森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

南禅寺☆晩秋の旅2018

2018-12-09 02:11:24 | お出掛け日記

11月28日は朝一番に「一休寺」を訪れて、そして次は「東福寺」、そしてその次は「南禅寺」と言うコースでした。28日の京都の旅は、まだまだ続きます。

最初、このツアーの日程に「南禅寺」が入ってることに気が付いた私は、ほんのちょっとだけ「なあんだぁ。」と思ってしまったのでした。と言うのも、前回2013年に京都を訪れた時にも、「南禅寺」は行きたくて行った場所だったからです。妹との二人旅、そしてその後はネットで知り合った人とのオフ会で、満喫した京都の旅だったのでした。

満足メーターがマックス。そこにまた行くのかと思ったからです。

その時の記事は、→西の都に行ってみよう~♪【目次】

「南禅寺」の事だけで4つも記事を書いているのですよね~。

 

だけどそれでも行って良かった「南禅寺」だったのでした。

後からその時の写真と比べてもみました。2013年は、11月の半ばに訪れて、紅葉も綺麗でしたが、深い緑も多かったのです。同じ天授庵の池の周りの写真などは、明らかに違いが出ていました。

満足していた2013年の記憶をさらに上乗せした訪問だったように思います。

トップ画像は、「天授庵」の、まあ、いわば有名なシーンです。

だけど、これ、なんかイメージがちょっと違うなと思ったら、2013年の写真では、向こう側の窓が開いていたのですね。

一枚の絵画のような紅葉なのか、それとも襖絵のような紅葉なのかと言う所でしょうか。

 

私はここの池の周りが本当に美しいと思っているのです。

 

そして再び私がチラリ。

この時、なんとなく写真が不本意だったのです。景色はokだったのですが、私の表情が絶対に変だなと感じました。じゃあ、もう一枚撮ってとお友達に頼み、振り向いたら、ちょっと賑やかな三人組が背後を陣取っていたのです。

この日の天授庵は、意外と空き空きだったのです。

それで私、その三人に、

「もう一枚だけ写真を撮りたいので、すみませんけれど、ちょっとだけ・・・むにゃむにゃ。」

語尾を濁すのが、少々図々しい頼みごとをする時のポイントですよね・・・・・・って、・・・・・、ありゃりゃ、この三人の方、日本人ではなかったのでした。

京都は外人さんの観光客がいっぱいです。

無理だわ~、私。外人さんだと、語尾ぼかしの技が使えないじゃないですか。

 

と、ここまで家に来ている中学生に話したら

「get awayって言えば良かったんじゃないですか。」と言いました。

「それじゃあ、喧嘩売ってるって感じじゃない ?

日本語だとね、『すみませーん。ちょっとだけ待ってていただけないですか。』とはっきり言っても、なんとなく雰囲気で伝わるものがあって譲り合ってくれると言うものでしょ。まあさ、普通は混んでいたら別だけれど、写真撮ってる人の背後には来ないかなとは思うのだけれどね。それでも私には英語で『ちょっと良いでしょうか。』と言う雰囲気を醸し出すスキルはないのよね。プリーズをつければいいと言うわけでもないしね。で、『別にいいか、もう』と思ったのですよ。ところがね・・・」

 

ところが一人の方が、ニコニコと手を差し出して、「ok」と言ったのでした。

「えっ?」と私たち。

あっ、そうかと思いました。私の「写真・もう一枚・撮る」という単語を拾って、、彼女は私たち二人を撮ってくれると言ったのです。

せっかくなので喜んで撮っていただきました。

私たち二人、凄く楽しい顔をしていました。私が思うに、その写真がこの旅行中の人物を写したものの中で一番表情が良いものだったような気がします。

ちょっとした触れ合いと言うのも、旅の醍醐味なのかも知れませんね。

 

彼女たちの中の一人が作っていたー、

可愛いので撮りました。

観光地でこう言う事をする発想は、私にはなかったなあ。

それにもし自分だったら、写真を撮って、そしてその場で崩しちゃうのではないかと思いました。

後から来た人が、まるで詠み人しらずの歌のように、これを楽しむのかなと思いました。

そう言えば、謎の「F」と言うのも、近くにありました^^

 

南禅寺と言ったら

 

 

そして三門の上から撮ったものです。

 

また残りは、フォトチャンネルで。

 

南禅寺☆晩秋の旅2018


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