■発災14年
明日で東日本大震災から14年となります。

防災は自助を起点に自治体を中心とした共助と更に国を中心とした公助により構成される、これは例えば地域火災や水防などには当てはまる事なのかもしれませんが、東日本大震災規模の国家災害、我が国の場合は懸念されるのは南海トラフ地震、千島海溝地震、首都直下型地震、この当たりには自助では限界があると言わざるを得ません。

能登半島地震では側方流動という、耐震構造を住宅がどのように確保していようとも地形毎横に地すべりのように流動してしまう状況では、自助で成り立つものは何もありません、また、津波災害についても、安易に沿岸部に住居を設けるなという助言があったとしても、遡上高が44mにも達した東日本大震災を思い出しますと、限界がある。

防災政策には、イニチアチヴを政治が主導しなければ、これは強権的であるという批判がある事は呑みこんだうえで、個人や地域単位では限界があるということです。我が国では責任を分散させる傾向が、なにしろ応仁の乱がそれで起きたほど根深い水準で定着しており、他国は兎も角自国の場合に強権的な指導者を忌避する傾向が有ります。

東日本大震災規模の災害、しかし忘れてはならないのは、歴史地震を視た場合にあの規模の国難というべき災厄は定期的に我が国を襲っています。そうした上で防災を個人や自治体単位で準備する事はとても大切ですが、防災基盤を根こそぎ奪い去る巨大災害には、やはりある程度の強権が無ければ、見捨てられる人々が地域単位で生じてしまう。

国家緊急大権という憲法改正が必要となる水準の事態は当然予想できるのですが、これとて、他国は兎も角字奥の指導者に強権を求めず、しかし敢えて他国の強権の事例を挙げて得られる果実という偶像を政治的不満に反映させようとし、これを掬う擬態がポピュリズムを生むという展開があります。次の災害を考える際、留意すべき事項でしょう。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
(本ブログに掲載された本文及び写真は北大路機関の著作物であり、無断転載は厳に禁じる)
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
明日で東日本大震災から14年となります。

防災は自助を起点に自治体を中心とした共助と更に国を中心とした公助により構成される、これは例えば地域火災や水防などには当てはまる事なのかもしれませんが、東日本大震災規模の国家災害、我が国の場合は懸念されるのは南海トラフ地震、千島海溝地震、首都直下型地震、この当たりには自助では限界があると言わざるを得ません。

能登半島地震では側方流動という、耐震構造を住宅がどのように確保していようとも地形毎横に地すべりのように流動してしまう状況では、自助で成り立つものは何もありません、また、津波災害についても、安易に沿岸部に住居を設けるなという助言があったとしても、遡上高が44mにも達した東日本大震災を思い出しますと、限界がある。

防災政策には、イニチアチヴを政治が主導しなければ、これは強権的であるという批判がある事は呑みこんだうえで、個人や地域単位では限界があるということです。我が国では責任を分散させる傾向が、なにしろ応仁の乱がそれで起きたほど根深い水準で定着しており、他国は兎も角自国の場合に強権的な指導者を忌避する傾向が有ります。

東日本大震災規模の災害、しかし忘れてはならないのは、歴史地震を視た場合にあの規模の国難というべき災厄は定期的に我が国を襲っています。そうした上で防災を個人や自治体単位で準備する事はとても大切ですが、防災基盤を根こそぎ奪い去る巨大災害には、やはりある程度の強権が無ければ、見捨てられる人々が地域単位で生じてしまう。

国家緊急大権という憲法改正が必要となる水準の事態は当然予想できるのですが、これとて、他国は兎も角字奥の指導者に強権を求めず、しかし敢えて他国の強権の事例を挙げて得られる果実という偶像を政治的不満に反映させようとし、これを掬う擬態がポピュリズムを生むという展開があります。次の災害を考える際、留意すべき事項でしょう。
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