ご覧のように円墳である。
墓道を歩いて石室へ向う。一見片袖式のようだ。右側の大きな石が袖石でなければ無袖式かとも思われる。
画面右下に周溝がある。其々の円墳の周囲に巡らせているのではなく、なぞる様にして西側に掘られている。これがまた以外に深く落ちると危険である。排水溝までをも兼ねているのではないかと思われる。
仁馬山古墳(前方後円墳)後円部に登っている。お山の大将(女だからお山の女将じゃあないか)
下関最大級である。この近辺は丘陵状の台地が東西に長く続き、南面に円墳、前方後円墳、墳丘墓、方墳などが造られている。
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仲哀隧道を抜けて香春へ至る昔の葛折れの峠道である。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/33/21/a19a1fa323b92c60fd2ecf35732e285a.jpg)
この地域の人達ならば知らない人はまずいない。仲哀峠の桜である。それにしても車車の列である。(但し4月4日)
小規模の古墳が点々としている。中にはこうして石室を見せる。
道路近くまで降りてくるのだが、ガードと言うか柵がない。ご覧のように道の拡幅と延伸のために山が削られているのである。
夏吉21号石室内である。ちょっと首を上げるだけでこのような巨石を見る。肝が冷えるとはこのことだ。
奥壁ならいざしらず、鴨居にこの様な巨石を使うなよと言いたくなる。側壁も内側に傾いて台形をなしている。
ご覧のように開口部が落ち込んでしまっている。前面では土が大きくえぐられている。石材が散乱している。
石室の中はこの様な状況である。きれいな水平が出ているのが見えるが、鴨居と同じ役目をしている石材だ。それに垂直に薄っすらとした線が見えると思うが、袖石の陰であろう。これも綺麗な直線を作り出している。
最初に覗いた石室が3室に分けられていたからここも恐らくその様な構造になっているのではないかと思われる。