北大路機関

京都防衛フォーラム:榛名研究室/鞍馬事務室(OCNブログ:2005.07.29~/gooブログ:2014.11.24~)

御所の西 京都 護王神社散策紀行

2006-10-21 21:03:37 | 写真

■京都写真特集

 京都御所に程近い、京都パレスホテルにて昼食の予定があり、同じくその隣にある護王神社を参拝し、写真を撮影した。

Img_0220  北大路機関では、定期的に京都の夜景や観光名所などを特集しており、昨今は自衛隊関係の特集がその大半を占めるようになっているが、久しぶりの観光名所として、あえて世界遺産ではなく、この御所に面した神社を特集した。

 写真は御所の蛤御門より見た京都パレスホテル。KBS京都の隣にあり、1000円の日替わりランチや1500円のステーキランチなどを楽しめる。なお、歴史に詳しい方はピンと来たかも知れないが、蛤御門とは幕末の禁門の変において当時賊軍であった長州軍と、京都守護に当たっていた薩摩軍が銃撃戦を展開した場所であり、当時の弾痕が薄っすらと残っている。この門も一部が焼け、“焼いて開く蛤御門”とうたわれている。なお、京都パレスホテルはかつての水戸藩邸であり、現在の同志社大学今出川キャンパスが薩摩藩邸であった。

Img_0199  烏丸通りに面した護王神社は、まさに通り一つを隔てて御所に面している。写真の左手に鳥居が見えるが、その右手の通りが烏丸通りである。御所には宮内庁施設に加え、ブッシュ米大統領も利用した迎賓館があり、御所は年に数回の特別公開の他前日までの予約により中を見学する事が出来、平安時代の面影を大きく残した美しい庭園や荘厳な皇宮建築の美を堪能する事が出来る。さて、護王神社であるが、鳥居の脇に、通常の神社であれば狛犬、お稲荷さんであればお狐さまが参拝者を迎えるのに対して、やや異なる風体のものが神社を囲んでいるが、これは猪である。これこそが、この護王神社の特色であるといえよう。

Img_0192  この神社は、かつて京都が平安京となる以前、桓武天皇に京都への遷都を進言し、また平安京造営に尽力した和気清麻呂(わけのきよまろ)と、その姉である広虫(ひろむし)を祭神としているものである。広虫は当時、都の飢饉や争乱により孤児となった多くの子供達を養育したことにより、その人徳は広く知られていたが、当時、政治は宗教者による道教が圧政を敷いており、貴族達は道教の政治的恫喝を恐れ、なおかつ道教はその権力を基盤として帝の地位をも得ようと画策しており、それを咎めた和気清麻呂を九州へ流した。しかし、桓武天皇の命により和気清麻呂と、広虫は都に呼び戻される事となったのだが、九州へ送られた道教の刺客が一行を待ち伏せしていた。しかし、突如台風が襲い、突風に恐れをなした刺客たちは我先にと逃げおおせてしまったという。

Img_0196  その後、都までを何処からともなく現れた多くの猪たちが和気清麻呂一行を警護するように同行し、都までの道中を守護したことにちなみ、多くの猪像が境内をかこんでいる。こうして都に戻った和気清麻呂は、794年の平安遷都へと尽力し、今日の京都を造営した訳である。対して、一度は帝の地位をも手中に収めようと画策した道教は失脚し、下総へと流され、尽きたという。この護王神社は、もとは神護寺境内にあったが、1886年に現在の場所へと移されている。地下鉄今出川駅より、南へ徒歩十分、京都御所を訪れた際には是非、足を運んでみては如何だろうか。

Img_0217_2  御所では、明日22日の“京都時代祭”に向け、準備が着々と進んでおり、神馬を繋ぐ杭が列を成していた。小生は明日、所用があって祭りを見ることは出来ないが、時代装束に身を包んだ行列が御所から八坂へと進むという。お時間がある方は、是非、観覧をお勧めしたい。

 HARUNA

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