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プロヴィンチャとしての誇り2 【J特】

2012-04-14 00:56:14 | サッカー(Jリーグ(J1・J2)・国内)

 紹介レポです。
 プロヴィンチャシリーズの2回目です。もともと「プロヴィンチャ」という言葉は、セリエAから来たものと認識していました。Jクラブの事例を紹介する前に、基本情報からチェックしておきたいと思います。「プロヴィンチャ」でググってみても、意外と情報あないですね。そういう面では、当ブログは貢献できそうです。サカダイにあったように、まず名前が出るのが「ウッディネーゼ」です。以下、抜粋して紹介。

 オーナーによる援助はあるものの財政規模は大きくなく、外国の若くて無名の優秀な選手を確保し育成し、その選手を高額で売却することでクラブ経営を成立させてきたクラブです。
 スカウトは世界中に配置されており、'95年のボスマン判決(外国人獲得の自由化)以降にこの路線を徹底して推進しているとか。下部組織を充実させる方針ではなく、選手リクルーティングの活動範囲を世界中へ拡大したことが、現在のスタイルになっているとか。こうした経営方針から、クラブは多国籍チームになる傾向が強いそうです。こういうクラブは、監督にとって働きやすいとされており、あのザック監督も過去に所属していました。

 セリエAは1950年代から1990年代前半まで、「三階建て」構造と呼ばれていたそうです。ユベントス、ミラン、インテルのビッグ3、サンプドリア、ナポリ、トリノ、フィオレンティーナ、ローマ、ラツィオ、ボローニャ、ジェノアの中堅クラブ、その下にプロヴィンチャがあるという基本構造でした。
 「三階建て」構造では、プロヴィンチャは主力選手をビッグクラブに放出し、その移籍金でクラブを運営し、ビッグクラブはプロヴィンチャの主力選手を補強して戦力を上げる。逆に、ビッグクラブでは余剰戦力をプロヴィンチャに放出することで無駄な人件費を削減、プロヴィンチャは有力選手を獲得して戦力を維持できるという相関関係でリーグは成り立っていたようです。。

 ただ、1990年代中盤より、衛星有料放送の普及によるサッカーのビジネス化、ボスマン判決等による国際化が進む中で急激な変化が起き、中堅クラスのクラブで成長するグループと没落するグループに選別され「三階建て」構造は崩壊したと言われていますが、最近はこの三階建て構造が復活しつつあるとも言われています。
 そして調べていたら、プロヴィンチャの語源を発見しました。イタリアは20の州があり、その州の中でさらに県に分かれるそうですが、その県がイタリア語で「プロヴィンチャ」なのです。つまり、意味としては「田舎クラブ」。いい言い方をすれば「県民クラブ」「地方クラブ」になるのです。
    
 そして、もう一つの事例が、「アスレチック・ビルバオ」です。このクラブはバスク州を代表するクラブチームの一つで、レアルやバルサへの対抗意識からバスク人もしくはバスクにゆかりのある選手のみでチームを構成しています。バスク地方とは、スペイン北東からフランス南西部のピレネー山脈周辺にかけて居住する民族です。1912年に最後の外国人選手がクラブから去って以降、選手をバスク人に限定するという掟を守っています。 
 国際化が強まるサッカー界では異色の存在です。クラブ自体は古く、スペイン国王杯では24回の優勝を誇り、現在は中位に留まっているとか。ちなみにレアル、バルサと共に一度も2部に降格したことがないチームでもあります。

 プロヴィンチャ自体の情報はなかなか出てこなかったですが、何となく意味合いがわかった気がします。鹿島サポの方かな、こちらのブログ記事もプロヴィンチャ論として面白いです。そんな感じで、次回は日本のプロヴィンチャの事例を紹介していきたいと思います。
サポティスタ該当ページ:http://supportista.jp/2012/01/news30102724.html

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