北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

【京都幕間旅情】立本寺-観桜,洛中法華二十一寺は天文法華の乱と妙顕寺そして三宝尊を奉じる寺院を巡る

2024-04-24 20:22:49 | 写真
■満開の桜
 ここは静けさの寺院なのですが拝観の際に観桜とともにその歴史まで辿りますと成程感慨深いものが有ります。

 立本寺、ここは上京区七本松通仁和寺街道上ル一番町という市電横丁とこどもたちには縁が遠い日活映画館あたりからぐっと住宅地のほうに入りました、ほんとうの街中の寺院です。梅花の季節には梅は香と思いましたが、数が多かれば桜並木も桜は香るのです。

 桜花の季節にはどうしてもここに歩みを進めたくなる、というのはこの堂宇を巡り合いましたのは、ふっとした偶然の向こうに出会ったような経緯がありまして、それほど混雑しない、というよりも混雑とは無縁の堂宇は激しく感受性を揺さぶる情感にみちている。

 上京区七本松通、静かな一角ですので観光客というのは、もしかしたらばいるのかもしれませんが静かな拝観者だけが歩み進めているという印象で、桜花の季節には花弁が音を吸収するためなのでしょうか、山寺のようなしんとした静寂と微かな蜂の羽音が響くのみ。

 COVID-19のいちばん猛威を振るったころ、いや日本では静観していても国際報道では世界中が欧州だけで毎日数千が死亡し、北米大陸もひどいが人口比で南米大陸がひどく、アジアでは集計さえできない地域があったなか、ふと桜を見上げていましたようなお堂だ。

 宿坊と高齢者施設とを運営しています立本寺さん、本堂の方へ桜並木が続いているのですが、伽藍の堂宇が哲学的な直線と桜花の曲線とを交響詩のように織り込んだ風景を醸していまして、そう歩けばそれほど長い距離ではないのだけれども、奥深さを感じさせる。

 由緒寺院という日蓮宗の本山にあたる寺院の一つで、門構えは入っていいのかな、とおもいつつ観光でなく拝観ならばと但し書きがありまして、凛とした方に力を入れて拝観することとしました。これは遊興の場としないためなのか、過去に何かあったのか、とも。

 天文法華の乱、何かあったのかといいますとお寺の歴史については何かあった寺院であり、このお寺は日像さんが開いた寺院という、妙顕寺を開きましたあの日像さんです。創建は1321年、元亨元年に当たる寺院でこの創建年間というものもやはり妙顕寺とおなじ。

 妙顕寺さんは上京区寺之内通新町西入妙顕寺前町、堀川通沿いにありますので若干距離はあるのですが、三宝尊を奉じる寺院という点も同じでして、少し調べてみますと、ここはもともと妙顕寺さんでもありまして、洛中法華二十一寺としてもかぞえられています。

 天文法華の乱、洛中法華二十一寺といいますのは室町時代と安土桃山時代の狭間という戦国乱世の時代に京都で影響力を増していた日蓮宗と京都遷都の時代は桓武天皇の時代より京都の奉護を自認する天台宗との対立が、とうとう全面衝突に至った際の寺院のこと。

 洛中法華二十一寺は大半が現存しているのですが、天文法華の乱では松本問答という日蓮宗と天台宗の問答の末に論破を自称した日蓮宗の僧侶が上壇の天台宗僧侶から法衣を剥ぎ取る暴行を加え、これを基に反発した天台宗との全面戦争に発展した、というもので。

 立本寺のいろいろあった歴史、というものはここを示しています。詳細は後述しますが、一時京都から離れていた一つの寺院が、京都に戻った際の時差などから二つの寺院に分かれてしまった、という。日本の宗教史を遡れば意外と多い出来事なのですけれどもね。

 並木一面さくら色という風情とともに、立本寺には庭園も拝観できるという事なのですけれども、ここを見上げますと余韻は花吹雪までだよなあ、と今一度見上げるのです。刹堂は階段がありまして、少し腰かけて、春が来たのだなあ、今年も実感し時を過ごすのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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【京都幕間旅情】醍醐寺観桜-五重塔は五分咲き七分咲き枝垂れ桜に透ける京都最古の建築物

2024-04-24 20:00:16 | 写真
■桜すく醍醐寺五重塔
 こういう写真は年に何枚も撮影できるものではないというものがあるのですが絶景という情景を逃さないよう。

 枝垂桜、染井吉野、山桜、八重桜、此処にもう一つ御室桜でも加われば完璧なのでしょうけれども、醍醐寺には開花時期の異なる幾種類ものさくらの木々が植えられ大切にされていまして、さくらの観桜という季節を長く楽しめるようになっています。

 五重塔と枝垂桜、いやもっと早咲きのものに河津桜がありましたか、早々と大輪の花を春に添えてくれます枝垂桜を、こう曇天というのが残念だなあ、と思いつつ五重塔とともに見上げて構図に含めますと、これ、年に一枚で会うか、という情景に仕上がる。

 枝垂桜と五重塔、ここ醍醐寺の五重塔は京都でも数少ない平安時代の建築物となっています、もうひとつは千本釈迦堂の堂宇ですが、なにより京都市内の建物は悉く応仁の乱を乗り切ることができませんでしたから、平安時代の建物は例外的といえるのだ。

 醍醐寺の枝垂桜、染井吉野、山桜、八重桜、そんな情景に在って透けて見える桜の花々という無効に確たる五重塔の情景が映りこんでいる様子は、もう少し開花してしまうと花々に隠れてしまいますし、咲いていないと単なる遅れた冬景色となってしまう。

 春らしいといいますか、五分咲き七分咲きの枝垂れ桜を透かしてこの情景を撮影できたというのは。もちろん多くの方々が写真に記録する瞬間なのですが露出と圧縮効果とが、こういうのを絶妙というのか撮影できた、これこそ写真の醍醐味、というのかなあ。

 五重塔は、醍醐天皇の冥福を祈り代明親王が建立を発願したという歴史がありまして、その造営は二十年の時間を要しましたが天暦5年こと西暦951年に落成を迎えました、このころ天皇は既に村上天皇の時代、平安朝末期の混乱も始まったころとなっている。

 醍醐寺五重塔は応仁の乱の戦災も免れている一方、災害による被害は幾度も乗り越えているものの大破することも多く、例えば天正地震、天正13年こと西暦1586年の天正地震では大破し全壊直前にまで追い込まれるものの、倒壊だけは免れています。

 能登半島地震、今年は元日に、ちょうど親類のあいさつ参りという最中に地震が発生しまして、過疎地域故に傷跡は多い楽し難い大きな被害を及ぼしました、が、醍醐寺の五重塔を見上げますと、復興というものは意志があればできるのだ、という印象も。

 染井吉野の桜花は淡い白にややさくら色が薄曇りの印象を湛えていまして、しかし花弁は最もひろくひらき、これは不思議と空気中の振動、つまり雑音、音を吸収してしまうのか街中に在って静寂という、思想の探求に適した情感を醸してくれて好きです。

 山桜、日本に多く植樹された染井吉野の樹齢には人と同じくらいの限界があるとのことですが、江戸彼岸桜と並んでこの山桜は樹木としての寿命が長く、つまり大樹の桜を形成します、けれども開花と同時に若葉が茂るために独特の白さがなにか不思議だ。

 八重桜、強い鮮やかな色彩が何か紅梅の季節を思い出すような印象で、しかし遅咲き故に観桜の季節を多忙やほかの行事撮影などで逃してしまった残念な新年度の始まりという頃合いには、そうまさにこれ干天の慈雨のような情感を味わうことができます。

 醍醐寺、伏見区なのだけれども若干交通が不便ではあるところ、しかし豊臣秀吉以来の観桜という伝統を有する寺院であるために、これが今風の賑やかな花見の原型なのだ、という原点回帰的なひと時を、満喫できる寺院でもあるお勧めしたい祈りの場です。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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ウクライナ情勢-アメリカ議会下院ウクライナ追加支援予算案可決,ロシア軍チャシブヤールを狙う

2024-04-24 07:00:57 | 防衛・安全保障
■防衛情報-ウクライナ戦争
 弾薬とミサイルの供給再開の目処というものは大きいでしょう。

 ロシア軍は僅かながら前進を続けているがアメリカ下院はウクライナ支援法案を可決した、ISWアメリカ戦争研究所が4月20日に発表したところによれば、ロシアはクレミンナ南方のビロホリフカ地域、チャシフヤール南東地域、そしてアウディイフカ北西地域のオチェレティネ地域において前進し、アウディイフカ周辺の兵力再配置を実施した。

 アメリカ議会下院はこうした状況下で20日、ウクライナ追加支援予算案を可決しました。これは2023年11月より懸案となっているものの、アメリカ共和党一部の頑強な反対により成立しなかったものが漸く可決したとの構図で、これによりアメリカが欧州へ配備した物資の提供が可能に。数週間以内にウクライナ軍の前線に影響を与える事となる見通し。

 ロシア軍は六月にも大規模な構成を準備しているものと分析されていますが、ウクライナ軍の防衛体制は6月までに相当強化される見通しであり、ISWの分析ではロシア軍は6月に行うであろう大規模攻勢の内容を変更する可能性についても触れています。ただ、ウクライナ軍の体制が整う前にロシア軍が戦果を挙げるべく攻撃を強化する可能性も高い。
■チャシブヤール
 弾薬不足解消までに攻勢に出られる可能性が。

 ロシア軍が5月9日までにチャシブヤールを占領する計画とされる、ウクライナ軍のシルスキー総司令官が4月14日に述べた内容を4月21日付イギリス国防省ウクライナ戦況報告が紹介しています。5月9日はロシアにとり対独戦勝記念日という重要な国威発揚の記念日であり、毎年大規模なパレードを実施してきましたが昨年は大幅縮小されていた。

 チャシブヤール攻略はその延長線上に位置するクラマトルスク攻略の前段であるとシルスキー総司令官は分析しており、これはウクライナ東部における要塞化された都市群への攻撃の第一歩となる可能性があります。また早期に攻撃を開始するという点ではISWアメリカ戦争研究所のウクライナ軍支援強化前の攻撃可能性の分析とも矛盾しません。

 シルスキー総司令官の分析ですが、しかしチャシブヤールは高所に位置しており防御を強化した要塞都市の一つです。一方、ウクライナ軍作戦部のホルティツイア司令官はロシア軍の最近の状況として、航空攻撃として毎日20発から30発の爆弾を投下、Su-34戦闘爆撃機の滑空爆弾とSu-25攻撃機の近接航空支援が継続されていると説明しました。

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