イキイキと生きる!

縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

本当の夢に向かって飛ぶ知恵 (2/10 宝のストレス曲線)

2021-08-25 | 第三章「無意識の世界」

こうしたコロナ禍の中でパラリンピックを開催するのはご存じのとおり賛否いろいろだが、私はかつて障がい者との関わりがある仕事をしたこともあり、パラリンピックの開会式を興味深く見させていただいた。そして、開会式の「片翼の飛行機」にはとても感動してしまった。最後の片翼の飛行機が滑走路を飛び立ち「WE HAVE WINGS」と表示されたときは涙が込み上げてきてしまった。こうした夢への飛翔の問題は何も障がい者だけの問題ではないと思った。健常者でも同じように問題であるし、もちろん私にとっても今でも大きなテーマである。

私たちの心を自由にさせない(夢への飛翔)感情には病的な劣等感、罪悪感や喪失感などがあるが、なかでも劣等感は個性から必然的に生まれる課題挑戦への意欲を削ぎ、周りの親しい人から見れば謎に見えたりする。

心のどこかにある夢をあきらめるのは意外に簡単。こころを安定させる防衛機制はたくさんある。私なら、「もう年だから」「他にやること多いし」(合理化)、「何もそこまでして」(逃避)、「古希の爺さんに何をしろというんだ!」(反動形成)・・・防衛機制は心を安定させるもので決して悪いものではないが、悔いのない人生を送るという面で悩ましい障害も生むので、心のどこかに負の面があることを残したほうが良い。

夢を実現するにはどうするか。8歳ごろから12歳は技能の時期とも言われ、その基本的なノウハウを学ぶ。劣等感はネガティブな感情であるが、こつこつと勤勉性で努力すると結構報われるものである。自分のこの時期。身体が小さかった私は、どういうわけか学校の成績では体育が得意であった。算数や国語などは・・・これは今から考えると劣等感の関係もあったのだと思う。

それから、もう一つは自分の夢の発見である。振り返ってみると、少年少女の頃の夢は自分の夢というより両親や家族の夢であったりするし、大人になってからも本当の自分の夢は意外にはっきりせず悶々とすることも。さらに、どれが追うべき夢であるかも定かでなかったりする。朝眼が覚めて昨晩見た夢を忘れるがごとく夢は頼りない。

しかし、自分の本当の夢はこころのどこかに必ずある。自分の個性の美と関係が深いかもしれない。個性の美は今月のブログでも紹介したが病理と紙一重かもしれない。この世の中は素晴らしいものと危険なものが隣り合わせにあるようだ。そこは豊かな知恵で補い追うべきかもしれない。

自分の夢を探す方法。それは結構難しい問題であるが方法は確実にあり、このブログで10年以上追いかけてきたテーマでもある。

1/10 宝のストレス曲線 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。 

     サンプルもあります。

 
       縄文小説 森と海と月   五千年前の祖先の愛と魂
       森 裕行

       なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

       私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

       著作がありますのでご注意ください。

 --------------------------------------------------------

 


決断とか覚悟とか・・(4/10 世界を広げて楽しく暮らす)

2021-03-04 | 第三章「無意識の世界」

コロナ禍が長引く今日この頃。さまざまなところで大きな変化があり、一国の長から私のような市井の庶民にいたるまで、結構決断とか覚悟を要求されたりする。

しかし、そういう局面、決断や覚悟が派手に問われること自体が、もう遅くて瓦解がはじまっている現象のように思う。問われるほうも問題だが、問う方も問題なのである。

私の師は予防がお好きのようだ。「生き甲斐の心理学」も見方を変えれば心の不健康への予防という意味がありそうだ。そして、つらつら思うが、心が健康で五感・体感が冴え、さらに自己愛ではなく普遍的な愛を志向していれば、日々刻々、良い小さな決断や覚悟がなされ、地味な中に物事が進んでいくように思う。派手に自分で決めたり覚悟するというより、結果としていつのまにか動かされているような地味な感覚。

ちょっと格好が良いことを言い過ぎたが。私もこまめな覚悟や決断ができるまで(身近な人からふんと笑われるかもしれないが)の授業料は結構高くついたようだ。そして、20年前にU先生の門をたたき学びを始めたが、知識を詰め込む学びとは違い、おそらくアスリートのように心を鍛えていかねばならず、馬齢を重ねたように思うし、今も門をくぐったばかりのように感じている。

もうひとつ、決断とか覚悟とかがまともかどうかは、真善美に照らしてみると明確になるように思う。特に社会的な決断では善が大事なのではないだろうか。極端だが戦争は何故はじまるか。縄文時代は何故いわゆる戦争がなかったかなどは、非常に面白いテーマである。

4/10 世界を広げて楽しく暮らす

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのでご注意ください。

 ------------------------------------------------------------


ほどよい自分の範囲(ディスタンス?)とは・・・(自己実現、今も昔も 9/10)

2020-12-01 | 第三章「無意識の世界」

11月の後半。所属するNPOの15周年記念展と信州・甲斐の旅(土偶と黒曜石の旅)があり充実した日々であった。さらにオンライン勉強会を控えていたので、あるテーマについてあれやこれや考えを深めることもできたようだ。それは、自分の範囲というようなことで、おぎゃーと生まれてこの世に誕生したのではあるが、独立した存在のようで従属しているようでもあり、道具その他と自分との関係も隔たったいるようだが、いつのまにか自分の一部となってたりもする。そんな、あやふやな存在としての自分とその範囲。

写真は中部土偶札所巡り27番の中道の香炉型土器である。以前、長野県長和町のポスターで見て一度見に行きたいと思っていたのが11日25日に実現したのである。この土器を信仰の対象としたのか、灯火のために使ったのか香炉などで使ったのかはよく分からない。しかし、私たちと同じ人間(脳科学的には同時代)があるモノを作り使ったりするのは、多分、現代の心理学者のエリクソンやロジャースの人格形成理論に則っていると考えても良いのではないかと思う。

幼い頃に自転車の乗り方を親や友達から教わり、乗れるようにやっとなる。やがて、乗り回していると自転車が自分の一部のようになっていく。これはロジャースの命題8を下手くそに平たく説明したものだが、道具とか生活の施設などもそういうものであるし、さらに親とか子、所属する組織の人なども自分の一部のようになっていくところもある。また、逆転し自分が家族や組織の一部になっていたりもする。

そういった曖昧模糊としている自分の範囲は、普段では気づきにくいところではあるが、道具が壊れたり、親しい人が病気になったり死を迎えたりすると大きな痛みとなって気づくものである。コロナ禍も私にとっては、そうした気づきを与えてくれた大切な出来事であったようだ。私の範囲はどこまでだろう。私のいのちとは何だろう。

ところで、最近は7-8世紀の記紀・万葉集が成立したころの文字の功罪ということが気になっている。万葉集の歌も本来は口承の歌謡等の縄文から続いてきた文化の流れをくんでいる。しかし、文字は万能ではなく一部の情報しか残せていない。民謡の抑揚や微妙な音の変化が完全に五線譜に残せないように、当時の人々が歌謡を通し知覚し愛した感覚は、どの程度文字に残されたのだろうか。そうは言っても、今、万葉集巻一巻二を読んでいるのだが、私たちの文化が失っていった、豊富な五感と体感に彩られた言霊文化の存在を感じてしまう。

当時は殯(もがり)の文化もあり、時には数年かけての葬式もあった。挽歌も万葉集では大事にされ沢山載っているが、自分の一部というかその逆もあるかもしれないが、その喪失の感情がビンビン伝わってくる。今も昔も同じだと。恐らく、もっと昔の中道の香炉型土器の時代でも同じような喪失感と葬儀が営まれていたのだろう。また、縄文時代のモノを送る貝塚文化もそうした視点で考えるととても分かる。自分の範囲に関する、今では失われつつある感覚が当時はイキイキとしていたのだろう。

自分の範囲という意味には、人が人を支配することも含まれるだろう。律令国家成立のころの時代は自分の親兄弟をも犠牲にするような世界が繰り広がれていたようだ。先にご紹介した壬申の乱のころの痛みはこの系図を見るとよく分かる。

さまざまな組織では自己愛?が問題になっているようだ。政治の世界にこうした問題が起こらないことを祈るばかりだ。

何となく暗くなる世相であるが、世の中には希望があるように思う。先日のNPOキュールの15周年記念展もそうであった。コロナ禍の困難な状況で15周年記念展が出来たのは何だったのだろう。喧嘩別れをするNPOが多い中、15年もU先生を中心に派手ではないが続けてこられたのは何だったのだろう。心地よい自分の範囲(ディスタンス?)をキープしつつ。ほどよい甘えとプラスα。感謝・感謝である。

以下、旅の思い出と記念展の写真を・・・

       

     

     

 

 

 

(自己実現、今も昔も 9/10)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------

 

 

 

 

 


コロナ禍での不安感から温かいものが・・(自己実現、今も昔も 2/10)

2020-10-09 | 第三章「無意識の世界」

悔いのない人生を歩むために何をするか。綿密な事業計画を理性的につくる。20年前の私であればそうしたかもしれない。もちろん、そういうやり方も悪いわけではないが、U先生の生き甲斐の心理学を20年近く学んだ私は、少し考えを変えた。それは、五感・体感も含めた感情の世界のほうが頭で考えることより自己実現には役立つという考えだ。自分の無意識の世界とのつながりが五感・体感も含めた感情の世界のほうが意識の世界・理性よりあるように思えるからだ。

感情。特に、日々の様々な森羅万象から舞い降りてくる不安感。これは、私に何かを伝えようとしているように思えてならない。自分の無意識の世界から、自分の内なる何かが伝えようとしていることが不安感に託される。キリスト教文化的に言えば、それは聖霊からのメッセージと言うかもしれない。

さて、コロナ禍の昨今。親しい人との交流がかなり狭まれてしまった。生き甲斐の心理学の勉強会も新宿でいままで普通に行っていたが、今はZoomに切り替えようと努力している。しかし、オンラインも一見良いようであるが、意識の世界では視覚、聴覚で十分かもしれないが、触覚、味覚、臭覚のないコミュニケーションは同じように創造的になれるだろうか。意識だけでなく無意識の世界まで含めると、私の世界は随分狭まったように思う。臭覚、味覚、触覚といった大事な感官が使えない。サケであったら自分のふるさとの川に帰れなくなるし、指先のパチ二小体を生き生きと使えない触覚不良の日々は心が安まらない。

かつて私は大企業を辞め、職業訓練校で学び資格をいくつか取得して、福祉の仕事を志したことがある。そのころのことを最近よく思い出す。コロナ禍はどうも私にとっては障がい者の世界に似ているようなのだ。高齢者(私もその一員になっている)も障がい者とも見方を変えると言えるが、五感を制限される日々もある意味障がい者の暮らしに近いかもしれない。気軽に一緒に語りビールを飲んだ日々はどこかに行ってしまった。その慢性的になりつつある不安感。障がい感とも言おうか・・・

そして、障がい感の原形という不思議なことを考えてみた。幼い頃は、大人は巨大であり、地面や小石がやけに近い存在であった。歩くのも大人の一歩は巨大で自分は何歩も歩く。私が幼かった1950年代後半は今よりずっと物質的には貧しく。都会の路でも臭い犬の糞がたくさんあり、ハエが飛んでいた。悲惨な光景も結構あったようだ。それは一つの障がい感と呼ばれるような大人になりきらない人間の感情だったかもしれない。

幼少のころ。私の家は普通のサラリーマンであったが、小学校に入ると両親に新しい靴を買ってもらった。住んでいた町の中では私はちょっとお坊ちゃんだったのである。しかし、それが何故か気にくわず、その靴にわざと土をなすりつけて汚くし、登校しようとしたことがあった。その感覚は結構一貫しているところがあり、何となく貧しくなりたいという想いがどこかに隠れ、人生の岐路で自分にささやいていたように思う。まあ、ある時期福祉の世界に飛び込んだのは、その違和感なのだったようだ。そして、今は福祉の仕事をやめてしまったが、コロナ禍の中でその違和感が顔を出し始めているようにも思える。

さて、今は持統天皇と縄文時代のことをいろいろ分析・思索している。

持統天皇の幼少期は恐らく難波津で祖父の石川麻呂や母の越智郎女。時には祖母の斉明天皇と親しく交流したのだと思うが、父の中大兄が石川麻呂を持統天皇が幼少の時に謀殺してしまう。謀殺かどうかは謎な部分があるが母・越智郎女は嘆き悲しみ、それが元で早くなくなるが、渦中で産んだ健皇子(持統天皇の弟)は身体障がいで生まれ、やがて8歳で夭折される。祖母の斉明天皇はこの健皇子を心から慈しんだのであろうか、自分が亡くなる時に健皇子を合葬してほしいと言い残した。やがて斉明天皇は亡くなってしまうが、天皇の意思通りにはならず、現在推定されている斉明天皇と間人皇女の御陵(牽牛子塚古墳)には健皇子は埋葬されていないようだ。いろいろないきさつが在ったと思えるが、持統天皇がどのように健皇子のことを想っていたのだろうか気になる。

ただ、持統天皇は政治家として、日本のさまざまな宗教を大事にされたが、ご個人の宗教は玄奘三蔵に直接あったという道照の影響が強く、仏教ではなかったと私は想像している。天皇として最初に道照和尚とおなじく火葬を選択したというのもそれだ。奈良時代になると仏教がどんどん興隆するが、それはひょっとすると持統天皇。そして、明らかではないが持統天皇の幼少期に原因があるかもしれない。

1300年後の現代にまで影響を及ぼしているという持統天皇の活動の裏に、健皇子の悲惨があったのではないか。そんな気もしている。

(斉明天皇と間人皇女が埋葬されていたとされる)

時代は変わる。縄文時代の障がい者で有名なのは、北海道南部の入江貝塚の入江人骨9号である。札幌医科大学第2解剖学講座の研究で、20歳未満の恐らく女性で、思春期後半にポリオなどの原因で寝たきりになり、数年看病されて生き続けたものの亡くなった方のようだ。文字が残される時代ではなかったので、どのような家族でどのような考えでそのようななったかは全く不明であるが、厳しい環境の縄文時代であって、一人では生きられない人をも大切にされていたということで大きな話題となった。私も衝撃を受け2016年末に上梓した縄文小説に、魂の思想の表れとしてある登場人物に託した。

今も昔も、幼いころの不安感は、何か基調となるような大事なことを知らせてくれるように思う。そして、今のコロナ禍での不自由生活。その中での不安感は何かを語ってくれているようだ。

(自己実現、今も昔も 2/10)

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------

 

 


自分を大事にできない心に向き合ってみる(心の世界は今も縄文時代も 8/10)

2020-09-07 | 第三章「無意識の世界」

  自分の身体と心と魂を大事にしようと思っても、何となく卑屈どころか自虐的、何となく傲慢どころか暴力的な傾向になっている自分がいたりする。

   U先生がとても的確な言葉を教えてくれた。邪眼。自分では邪眼になっているかどうかはよく分からないものだが、野生の動物の写真を撮ったりしているときに、カメラを構えるとすぐ逃げたりして良い写真が撮れないときなど、何か自分の邪眼を意識できたりする。

 自分の微妙な感情転移を動物は察するのだろうか。

 自分を肯定的に感じているか否定的に感じているか。他者を肯定的に感じているか否定的に感じているか。今日は自分にも他者にも肯定的、そう思える一日は平安な良き日であるが、そうとも言えない卑屈な日、傲慢な日は邪眼なのであろう。

 さらに、無意識の世界もあり邪眼の遠因だったりすることもあると思う。

 私は生き甲斐の心理学を学び、自己分析をする中で6歳のあの出来事、10歳のあの出来事というように、感情を抑圧したことによる罪悪感や劣等感が、良い悪いは別にして個性を形成し邪眼を引き寄せたかもしれないなと気づくことがある。しかし、それは意識化することでオセロゲームのように反転し慈眼を引き寄せることもあるかもしれない。

 人生の後半になってから、経済的には安定した仕事を辞めて、何となく3K的な仕事にむかったのも、無意識的にスイッチがはいったからかもしれない。

 縄文時代の論文を読んでいたら、殺傷ごとのことがでていた。縄文時代は環濠集落や人を殺傷することを目的とした兵器の出土がないことから、平和な世界、時にはユートピアのように考えられたりすることがある。しかし、現実には縄文時代の人骨などから、至近距離から弓矢で殺傷されたり、石斧で殺傷されたりする事例が10件以上指摘されている。

 激しい嫉妬心から人を殺そうと考え、そして実際に行動してしまう。衝動的な感情の中で思わず人を殺してしまう。もちろん自殺ということもあるだろう。そのようなことが確実に縄文時代にもあっただろう。

 もう3-4年前に上梓した縄文小説の中にもそうした挿話を入れたが間違いではなかったと思う。そして、こうした悲劇が起こらないようにすることもきっとできたかもと。本人の考え方が強制されることなく何となく変われば、そうした悲劇は起こらなかったと。邪眼の人に慈顔で接する人の存在が大事だと・・・宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」に出てくる主人公のような人など理想かもしれない。

心の世界は今も縄文時代も 8/10 

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ <・応援いつも感謝しています!

 ------------------------------------------------------------

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」購入方法

1.紙の本の入手については・・・

  四ツ谷サンパウロさんへ 定価(1,500円+税)送料別。

  電話:03-3357-8642(書籍・視聴覚)

    住所:〒160-0004 東京都新宿区四谷1-2  

2.電子書籍版は定価(1,000円)でアマゾンさんで、

  Kindle unlimitedなどの特典で無料でも読めます。

 

 サンプルもあります。

 
縄文小説 森と海と月: 五千年前の祖先の愛と魂
森 裕行

 

  なお、カスタマーレビューを書いていただけると励みになります!

 尚、私の電子書籍は現在この縄文小説だけです。同姓同名の方の

 著作がありますのげご注意ください。私の著作の確認はこちら!

 ------------------------------------------------------------