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東日本大震災発災14年【3】広域避難の反省-復旧と復興の循環と段階的発展を阻害

2025-03-11 07:00:08 | 防災・災害派遣
■3.11
本日3月11日は東日本大震災発災の日です。

震災と復興、失敗を認めるべきである能登半島地震の広域避難について。本日は東日本大震災発災の日ですので、あえて示すならば福島第一原発帰還困難区域の復興という問題を示すのかもしれませんが、復旧と復興を繋げる難しさについて、能登半島地震の対処が事実上失敗ではなかったのかという視座を考えてみましょう。

能登半島地震では広範囲の交通インフラが破壊されたため、広域避難という、地域ごと全部退避する方式が採用されました、能登半島から金沢へ、というような方式です。2004年新潟中越地震における山古志村、土砂ダム決壊の懸念から広域避難が行われたり、三宅島火山災害を背景とした全島避難、今世紀にあっても広域避難の実例はあるのですが。

広域避難、この問題点は、家屋などを復旧させて地域復興に段階を進めるための人材を根こそぎ移動してしまう、ということでして、もちろん交通インフラが無ければ住民の生活を支える事からできなくなるという部分は理解するのですけれども、それならば被災地に空輸その他で復旧物資を注ぎ込み、人員を移動させないという選択肢もあってしかるべき。

リスボン地震、1755年の歴史地震を実例に出しますと、当時のポルトガル政府は市街地の外に労働力を逃がさないようにして復旧人員を確保しています。ここまでいうのは極論となるのですけれど、一旦住民が被災地から移動してしまい、その間に大量の行政による労働力が供給されたとしても、住民はその労働力を自宅の復旧に充てる為の恩恵に預かれません、それが広域避難、住民が居なくなるという事の弊害なのです。

少子高齢化と地方過疎化、これだけでも次の大規模震災からの復興を難しくするわけですが、そこに広域避難という、復旧しなければならない状況で肝心の住民を被災地から遠ざける方法をとるのではなく、建機の空輸、辺野古代替施設建設でも実施した方法、そして物資空中搬送を行う事で、まず、復興の前に復旧を迅速化させる必要が、あるのです。

北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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