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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

縄文遺跡を妄想しつつ、多摩の散歩を楽しむ(縄文時代の楽しみ方1/10)

2020-03-20 | 第二章「五感と体感」

 先日、この数年で開発が進んだ為に昔の面影が消えていく多摩ニュータウンの縄文遺跡を散策した。新コロナの影響で、高齢者は人混みを避けたほうが良いというので、この散策は久しぶりの楽しいひとときであった。訪れた場所は中央大学多摩キャンパスの近くで、最近道や公園が整備され、バスが通り始め住民も増加している地域だ。ただ、その中に縄文遺跡が眠っていることを知っている方は多くはない。もう6-7年経つが、縄文時代に興味を持ち、初めてこのあたりを訪ねた時は、この遺跡についても殆ど知識がないことが幸いして、知識優先ではなく五感体感で湧き上がる感情を今より楽しんだかもしれない。殆ど人通りがなく淋しいが懐かしいような場所だった。

   

多摩ニュータウンNo.446遺跡の南東側にある神社。道祖神が祀られている。

 

 
446遺跡の西に位置する多摩ニュータウンNo.446B遺跡あたりにある小さな公園。

 

  

二つの遺跡の真ん中を走る沖ノ谷戸公園の北側の愛宕神社。近くに八王子でも有名な富士山や丹沢山系が望める丘がある。私の好きな一帯である。

 この多摩ニュータウン446遺跡と446B遺跡周辺は、3年前に上梓した「縄文小説 森と海と月 5000年前の祖先の愛と魂」の主人公が生まれ育った場所でもある。446遺跡は環状集落で同時期に6つの小グループ12軒の楕円(長軸135m、短軸75m)をなす竪穴式住居群により構成されていて、約5000年前ごろに20年くらい使われていた集落だ(安孫子昭二著 小林達雄監修 縄文中期集落の景観 2011年 参照)。今と比べて縄文海進で大きな川であった大栗川の左岸に位置する舌状地だ。近くには多摩ニュータウン遺跡72といった多摩ニュータウン地区で最大の村があり、こうした446遺跡のような村がどのように生まれ短期で廃絶されていったかは興味深いところである。

 約5000年前頃は、富士山や諏訪湖を巡るように、関東西南部、中部高地を中心に同じような芋類や雑穀を基盤とした文化があったようで、富士眉月弧文化圏と呼んでいる研究者もいらっしゃる(富士見町井戸尻考古館 井戸尻第9集 2019年 参照)。拙書はその文化圏の物語なのであるが、今度八王子市で講座の講師をすることもあり、自分の小説とその元となった「生き甲斐の心理学」の論文も再読し、遺跡周辺を確認することもできた。

 12軒(6グループ)の住居はどのような人達で構成されているのか。中央広場には家長と思しき人々の墓地や厨房施設があり、特別な意味があったようだ。様々な祭儀も行われたのだろう。どのような宗教を信じ、どのように生きていたのか。この遺跡や近接の母村といえる72遺跡では、富士眉月弧文化圏(おそらく、同じような言語、同じような宗教や出自を持つ)の中で、どのような機能を担っていたのだろうか。海と山を繋ぐような場所でもあり、交易上でも要所だったかもしれない。そんな好奇心から小説が生まれたようだ。

 小説を書く動機はまだ他にもあった。U先生の「生き甲斐の心理学」を学び論文を書く補助として小説が発想されたのだ。「生き甲斐の心理学」は約100年の伝統をもつ西欧の臨床心理学の伝統から生まれてきている。なじみ深い学者としては、カール・ロジャース、フロイト、ユング、エリクソンなどが挙げられる。現代の心理学であるから、宗教の世界とは一線を画すが、魂の存在をどのように考え、信じることで何が見え何が見えなくなるかなどは研究テーマになる。そして、それに興味を覚え、小説を書き始めたのだった。どのような魂を信じているかにより見えてくる世界は違ってくると思うが、例えば愛そのものといった魂はどうだろうか。縄文時代を研究すると、本格的な戦争はなかったことは多くの学者から指摘されているし、北海道の入江遺跡からでた若い女性のがポリオを患っていたと推測できることから、何か福祉思想さえあったのではないかとも思えたのだ。

 好きな人を大事にすることは、誰にでもできることだが、利害が衝突したり、嫌いな相手と向き合う場合にどう振る舞うかは大いに悩むところである。それは感情の問題であるが、実は人間をどう考えるかという哲学・宗教のエリアのようである。英語を学ぶと日本のこころに相当する言葉でMind, Soul, Heartなどがある。昔なんだかややこしいと思ったことがある。しかし、U先生の次の式は比較文化や比較宗教学の影響もあると言われているがとても分かりやすい。

A=B(X+Y)

    Aは全体としてのある人
 Bは死んで身体から離れる生命体。愛そのもの。
 Xは生育史からなる心。
 Yは身体そのもの。

この式の人間観はどんな人の中にも愛そのものの魂が宿っているというもので。そうした魂をどこかに持つ人間は、それだけで大いなる価値があることになる。

 U先生のブログには、このBを信じることで、「嫌な他者が減り、周囲に友好的な関係が増えるほどに、何故か幸せ感が増えてきます。愛である魂を信じると人生が爽やかに、新鮮に見えてきます。」(生き甲斐の心理学 自分に驚く! 2007/8/10)という一節がある。

 このことは、今までの経験の中でいくつか思い当たるところがあり本当だと思う。短期ではあったが福祉の仕事をしていたときには、日々意識することで何かが変わるように感じたものだ。

 さて、遺跡周辺を散歩していると、5000年前の人達を3年前に描いた拙書をいろいろ思い出す。気候変動や疫病、人間関係で苦しんだ登場人物は私の分身のような気がする。

 この地に、ある時期から12軒、100人程度の人が住み始める。そして、家を一度建て替えたりした後で、恐らく数十年後に村を捨てて別の場所(72遺跡?)に移り去り、村は廃絶される。その経緯には何があったのだろう。彼らの住んでいた縄文中期には、祖先はいろいろな足跡を残している、報道され脚光を浴びた有名な遺跡も少なくない。500年くらい続いた水産物加工所と目される北区の中里貝塚。鋭い切れ味のある黒曜石の原産地、星糞峠の鷹山遺跡群。刺激的な研究対象とされる中部高原の遺跡や遺物。富士山の噴火時に地中に残された遺物出有名な上中丸遺跡。あるいは貴重な人骨が発見された加賀町2丁目遺跡。もちろん他にもいろいろあるが、そうした出来事を結んで紡いだみたくなった。

 少し話しを戻そう。数十年という期間に誕生と廃絶という事件があった村。何があったのだろう。もちろん具体的な証拠が得られないため謎のままなのであるが、小説にはなる。拙書ではあることが原因としたが、今の新型コロナウィルスで頭がいっぱいだったら、疫病などを原因として話しを展開したかもしれない。

 私たちの縄文時代の祖先は、5万年前とか6万年前にアフリカとかアラビアあたりから世界に拡散していった。しかし、それはホモ・サピエンスだけでなく他の生物も引き連れていったようだ。最近の遺伝子科学の進歩により、ピロリ菌、ハシカ、成人T細胞白血病なども引き連れていったようだ(感染症の世界史 石弘行著 角川ソフィア文庫 2018年 参照)。人口密度が上がると疫病がはやりやすくなるらしい。446遺跡は72遺跡にくらべると狭く、疫病が原因だった可能性も捨てきれない。

 平和な日常が大いに変わり疫病が起こる。そうした中で、魂を信じる人、信じない人、当時もいろいろな人がいたと思うが、どのように事態は進行したのだろう?

 今の時代も、世界各地で、混乱で暗くなる人もいるが、一方で90歳台でスマホでお友達と楽しくビデオ通話をされている方もいらっしゃる。事態に悲観するひともいるが、明るく立ち向かう人もいらっしゃる。事態をどう受容し、どう解釈して行動するかが鍵だと思うがどうだろう。

 緊張し真面目すぎると受容も解釈も不自由になる。のんびりと鼻歌がでるようだと自由が訪れる。とはいえ思い通りに自分をコントロールすることは難しい。やはり、等身大でやるべきことをやり、後はケセラセラで神仏を頼むのが私の場合は良いようだ。

縄文時代の楽しみ方 1/10 

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