森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

あっ、そうか。

2018-12-31 23:57:53 | 梢は歌う(日記)

夫殿が

「あと45分で、今年も終わるな。」と言いました。

「あっ、そうか。じゃ、お片づけなんか遣ってる場合じゃないな。ブログを書かなくちゃ。

なんたって、平成最後の大晦日じゃ、書かないわけにはいかないだろうな。」ってなわけでもないのですが、ブログを書きだしました。

また今年中に終わるかどうか、競争です。

なんだか最後に日に、家事魂に火がついて、大掃除ほどではないにしろ、普通の家事に燃えておりました。

テレビでも「平成最後の」と言う言葉の大サービス。ワタクシ自身も、その言葉を大いに自分の心の中に取り入れて楽しませていただいています。

しかし「昭和最後の大晦日」「昭和最後の新年」いわば昭和64年の新年を、私は何を思って過ごしていただろうかと、ふと思いました。昭和の終わりは唐突にやって来たのですよね。

何気なく当たり前のようにやって来る毎日。

その毎日は決して当たり前ではないのですよね。

 

良く年末は、「まっ、良いか」と言うタイトルで、一年の締めくくりやまとめの記事を書いている事も多かったかもしれません。

だけど今年はあまりまとめ記事とか書けないような気がします。

楽しい事はたくさんありました。心動く風景もたくさん見たし、新しい出会いや、勇気を出して始めた事や、また違う勇気を出して止めた事もありました。映画もお芝居も私の今の生活の出来る範囲でたくさん見ました。

でも2018年、私にとって一番大きな出来事は、沢山遊んでいただいた愛子さんとの別れに他なりません。

2017年の一年は、私の人生の中でも「何じゃ、こりゃ」と言うほど、星子さんと愛子さんと遊びました。その年は自治会や仕事の事でもかなり忙しかったにもかかわらず、寸暇惜しんであっちに行ったりこっちに行ったりで、多すぎてまとめ記事が書けないくらいに感じていました。

今思うと、あれは運命だったのだと思うのです。三人でそんなたくさんの想い出を作ると言う運命ー。

 

私たちと出会うまで、ファミレスにも行ったことがなかった愛子さん。

何が本当は良かったのかは分からない事ですが、夫でさえ言うのです。

「あの人、最後は本当に楽しかったと思うよ。良かったと思うよ。」と。

私はその言葉を信じたいと思います。

そして私も、その出会いに感謝しています。

 

誰が言っていたのでしたっけ。

人生はすべて出会いと別れの繰り返しだと。

いつもなら検索してから記事を書くところですが、今は時間と競争しているので申し訳ありません。

 

もう別れを恐れて生きるのは止めようと思います。

いつの間にか誤解されて疎遠になってしまった友人の事で悩むのもやめよう。

なんだか理不尽だと思う事で、人を恨んで苦しむのもやめよう。

 

今ある出会い、また過去の時間の出会いに感謝して生きて行こうー。

 

時には傲慢な気持ちになって、「赦してやる。」と呟いてみよう。

そしてまた愚かな自分をも許すのだよ。

 

そう言えばね、この前「ムンク展」の感想を書いたじゃないですか。結構「叫び」と言う作品について、思った事を書いてしまったのですが、あれは耳を塞いでいるのではなくて、耳に手をやり音を意識して聴いているのでしょうか。

この前、ふと「あっ、そうか」って思ったのですよ。

私、最近、思っている事は、「叫び」と言うのは、私にとってもテーマなんじゃないかなって事なんです。

歌にしても、絵画にしても、そこから「叫び」のようなものを感じた時に、私は感動するのかも知れないなって。

 

またつい先日、四字熟語を子供と勉強していて、私は初めて「円転滑脱」と言う言葉を知りました。

意味などを書く時間もないのですが、なんとこんな風に生きられたらと思うと、そう言う風に生きられる人がうらやましくも感じました。ところが例文を見ると、世の作家さんたちは良い風には書いていないのですよね。

 

今だに世界中には、知らない事が星の数ほどあって、そして物事は複雑で、だから生きていくのって楽しいと、そう思いませんか。

無知ゆえに、私は毎日が楽しいです。

まあ、今日は「愚かゆえに苦しい」と言う部分はスルーしておきましょう。

 

と言うわけで、今年も一年ありがとうございました。

そして、あと3分後に訪れる(カップラーメンか)←おばさんは、どうしても言いたい^^

2019年もよろしくお願い致します。

 

 

 

 

 

 


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