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縄文小説家・森裕行のブログです。身近な縄文を楽しみ生き甲斐としています。「生き甲斐の心理学」の講師もしています!

人に言えない秘密を解放する、今も縄文時代も (3/10 五感と縄文)

2022-06-10 | 第十一章「五感で面白おかしく」

コロナ禍で久しく映画を観てなかったが、誘われて映画館に行き伊能忠敬の死を題材にした「大河への道」を鑑賞した。なかなか良い映画で満足し、終わってから運動不足もあったので、のんびり大栗川沿いに歩いて家路についた。途中No.72や446の縄文時代の大遺跡のそばを通ったが、不思議なことに一匹のアオサギが私に沿うように少し飛んではまた休んだりし、何か私と心を通わようとしているようだった。

映画は人の死に関する大きな秘密保持を題材にしていたが、私たちの日常も人にはあまり言いたくない小さな秘密を持つことは多い。年をとると知人の死に心を痛めることが若い頃と比べると各段に多くなる。私の年代だと同世代の死も増えてくるようで、身近になった死は結構こたえるものである。

昔と違い葬儀も家族葬が中心で、さらにこのコロナ禍で輪をかけて簡略化されることも多いようで、良いのか悪いのか他者の死を受容する機会も減ってしまい、どこか踏ん切りがつかない状態が続くようにも感じる。葬儀は逝った方のためでもあるが、残される方のためでもあるということが忘れられてきているのだろうか。

さて、私は大栗川沿いのNo.72などの縄文遺跡のことをなるべく生で感じたいと思うので、膨大な量の調査報告書をなるべく見るようにしている。今日も土器や土製品など分厚い調査報告書のページをめくっていると渦巻文様が目に付いた。それは植物のように見えたり月の軌跡ではないかと解釈されるが、水の流れ・渦も確実に解釈の一つである。大栗川などの河川の流れや湧水などで日常的に見ている水のイメージが文様を書かせる一つの動機、少なくとも遠因になっているのではないだろうか。この文様と今日見た大栗川の流れ。アオサギ・・・

身近な死に接し、ちょっとした秘密(=受容できないもの)を持つ。私のように大栗川の流れや、アオサギに何かを感じ、その秘密を意識化していく。そのようなことを土器などを作りながら祖先たちも意識化して行ったかもしれない。水の渦から鳥の声や流れから、優しい魂の声を一瞬聴くような。

明確になってきた死の受容は現世的、心理学的にはなかなか解決できない問題でもある。これは宗教や哲学の領域の問題だと思う。今も昔も、縄文時代もこの問題は神社・仏閣・教会で解決すべき問題だと思う。心を清める祈りりの時を持ち、気の合った宗教家とのんびり話したりするのが問題から解放される近道ではないだろうか。

3/10 五感と縄文 

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「縄文小説 森と海と月 ~五千年前の祖先の愛と魂~」

縄文中期の関東・中部地方を中心にした愛と魂の物語です。

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       森裕行

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