北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

DPRK(北朝鮮)核実験実施に関する一考察

2006-10-12 08:37:17 | 国際・政治

■事実関係

 北朝鮮は九日午前、国営の朝鮮中央通信を通じて初の核実験に成功した旨を報じた。七月の弾道ミサイル発射実験に続く国際的な挑発行為に韓国、ロシア、中国も反発し、十日より国連安全保障理事会も国連憲章第七章措置を含めた厳しい措置を検討している。

 安倍首相は、日本独自の厳しい制裁を視野に検討を進めており、核実験が実施されたという確証を得るべく情報収集を展開している。

 核実験発表とともに、各国はそれに該当する地震波を観測しているが、規模が小さく、日本周辺地域では、中ロによる地上での降下物測定に加え、航空自衛隊は集塵器を搭載したT-4を飛行させ、米英空軍も航空機による降下物測定を展開、情報収集を急いでいる。

■国連憲章に関する解説

 国連憲章第七章とは、国連による集団強制措置を定めたもので、39条に基づき「平和に対する脅威」「平和の破壊」または「侵略行動」にあたると安全保障理事会が決定すれば、非軍事的措置を定めた41条、若しくは軍事的強制措置を定めた42条に基づく措置を決定するもので、安全保障理事会決議は法的拘束力を有している。国連憲章40条には、安全保障理事会に対する要請を定めており、その目的は「事態の悪化を防止する為」であるから、悪化が見込まれる場合にのみ用いられるものとされる。

 一方で、例えば湾岸戦争における正当要素として米国は国連安保理決議678号を挙げており、これは必要とされるあらゆる措置を行使する権限を多国籍軍に授権したもので、これは国連の軍事参謀委員会が朝鮮戦争以降設置検討さえされていなかったためであり、指揮権を国連が保持する事も難しく、授権決議となった。

 参考までに国連平和維持活動は、6章でも7章措置でもない6条半と表現されていたが、ブトロス・ガリ事務総長のもとUNOSOM国連ソマリア活動から第七章措置とされた。しかし、ここにおいて大きな損害を出したことから、平和執行としての国連平和維持活動は改められたが、国連東ティモール活動から、活動こそ伝統的国連平和維持活動のままであるものの、七章措置としての国連平和維持活動となっている。

■NPTと核兵器に関する解説

 核不拡散条約(NPT)は、核兵器国として10条3項に1967年1月1日までに核兵器または核爆発装置を製造し、かつ爆発させた国をいう、としており、この条文の有効性に関してはソ連邦解体に伴う国家継承から、ウクライナが1967年以前にソ連邦として核実験に成功した事から核兵器保有の妥当性を提唱したが、1967年時点にウクライナは独立国ではなかったことを指摘され、核放棄に至らせた実績がある。

 NPTにおける核兵器国は、アメリカ、ソ連邦(現ロシア)、イギリス、フランス、中共である。

 なお、NPT第六条には、核兵器国に対する核軍縮義務を課しており、これは国際司法裁判所による勧告的意見においてもその有効性が確認されている。

■核兵器に関する解説

 核兵器はウラン原爆とプルトニウム原爆、水爆に区分される。

 ウラン原爆の製造法は、ウラン235を抽出し、臨界に至らせるものだが、核分裂を起こさないウラン234、ウラン238からウラン235を抽出するには大量の電力を必要とする。ウラン235は全体の0.7%しか存在せず、対してウラン238は99.3%が自然界に存在する。なお、ウラン234は0.0056%存在する。参考までに、ウラン原爆は広島に投下された一発のみが実用化されたに留まり、第二次大戦中に原爆を開発したマンハッタン計画では全米消費電力の10%をウラン抽出に用いている。こうした数字から、平壌以外恒常的な電力不足に悩まされる北朝鮮がウラン原爆を開発しているとは考え難い。

 プルトニウム原爆は原子炉などにおいてウラン238に中性子を当てることでウラン239に原子構造が変化し、放置しておくと-β作用により最終的にプルトニウム239となる。マンハッタン計画では、シカゴ大学のテニスコート上に小型原子炉を建築しプルトニウムを精製しており、北朝鮮に存在する小型実験用原子炉でも開発は可能と思われる。

 臨界に必要なプルトニウム量は初期には8kgであったとされるが、近年では技術の発達により2kgでも臨界に達することが確認されているが、プルトニウム原爆の起爆に用いられる爆縮(外部爆薬によりプルトニウムを内向的に収縮させ、臨界から核爆発に至らせる方式)は、プルトニウム周囲20箇所以上の爆発物を0.003秒以下の同調で爆破する必要があり、これ以上時間がずれると爆発は生じない。

■核実験は成功したのか

 北朝鮮核実験は、その規模について当初10キロトンとされたが、報道によれば1キロトン以下の爆発であったとするものもある。これは起爆に用いるTNTが爆発しただけではないかとの意見もあるが、音速の七倍もの爆風を生じさせる核爆発とTNTでは爆風が異なる。ただし、爆風速度の速いオクトーゲンであれば誤認する可能性もある。

 核実験についてはフランスF2やイギリスBBCも欺瞞工作、若しくは実験失敗ではないかと懐疑的である。韓国KBSは衛星情報から地形変化が見られないことを根拠にやはり懐疑的である。

 一方で、冷戦時代において核爆発を小規模化させる方策も存在する。地中に半径160㍍以上の球状空間を構築し、核爆発を行えば70キロトンの爆発を1キロトン規模の地殻変動に相殺する事が出来るとされるが、こうした工法を北朝鮮が可能であったかは疑わしい。

■日本の対応の選択肢

 安倍政権は追加の経済制裁を実施する方向であるが、米国は海上封鎖を含む厳しい措置を掲げて安全保障理事会に臨んでいる。ただし、ブッシュ米大統領は北朝鮮に対する武力攻撃には慎重な姿勢を示している。海上封鎖は武力紛争法の観点からは武力攻撃ではなく、武力行使に含まれる。

 日本は、PSI(大量破壊兵器拡散防止イニシアティヴ)のもと、PSIに定められた条項基づく臨検の国際的な訓練を重ねており、海上封鎖ではなく、PSIに基づく大量破壊兵器拡散防止に基づく禁制品の臨検という形であれば、海上保安庁、海上自衛隊の行動も可能であろう。ただし、自衛隊法上での位置付けは明確ではない。

 一方で、仮に核兵器による日本に対する恫喝が行われた場合はどうか。

 国際法上の観点からは、国連憲章51条に基づく自衛権や慣習国際法上の自衛権は、攻撃を受けた場合に急迫不正の状況があり、即座の行為として国連安全保障理事会が必要な措置を講じるまでの間、行使でき、この安保理の対応が不充分であった場合国連憲章42条の解釈によれば、更に充分な措置が行われるまで継続する事が出来る。ただし、自衛権の行使は均衡性が必要であり、2001年からのアフガニスタン空爆のような相手国の政権転覆までの行為は、懐疑的である。

 この場合、自衛権は攻撃が生じなければ行使することは出来ないが、イラク戦争に際して提示された理論が先制的自衛権の行使である。

 先制的自衛権行使とは、脅威が具体化し、耐え難い損害や死活的利益を左右する状況に先んじての自衛権行使であり、イスラエル軍によるパレスチナ治安作戦などにも正当化要素として挙げられている。日本自衛隊に朝鮮半島を攻撃でいるか否かを除けば、重大なテーマとなる。

 一方で、国連安全保障理事会による授権決議が為されればこうした国際法上の問題は授権決議に基づく行動とすれば問題がなく、場合によっては日本の国連外交の手腕が試される瞬間となろう。

■核危機と防衛力

 限定空爆による脅威排除の必要性が叫ばれている。ただし、これは能力的に疑わしい。何となれ、山間部などの対地攻撃の低空飛行訓練は、三沢の米空軍第35戦闘航空団のような際どい飛行訓練を、航空自衛隊第三航空団のF-2飛行隊が実施しているとは聞かない(実施していれば、米軍並の騒音被害が生じるはずである)。

 限定空爆に際しては、航空自衛隊はステルス攻撃機を保有していない為、損害を省みず、という状況を除けば絶対航空優勢の確保が必須条件となる。最新鋭のMiG-29や実用に耐えるMiG-23の数量は限られてるものの、例えばMiG-21であってもミサイル発射母機としての機能を有している以上脅威であり、約42箇所の北朝鮮空軍戦闘機部隊基地をクラスター爆弾による滑走路無力化し、JDAMやGPS誘導方式ハープーンなどの精密誘導兵器による攻撃を行うとしても、果たして移動式弾道ミサイルや秘匿された地下ミサイルサイト全てを無力化できるかは疑わしい。また、日本が保有する情報収集衛星が全ての目標を発見できるかも疑わしい。結果的に、米軍と韓国軍の協力、また付随的被害を被る韓国政府の同意が必須となる。結論として日本一国では不可能である。

 現実的対処としてはミサイル防衛による脅威の局限化である。

 航空自衛隊は、弾道ミサイル迎撃能力を有するペトリオットミサイルPAC-3の配備を急いでいるが、射程は15km程度と限定的であり、射程が弾道ミサイルの飛翔中間段階での迎撃能力を有する1100kmイージス護衛艦によるスタンダードミサイルSM-3の配備が望まれる。一方で、核兵器の運搬手段として潜水艦による核機雷や航空機(例えばMiG-29による局地的航空優勢確保の後、イリューシンIl-76輸送機による核爆発物の空輸)も考えられ、日本自衛隊は従来型の対潜水艦能力(ASW)や航空優勢確保の能力の維持も従来に増して重要である。核兵器の運搬手段は弾道ミサイルだけでは無いという認識が必要であろう。

■考えるに

 北朝鮮の核実験実施という“発表”に対して、慎重に、且つ有効性のある対応策を採る事が必要となろう。

■国際ニュース

■ABC:米国防総省ケイシー大将、イラク政策に関して必要とあらば2010年まで12万の米軍を駐留、ブッシュ大統領、ラムズフェルド国防長官はこれを支持、今後60日から90日までに軌道修正がなければ追加派兵

■BBC:イギリス第16空挺旅団アフガニスタンより帰国 アフガニスタンでの激しい戦闘により航空機や装備品の不充分不足を国防省に上申

■アルジャジーラ:イラク戦争開戦後の民生被害65万 イラク戦争後の一般市民に対する犠牲者が65万名に上ったと米国とイラクの研究者が発表(ジョンホプキンズ研究所とABC)

■CNN:ニューヨークで小型機がマンションに衝突、二名死亡、テロとの関係はなかったが戦闘機などが緊急発進

■KBS:日本政府、北朝鮮核実験をうけ、国連安保理において事実上の海上封鎖を提案、中ロ難色を示す

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藍より青き大空に 小牧基地航空祭 速報

2006-10-07 21:08:34 | 航空自衛隊 装備名鑑

■名古屋へ

 C-130H輸送機の拠点であり、救難航空教育の拠点である小牧基地、本日はその小牧基地航空祭へ展開した。

Img_8552_1   国際貢献活動に必須の装備である戦域輸送機C-130Hの運用を一手に任されているのが小牧基地の第401飛行隊である。イラク復興人道支援任務終了に伴う陸上自衛隊サマーワ派遣隊撤退により、国民の耳目は急速にイラクから遠のいている感が否めない今日にあっても、航空自衛隊は航空輸送支援の名目で、クウェートからイラク国内にかけて航空輸送任務を継続中である。

 航空祭当日は、台風から生じた温帯低気圧により多くの豪雨災害が全国的に生起するなか、文字通り幸いの快晴の下で実施する事が出来、強風と砂塵をものともせず、地元テレビ局報道によれば三万人の観衆が小牧基地へ訪れたという。名古屋市に隣接する小牧市に所在する基地は、基地内から名古屋市内のテレビ塔や名古屋駅前ツインタワー、豊田ビルを滑走路から望見することができ、かつて名古屋空港として栄えた往時を思い出させる。

Img_8310  航空祭は、救難教育隊のヘリコプターや救難機による飛行展示・救難展示に加え、第401飛行隊の輸送機による飛行展示・機動飛行・災害派遣訓練展示により進められる。かつては航空管制を教育する第五術科学校の練習機による飛行展示が行われたが、既報の通り練習機T-1Bの退役により本年は実施されなかった。それをものともせぬように、本年はUH-60JA5機による編隊飛行が午前午後と実施され、観客を沸かせた。

HARUNA

(本ブログの本文及び写真は北大路機関の著作物であり無断転載は厳に禁じる)

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立撮師列伝! 東北方面隊創設46周年

2006-10-02 23:37:39 | 陸上自衛隊 駐屯地祭

■仙台へ!

 「ちょいとすまねぇ、生姜を摘む間も惜しんで卵で掻き込んだ牛丼が胃の腑に落ちる暇もねぇ」『それがいけない』「何が、だ?」『卵だ』「卵の何処が?」『かき混ぜがいけない』「生姜は?」『それもいけないが卵は最悪だ』(牛五郎凶状旅より)

Img_7788_1  十月一日、吉野屋(予知野屋)牛丼限定復活に全国が沸く中、小生は陸上自衛隊東北方面隊創設46周年記念行事を撮影するべく、長躯、東北は仙台、霞目駐屯地へ展開した。霞目飛行場を会場としての記念行事は、その会場の広さや方面隊の規模もあり、観閲行進などの規模が大きい事で知られる。夜行バスにて払暁に仙台へ到達した小生はそのまま連絡バス乗り場に向かうも到達が早すぎたことを知り、良い機会と鉄道を介して仙台駐屯地へ向かった。

Img_7820 部隊巡閲を行う井上総監。

 仙台駐屯地より霞目飛行場までのシャトルバスを利用した。情報によれば仙台駐屯地から霞目飛行場までは15分、仙台駅から霞目飛行場までは20分、始発は0830時。フッ勝ったな、駐屯地祭では野戦特科と同じく一分一秒の陣地確保が結果を左右するって、真後ろに仙台駅発バス、アッ追い抜かれた!返せ戻せぇ~とおもいつつ、駐屯地からのバスは入り口が異なり、結果遠回りに。負けた・・・。

Img_7834  観閲台において指揮官訓示を行う井上総監。

 総監は訓示において、北朝鮮による弾道ミサイル発射事案や、一向に打開の展望を見せない邦人拉致事案に触れ、部隊の更なる精強化と、団結の強化を求めた。一方で、イラク復興人道支援任務における任務完遂と、東北方面隊からの派遣隊員の無事帰還を祝した。この他、自衛官出身の宮城県知事による祝辞、自衛隊協力会幹部の演説が行われ観閲行進へ進んだ。

Img_7781_1   式典に整列する隷下部隊の隊員たち。霞目飛行場(駐屯地は隣にあり、当日は非公開)は思いのほか広く、滑走路上での行事は東千歳を思い出させる広大なものであった。会場の奥には点々と車輌が並び、式典に整列した隊員の背後には広大な飛行場の芝生が広がり、ここが仙台市内であるということをしばし忘れさせるほどの広さであった。式典における観閲行進は主に第六師団の隷下部隊が実施したが、方面隊直轄の各種装備が式典を更に盛り上げた。

Img_7837_1  観閲行進へ向かう車輌部隊。車輌群が続々と移動する様はあたかも防衛出動に際しての、若しくは共同転地演習の戦略機動一場面のようである。何より驚くのは、ここが駐屯地であるということのみならず、林の並木のすぐ裏は住宅地であるということである。おそらく防音林であろうが、こうして写真で見ると、それを感じさせない。前から70式自走浮橋、92式浮橋装置、大型トレーラに載せられた施設器材が整然と前進している。

Img_7913  観閲行進に臨む軽装甲機動車。今年三月に第六師団が即応近代化師団へ改編され、装備を近代化している。青函地区を警備地区に有する東北方面隊は、特に北方脅威の低下に伴い、装備近代化の優先度が下げられた事により、こうした装備の配備は後回しとされ、青森の第九師団では普通科部隊も64式小銃を用いるなど相対的に旧式化が進んでおり、来年度、北部方面隊の第11師団が改編された後には、師団改編が行われると思われる。

Img_7946  第九高射特科大隊所属のL-90高射機関砲。スイスのエリコン社製高射機関砲で、目視照準のM-15/M-16高射機関砲の後継として配備が進められたが、航空機の高速化に伴い旧式化が進み、この他第11高射特科大隊を除き新型の93式近SAMへ更新が進んでいる。射撃準備に時間を要する点は欠点であるが、高射機関砲にも利点があり、ガン&ミサイルによる有機的な戦域防空網を構築する事が望ましいように思える。

Img_8031  方面隊ならではの装備として、第二施設団が保有する架橋装備。70式は車体そのものが浮揚力を有しており、河川に自走進入し車体を以て架橋する。92式は河川に後部の浮体を投入し、自動展開させたものを連結し橋梁とする。架橋装備は総数に余裕が無いため、各種架橋装備の混合運用を行うのが実情といわれる。ちなみに、92式は80㍍の架橋に120分程しか要しない(密着報告自衛隊:加藤健二郎著より)という、災害派遣の際には理想的な装備である。

Img_8038_1  66式メーザー殺獣光線車。巨大生物災害に際して、表皮細胞に対して大きな破壊力を有するメーザーを用いた対巨大生物用装備で、現在は新型の03式メーザー・・・、というのは大嘘で、坑道掘削車。太平洋戦争における島嶼部防衛線に際して、地下に埋設した指揮所や火力拠点の損耗が軽微であった戦訓から導入された装備品で、特に、応急資材により設置される掩砲所構築や指揮施設の地下への構築に大きな威力を発揮する。航空攻撃能力の近代化とともに、特にその秘匿の重要性が戦訓として挙げられるが、自己鍛造弾など砲弾の近代化には、その防護力付与が重要となろう。

Img_8076  方面特科火力の柱、多連装ロケットシステム(MLRS)。一両あたり12発のロケット弾により瞬時に広域を制圧する火力投射装置で、特に海洋を隔てての着上陸侵攻に対処するうえで、対空挺、対ヘリボーン、対上陸用舟艇、若しくは露出した人員や資材に対してに大きな制圧力を発揮する。一個MLRS大隊は日本では18輌からなり、米軍の27輌編成よりやや小ぶりである。高価であるのが難点であるが方面特科部隊への配備されている。

Img_8087  観閲行進の最後を第六戦車大隊の74式戦車が締める。第二世代戦車として陸上自衛隊の実質上の主力戦車の地位を有している。新防衛大綱により、冷戦時代1100輌を有していた戦車数は900輌、そして現在の600輌へと削減され、その代替として装輪式の機動砲の開発が進められているが、装軌式の戦車を代替しうるポテンシャルを有せるかには疑問が無いでも無い。戦車の行進が始まると、観客席から堰を切ったように拍手が沸き、乗員が敬礼で応えている。

Img_8133  陸上自衛隊のヘリが霞ヶ浦での事故により祝賀飛行を見合わせたが、航空自衛隊が松島基地よりF-2B、U-125、海上自衛隊が八戸基地よりP-3Cを祝賀飛行に参加させた。当初見合わせが囁かれたF-2の編隊飛行に集まった観客は機影に気づくが早いか大空を指差し歓声を上げた。この他、ブルーインパルスジュニアの飛行(走行?)展示などが実施され、会場を盛り上げた。霞ヶ浦での事故は霞目にて聞いたのだが、全国的に影響が出ているようである。

Img_8245  プログラムの最後に設定された訓練展示は、野外音楽演奏のチャイコフスキー“1812年”にあわせ105㍉榴弾砲が空包を発射する方式で実施された。ティンパニーに代え榴弾砲を用いる演奏は東北方面隊では初めてということであった。立撮に疲れたが、素早い陣地転換を繰り返し、これら一連の撮影を終え、土産物調達や装備品展示会場へと向かった、次の撮影に備えて。

HARUNA

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