■京都御所から
大文字を見上げるというよりは遠望しつつ。
五山送り火、如意ヶ嶽の大文字、松ヶ崎の妙法、船形万灯籠、左大文字山の左大文字、嵐山の鳥居形と五山の送り火が順番にともされます。如意ヶ嶽の標高は472mとなっているのですが、ここに一辺あたり80mで文字通り大きく大文字が描かれる。
護摩木をたきあげるものですから、ともっている時間は10分前後で、しかし、妙法と船形と左大文字と鳥居形が順番に灯されてゆくものですから、気合いが入っている形はバイクなんかで一生懸命全部みようとするというかたもいるものです。
船形万灯籠は西賀茂船山に灯されまして、これは横幅200mと、護衛艦ひゅうが型と同じくらいですので、まあ、舞鶴に行かずとも護衛艦の大きさをイメージするにはちょうどいいのかな、と思う次第で。ただ、西賀茂は若干遠いので、普段見上げることの方が。
左大文字山は、まず左大文字山の標高が230mと低く、そしてここ、金閣寺拝観の際にみあげてみますと、ハイキング中のひとが火床に座ってランチしてたりするほど、気軽に上れると言うところ。ちなみにわたしは火床とVLSの上では飲食しないことにしている。
曼荼羅山、ホビーショップとおもわれそうな響きですが鳥居形をたきあげるのは嵯峨鳥居という嵐山の奥座敷というべきところにありますところで、なんでも松明、護摩木ではなく松ヤニを含んだ松明を掲げるために、赤みがかかった火になるという。
五山送り火、という名前が定着したのは比較的新しく、お盆の行事ということで、そのむかしには五山に限らず複数の山で送り火が行われていたと言いまして、左大文字は歴史書をみるとかなり新しく、一方、明治初期になくなった送り火もあるといい。
い。ブラウン管に初めて映されたことで瞬間視聴率100%を獲得したことで有名な"い"の字は明治初期まで市原、叡山電鉄の鞍馬のあたりで灯された文字だと言うことですが、点火していた山が国有地となってしまい失われたという歴史があったりする。
絵文字、おもしろいのは鈴が竹竿に吊された、これ遠景にはわかりにくそうな送り火もあったということで、西京区の松尾山に灯されていたのだといい、明治初期にやはりなくなったのだという。残っていれば、嵐山の送り火がにぎやかになっていたのか。
一、の字が鳴滝にあったともいいまして、これもやはり嵐山がもうすこしにぎやかになればなあ、と思うところです。これ、文字としては単純ですので、復活したらなあ、と思うところなのですが、保存会がなくなると再開は難しいのは理解する。
長刀を描いた送り火も嵯峨にあったといいますが、昨今、オーバーツーリズムが叫ばれるところですので、こうしたものが再開されたならば、なにしろ西賀茂のあたりと嵐山のあたりが送り火が増えるわけですから、眺めにくる方も分散するのでは、と。
送り火、昨年の記事を見てみますと、台風7号の影響で、と既視感がある話題になっていて、そうです一年前の送り火も台風接近で新幹線が計画運休になっていたのを思い出します。すると、来年、台風がこなければ東京あたりから見に来る方が増えるのか。
炎が揺らめく様子は、御所から如意ヶ嶽はそれなりには離れているのだけれども、しかしお盆で夏が終わるのだなあと言う実感が、少なくともこの瞬間だけは感慨深いものとなっていまして、そして、雨が降らなくてよかったなあ、と幸いを噛みしめるのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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(第二北大路機関: http://harunakurama.blog10.fc2.com/記事補完-投稿応答-時事備忘録をあわせてお読みください)
大文字を見上げるというよりは遠望しつつ。
五山送り火、如意ヶ嶽の大文字、松ヶ崎の妙法、船形万灯籠、左大文字山の左大文字、嵐山の鳥居形と五山の送り火が順番にともされます。如意ヶ嶽の標高は472mとなっているのですが、ここに一辺あたり80mで文字通り大きく大文字が描かれる。
護摩木をたきあげるものですから、ともっている時間は10分前後で、しかし、妙法と船形と左大文字と鳥居形が順番に灯されてゆくものですから、気合いが入っている形はバイクなんかで一生懸命全部みようとするというかたもいるものです。
船形万灯籠は西賀茂船山に灯されまして、これは横幅200mと、護衛艦ひゅうが型と同じくらいですので、まあ、舞鶴に行かずとも護衛艦の大きさをイメージするにはちょうどいいのかな、と思う次第で。ただ、西賀茂は若干遠いので、普段見上げることの方が。
左大文字山は、まず左大文字山の標高が230mと低く、そしてここ、金閣寺拝観の際にみあげてみますと、ハイキング中のひとが火床に座ってランチしてたりするほど、気軽に上れると言うところ。ちなみにわたしは火床とVLSの上では飲食しないことにしている。
曼荼羅山、ホビーショップとおもわれそうな響きですが鳥居形をたきあげるのは嵯峨鳥居という嵐山の奥座敷というべきところにありますところで、なんでも松明、護摩木ではなく松ヤニを含んだ松明を掲げるために、赤みがかかった火になるという。
五山送り火、という名前が定着したのは比較的新しく、お盆の行事ということで、そのむかしには五山に限らず複数の山で送り火が行われていたと言いまして、左大文字は歴史書をみるとかなり新しく、一方、明治初期になくなった送り火もあるといい。
い。ブラウン管に初めて映されたことで瞬間視聴率100%を獲得したことで有名な"い"の字は明治初期まで市原、叡山電鉄の鞍馬のあたりで灯された文字だと言うことですが、点火していた山が国有地となってしまい失われたという歴史があったりする。
絵文字、おもしろいのは鈴が竹竿に吊された、これ遠景にはわかりにくそうな送り火もあったということで、西京区の松尾山に灯されていたのだといい、明治初期にやはりなくなったのだという。残っていれば、嵐山の送り火がにぎやかになっていたのか。
一、の字が鳴滝にあったともいいまして、これもやはり嵐山がもうすこしにぎやかになればなあ、と思うところです。これ、文字としては単純ですので、復活したらなあ、と思うところなのですが、保存会がなくなると再開は難しいのは理解する。
長刀を描いた送り火も嵯峨にあったといいますが、昨今、オーバーツーリズムが叫ばれるところですので、こうしたものが再開されたならば、なにしろ西賀茂のあたりと嵐山のあたりが送り火が増えるわけですから、眺めにくる方も分散するのでは、と。
送り火、昨年の記事を見てみますと、台風7号の影響で、と既視感がある話題になっていて、そうです一年前の送り火も台風接近で新幹線が計画運休になっていたのを思い出します。すると、来年、台風がこなければ東京あたりから見に来る方が増えるのか。
炎が揺らめく様子は、御所から如意ヶ嶽はそれなりには離れているのだけれども、しかしお盆で夏が終わるのだなあと言う実感が、少なくともこの瞬間だけは感慨深いものとなっていまして、そして、雨が降らなくてよかったなあ、と幸いを噛みしめるのだ。
北大路機関:はるな くらま ひゅうが いせ まや
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