■大阪城展開詳報
大阪城は、人口で日本第二の都市である大都市大阪にあって、通天閣などとともに大阪を示す一つのシンボルとして市民に親しまれ、その威容を放っている。
私事ながら書架整理も漸く終了し、全国的に大荒れという天候であるが、湖北が吹雪、関ヶ原も季節が一転した中、密かに銀世界の銀閣寺撮影を期していたが残念ながら積雪は無かった為、本日は大阪城展開の詳報をお伝えしたい。
今回大阪城に展開したのは、京都を離れる友人の『一度くらいは大阪城に登ろう』という提案に起因し、当初は『姫路城に行こう』という案が『大阪城にしよう』ということになり、大阪城・姫路城同日展開案を頂点として彦根城案や平安神宮で我慢する案などを経て、とりあえず大阪城に行こうということで固まった。
再建された天守閣ながら、大阪城公園として広く開放された敷地に広大な外堀と内堀を有し、また鉄筋コンクリートの巨大な天守閣はその威容を轟かせている。
大阪城へは、阪急電車にて展開したが、今回は河原町駅からの乗車ではなく、西院駅からまず快速急行に乗車し、桂駅にて特急に乗り換えた。残念ながら9000形ではなかったものの、通勤用の特急料金不要電車としては第一級の阪急特急の乗り心地は特筆に価し、一行は雑談を交えながら梅田駅に到着した。梅田駅直前には名物といえる三編成同時の発車を見つつJR大阪駅に移動し環状線へ、大阪城公園駅に向かった。
大阪城公園は名古屋城とは異なり天守閣部分を除き自由に入ることが出来る。写真の右側の建物は1931年に第四師団司令部として建築されたもので、戦後は大阪府警本部として用いられた後、1960年から2001年までは大阪市立博物館として用いられていた建物である。“淀”こと第四師団は戦闘では弱い師団といわれたものの、それが幸いしてか第二次世界大戦を生き残ったとの事である。ちなみに意外に思われるかもしれないが、両方の建物は同じ1931年の建築物であるという。
いよいよ大阪城へ。此処からは有料である。入り口のところに入場券売り場があり、ここから入るのだが、1700時へ遺憾ということで、1630時頃には入城制限が始まる。
私事ながら事務室への写真データ譲渡などで時間をロスしてしまった為、入り口で1700時閉館であることをいわれたが、同行の一名はこれが最後の機会となるやも知れない。無理言ってつり銭の出ない券売機から入場券を購入した。
展示は二の次である。まずは一番上へ、エレベータで5階まで昇り、そこからは階段との事である。名古屋城と同じく、城郭も実態は鉄筋コンクリート建築物、その近代的ななりに友人は驚いていた。
写真は第四師団司令部を上から望む。この周辺は戦時中まで、東洋一といわれた大阪造兵工廠があり、特に空襲の目標とされたが、幸いにして天守閣と師団司令部は直撃を免れた(この点、名古屋城は不運であった)。
大阪ビジネスパークを望む。
大阪城は1931年に再建されたと前述したが、これは日本における復興天守閣の第一号であるとされた。この大阪城は、豊臣秀吉時代のものを再建したと説明されているが、実際には徳川時代のものとも豊臣時代のものとも異なる天守閣の形状であるとされる。いわば、天守閣として思い描くイメージを最も重要視したものらしい。
豊臣秀吉の大阪城は1583年に建築されたが1615年の大坂夏の陣において焼失し、1626年に徳川幕府により再建されたが、1665年に落雷により火災が発生、再び炎上した。これにより江戸時代は天守閣のない城郭として用いられていた。大河ドラマでは江戸時代でも天守閣があるような描写があるが、あれは間違いのようだ(ただ、小型の天守閣に匹敵する四層櫓はいつ消失したのか、ご存知の方がいればご教授いただければ幸いである)。
1665年の天守閣焼失後、明治維新でも多くの建築物が焼失し、その後陸軍用地とされた際に幾つかの建物が取り壊された。1931年の天守閣再建までは市民の見学も出来なかったようである。なお、第二次世界大戦では天守閣こそ被害を免れたものの、残った歴史的建築物はあらかた破壊されてしまい、現在に至るという。
歴史の激動に飲み込まれた様々な跡地は大阪城ホールや野外音楽堂として用いられている。
しかし、如何なる歴史の激動も巨大なお堀や、石垣までは破壊できなかったようで、最大130㌧という巨石なども現代に残り、大阪城の巨大さを印象付けている。
大阪城を見学し、驚いたのは堀の巨大さであるが、同時に堀(20㍍の高さはありそう)から、身を乗り出し、釣りをしている人で、落ちないかということと、キャッチ&リリースの際に魚は無事かということだ。
短い時間ではあったが、この他銃眼の見学や記念撮影などを行い、大阪環状線にてヨドバシカメラに立ち寄り、撤収した。大阪城は名古屋城。熊本城と並び日本三大名城といわれるが、その威容は迫力充分であった。ただし、城外のエレベータだけは、櫓風に際建築した方が井伊と思った次第だ。
HARUNA
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