![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/18/b6/8b5e13b7d308d23849b5d1c11fe53e9e.jpg)
山桜はまだだった
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3c/8a/2b85c8d11defdd2bafc1a705ff61b0c7.jpg)
仁馬山古墳に着いた
節丸古墳公園 布団を着て行儀よく寝ている姿を思い出していただければ納得していただけるのではないか。
我々の胃袋がお世話になる軽食喫茶である。ママさんは優しく腹にも懐にも優しいのがお気に入りで、ちょっと遠くにいてもここまで走ってくるのが当たり前になっている。犀川駅にある。何度も来たのだが写真を撮って初めて名前を知った。
八景山古墳群はこの様な角度で墳丘を造っている場所もある。だから歩き渡るのも一苦労である。
古墳群の或る石室を覗いているが、狭いのだ。ところが袖石を使い部屋を二つに分けるなど丁寧に造っているといえる。ただ積み方には問題があるかもしれない。少々乱雑かな。ここにもベンガラが塗られているように見える。果たしてそれはどうだろうか。
身長1.8mの我輩の目の高さから写している。石室の規模がお判りいただけるだろうか。
奥壁、側壁、楣石、袖石のどれをとってみても巨石である。奥壁は所謂鏡石と言われるくらいの巨石であることがお判りいただけるだろう。
「どうしてこんなところに造るんやろね」
駐車スペースがある。担当者が資料を配布し、懐中電灯も貸してくれる。
Y字の真ん中に古墳がある。道を別けるようにした道祖神みたいな位置にあるわけだ。
開口部付近に土取りの痕跡が見受けられる。かつ、石材が埋もれてしまっていて石室内部が確認できない状況にある。
庇上部にある樹木も底が落っこちて足をすくわれたようになっている。手前に羨道の側壁に遣われたであろう石材が散乱している。
恐らくここにも円墳があったであろう。周囲に石材が散乱し、石室であった痕跡が見られる。と言うことは三重連ではなく四重連の古墳群だったということである。
何が書かれているのかさっぱり読めない。河川改修工事で発見されて復元、公園化されたようである。
たったこれだけのスペースだが当たり前のことを当たり前のようにやっているのは有難い事である。
墳丘墓のようで石蓋を持つ石棺を竪穴式で造ったのではないかと思われる。低墳丘の様子がお判りになるだろうか。