榛名さんの総監部グルメ日誌
寒さというのは事後どうなるのかと思いつつこういう日は温かいものをいただきたい。
すき焼き、北大路機関だけでは無いと思うのですけれどもこの疲れたときや気分を盛り上げたいときのご馳走、やはりご馳走と言いますとすき焼きを頂きたくなるところです。自宅すき焼きも美味しいのですが、後片付け云々を考えますと、広いお店ですき焼きを愉しむというのも捨てがたい。
キムラ、ここは新京極と寺町がそのまま四条通のほうへ繋がる一角の、つまりアーケードの出口付近、寺町電気街への境界線の少し北側にありまして、修学旅行生には多少敷居が高いのかもしれませんが、学生でもランチタイムは手軽にすき焼きを愉しめるという、多分知名度では京都一のすき焼き。
牛肉を、すき焼きに仕立ててゆくのはお客様自身という焼き肉店の延長線上にあるような感じの店内となっていまして、そして意外に広く、さすがに満席かな、と思うようなときでも靴を預けて絨毯を敷いた階段を上ってゆきますといくつにも分かれた大部屋の座卓は意外に数多く並ばず頂ける。
鉄鍋に、こうお肉を並べてゆきまして、そして一面がお肉で満たされた頃合いに、白砂糖を雪のように、今年は雪降ったのに多忙とそのあと寝込んでいたとかをふくめると雪景色を窓から愉しむことしか出来ず、ああ金閣寺清水寺永観堂東福寺鞍馬寺神護寺大徳寺永平寺と思いながら見上げていた。
金閣寺は兎も角、永平寺ならば雪はあるのかなあ、と思ったりもするのですが、さあこの冬、もう一回くらい来たれドカ雪、とおもいつつ、白砂糖がすき焼きに溶けてゆく様をみる。京都も金閣寺の積雪などはへたすると午後には解けていたりするので注意が必要、ここの白雪は焦げ付かぬよう注意が。
すき焼き、煮立ってくると肉の色合いが変わってきますので、食べ頃かな、と思うのですが、そこがドシロウトノアサハカサよ、とお店の人に笑われないようにしっかり煮込んで、食材が料理になる分水嶺をしっかり待ちます、もちろん、お供にお酒があると清酒の柔らかさで待つ時間も愉しく。
生卵は、これがすき焼きをすき焼きたらしめているもので、これを出せるからこそ日本ではすき焼きが成り立っているのだなあ、と思う、これがないとすき焼き風煮込みでしかないのだから。しかし日本以外で鶏卵の生卵、もう少し生食用が浸透しても好いと思うのですけれども、文化の違いなのか。
仕上がったすき焼きを、清酒とともに、ご飯とともに、お供として一番手は皆さんどちらなのでしょう。わたしの場合は清酒を口に含みながら鷹揚な気持ちですき焼きが仕上がる様子を愉しみますと、ちょうど正一合の徳利が空になりますので、追加を頼みながら丼飯を先のおともに、としているが。
清酒は、しかし肴と言うよりはすき焼きが仕上がる様子を見てそれを肴にしているのだから、すき焼きのお供は一番手が清酒なのかもしれない、1998年からはるなさん名乗っているので艦これ運営開始15年前から似たようなことをやっていると言い続けている北大路機関はるなさんとおなじ。
すき焼きは、面白いのが、煮すぎにしていますと肉は硬くなるけれども味がしっかり染みこんでいてかみしめるとこれは良い肴になるのです、が、煮すぎていないお肉は柔らかくよく広がるので、ご飯の上で牛丼以上に贅沢に広げて大きいままシロメシをおおきくおおらかに包むように食べても好い。
自由なのが、こういうお店で頂くすき焼き名のだろうなあ、と考えるのです。キムラさん、自分で調理する楽しさを煩雑さと勘違いする人がいるのかもしれませんが、自分の流儀で自由に焼き上げて堅さ柔らかさと肴かおかずかを選んで頂ける、やはりご馳走と言えばすき焼きなのだなあ、と思うのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
(本ブログ引用時は記事は出典明示・写真は北大路機関ロゴタイプ維持を求め、その他は無断転載と見做す)
(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
寒さというのは事後どうなるのかと思いつつこういう日は温かいものをいただきたい。
すき焼き、北大路機関だけでは無いと思うのですけれどもこの疲れたときや気分を盛り上げたいときのご馳走、やはりご馳走と言いますとすき焼きを頂きたくなるところです。自宅すき焼きも美味しいのですが、後片付け云々を考えますと、広いお店ですき焼きを愉しむというのも捨てがたい。
キムラ、ここは新京極と寺町がそのまま四条通のほうへ繋がる一角の、つまりアーケードの出口付近、寺町電気街への境界線の少し北側にありまして、修学旅行生には多少敷居が高いのかもしれませんが、学生でもランチタイムは手軽にすき焼きを愉しめるという、多分知名度では京都一のすき焼き。
牛肉を、すき焼きに仕立ててゆくのはお客様自身という焼き肉店の延長線上にあるような感じの店内となっていまして、そして意外に広く、さすがに満席かな、と思うようなときでも靴を預けて絨毯を敷いた階段を上ってゆきますといくつにも分かれた大部屋の座卓は意外に数多く並ばず頂ける。
鉄鍋に、こうお肉を並べてゆきまして、そして一面がお肉で満たされた頃合いに、白砂糖を雪のように、今年は雪降ったのに多忙とそのあと寝込んでいたとかをふくめると雪景色を窓から愉しむことしか出来ず、ああ金閣寺清水寺永観堂東福寺鞍馬寺神護寺大徳寺永平寺と思いながら見上げていた。
金閣寺は兎も角、永平寺ならば雪はあるのかなあ、と思ったりもするのですが、さあこの冬、もう一回くらい来たれドカ雪、とおもいつつ、白砂糖がすき焼きに溶けてゆく様をみる。京都も金閣寺の積雪などはへたすると午後には解けていたりするので注意が必要、ここの白雪は焦げ付かぬよう注意が。
すき焼き、煮立ってくると肉の色合いが変わってきますので、食べ頃かな、と思うのですが、そこがドシロウトノアサハカサよ、とお店の人に笑われないようにしっかり煮込んで、食材が料理になる分水嶺をしっかり待ちます、もちろん、お供にお酒があると清酒の柔らかさで待つ時間も愉しく。
生卵は、これがすき焼きをすき焼きたらしめているもので、これを出せるからこそ日本ではすき焼きが成り立っているのだなあ、と思う、これがないとすき焼き風煮込みでしかないのだから。しかし日本以外で鶏卵の生卵、もう少し生食用が浸透しても好いと思うのですけれども、文化の違いなのか。
仕上がったすき焼きを、清酒とともに、ご飯とともに、お供として一番手は皆さんどちらなのでしょう。わたしの場合は清酒を口に含みながら鷹揚な気持ちですき焼きが仕上がる様子を愉しみますと、ちょうど正一合の徳利が空になりますので、追加を頼みながら丼飯を先のおともに、としているが。
清酒は、しかし肴と言うよりはすき焼きが仕上がる様子を見てそれを肴にしているのだから、すき焼きのお供は一番手が清酒なのかもしれない、1998年からはるなさん名乗っているので艦これ運営開始15年前から似たようなことをやっていると言い続けている北大路機関はるなさんとおなじ。
すき焼きは、面白いのが、煮すぎにしていますと肉は硬くなるけれども味がしっかり染みこんでいてかみしめるとこれは良い肴になるのです、が、煮すぎていないお肉は柔らかくよく広がるので、ご飯の上で牛丼以上に贅沢に広げて大きいままシロメシをおおきくおおらかに包むように食べても好い。
自由なのが、こういうお店で頂くすき焼き名のだろうなあ、と考えるのです。キムラさん、自分で調理する楽しさを煩雑さと勘違いする人がいるのかもしれませんが、自分の流儀で自由に焼き上げて堅さ柔らかさと肴かおかずかを選んで頂ける、やはりご馳走と言えばすき焼きなのだなあ、と思うのですね。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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