルメ日誌
 ふいりょうすだったか一旦違う覚え方をすると難しくなるが急ぎWeb検索しても変な名前の俳優の名前ばかり当り改めて誰だよとインターネットの危うさを知る。

 不思議な、春とおもいました。さくら開花時期は霊験より遅いという事ですが何より昨年が暖冬の先に熱い春が来ましたので開花が早く、昨年より今年は二週間ほど開花が遅れたが、しかしその後は早かった、御室桜と染井吉野の満開時期が重なったほどだ。

 四条大宮、京都でも不思議な風情を醸していまして、そう嵐山も嵯峨野も嵐電で一本という割には阪急で中心部や大阪に通じて、しかし京都駅からは乗り継ぎが不便故に観光客が少ないという、路面電車のような嵐電のごうんごうん響く先に素敵な繁華街があるという。

 ビールをグラスに注いで、お通しをつんつんと摘まみつつ、さてと今年の桜花をコンデジのG7Xで再生しつつ見直してみる、琥珀色の麦酒をちびりちびりやりつつ、注文の時機を忙しい大将さんの幕間というのも見極めつつ、さあて肴はなんにするかなあ。

 おでん。小春日和ということもありますので、そろそろ冬の温まるための食べ物という印象からその季節の移ろいを感じるべきなのかもしれませんが、急に寒も戻りがありましたから、やっぱり食べておこうじゃあないか、ということで歩み進めました次第で。

 大根は外せない、けれどもがんもにするか揚げ物にするか、蒟蒻というのも捨てがたいけれども一気に大量注文するといざお口に運ぶ際に熱々が逃げてしまうので、と注文すると流石はおでん、大将がさっと美味しいどこを掬って手早く切り込み目の前に直ぐ。

 焼き鳥、おでんばかりというのもなんですからバランスよくねぎまを一本注文しまして、その間にまあ冷や酒を嗜み、そしておでんをつんつんと。狭いお店故に目の前で焼き鳥が焼きあがってゆくのを眺めるのもまた愉しい時間の過ごし方なのかもしれない。

 春は曙、といいますので焼酎なマイラブリーエンジェルぼのたん、という取り合わせもお勧めなもの。清酒から始めるか、それとも先ず焼酎でさっぱりしてみるのか。こう考えていますと、隣の方が煙草を吸い始めてしまったので、ああ、となっていきます。

 竹輪、生姜天に大根、と第一弾はこう決めまして、しゅわしゅわ云うビールのグラスとともに。瓶ビールというのは自分で注ぐために調整できるのが良い。そして大根はほかの方も一斉に注文するだけ、あれだけあった大根がみるみるカンバンへまっしぐら。

 盛司、カウンターだけの小さな、しかしこういう気軽さが良いのだ、と思いつつガラス戸をがらがらと開けまして、メニューなんかは見ずに、指差しでこれとこれと後はそれ、と。通ぶった注文の仕方ではきざのようですけれども、おでんは気分でえらびたい。

 がんも、とかなりかんがえたのだけれどまあここはこのところ食べていない、ふいりょうす。蒟蒻、揚げ豆腐、第二弾はこんな感じで注文しました。出汁わり、というのも一瞬考えたのですが、出汁割にみなさん練り辛子とか、混ぜるか別かどうやっていますか。

 くーねるまるた、というポルトガルから来日した女子大生というか遊学中のまるたさんが主人公の漫画があり、ひろうす、という食べ物は元々南蛮文化として安土桃山時代にポルトガルから来たフィリオースが語源といい、ふいりょうす、と思えてしまった。

 ビールでとりあえず始めたのだけれども、その次はやっぱり清酒だよねえ、と続いて剣菱を注文しました。もちろん冷やで。桝にコップ酒という小粋な感じで直ぐにやってきまして、まずは零さぬように一口とこう啜り、熱いおでんと冷や酒という取り合わせ。

 艦砲や戦車砲の硝煙は問題ないのだけれどもこのCOVID-19の長い期間、愛煙家と接点が年単位でなくなると煙草の匂いがどうにも苦手になってしまった、もう一本行きたかったが、飲んで食べていい頃合いになったところですし、と納得し、お店を後にしました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【京都発幕間旅情】近鉄80000系特急ひのとり,鉄道撮影と一眼レフ及びミラーレス一眼の趨勢

2024-04-21 07:00:50 | コラム
■EOS-M5にEF-S
 カメラの電源を入れると同時にAF操作をしていないにもかかわらず地面や電線にAFが作動している。

 近鉄80000系特急ひのとり。EOS-M5にEF-S55-250mmレンズを装着して撮影しました。使い勝手の方に悩んだこのM-5なのですけれども、15-45mmSTMレンズとともに、大昔にEOS-KissX7のダブルズームキットを購入した際についてきたレンズを活用です。

 M-5については、ミラーレス機種の試用という視点で導入したものなのですけれども、たしかに一眼レフに比べると、といいますかEOS-7Dシリーズと比較すると大半の機種が当てはまるのだろうけいれども、M-5は軽量で、そしてAPS-Cのセンサーサイズという。

 ミラーレス機種に完全移行して一眼レフを全廃してしまった友人がいまして、使い勝手的に全部ミラーレスに一本化するというのは大丈夫なのだろうかと思ったもので、しかし私の場合は基本出かけるときはEOS-7Dを携行するのでカメラバックは確かに重くなる。

 一眼レフでEOS-7Dに加えてEOS-90Dを導入しているのだけれども、旅行の時に航空機等を撮影しないときにはコンデジだけで出かけるというおともだちも居まして、それはそれで思い切っているなあ、と。センサーサイズだけを考えればミラーレスも、とも。

 APS-Cですのでピントとシャッターの時機さえ間に合えば理論上M-5はEOS-7Dに匹敵する描写力はあるとおもう、ここで映像エンジンの詳細な性能は度外視するとしてですが。重い一眼レフを延々と携行する事は出来るのか、とは年配の方からの助言というもの。

 M-5だけを携行した場合は身軽なので撮影で回れる幅が増えるのかもしれないけれども、いやEOS-Rとともにミラーレスだけで撮影している方が今後どんどんと増えているのだけれども、まだまだわたしの場合は試行錯誤の段階かなあ、とM-5をバッグに仕舞いました。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする