森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

ムンク展ー共鳴する魂の叫び

2018-12-23 10:40:46 | お出掛け日記

12月20日、東京都美術館にて鑑賞してきました。

 

私は昔、ちょっと今よりは感性が過敏であったのではと思います。

もう精神に突き刺さってくるような気がして、怖くてムンクの絵を見る事が出来なかったのです。その後だいぶ経ってから、ゴッホもちょっと苦手なのだと分かりました。

だけど私は、あまり食わず嫌いと言うのも嫌いだし、苦手なものをずっと避けると言うのも好きじゃないみたいなのです。

だからずっと昔の事ですが、「ムンク版画展」が池袋の西武美術館であると分かった時に、「エイっ、ヤー」っと見に行ったのでした。

気合を入れて見に行くと言うのも変ですが、まさにそんな感じだったのですよ。

やっぱり、ムンクは心に突き刺さりました。だけど好きな作品をいくつも見つけて、ちゃんと見る事が出来るようになったのです。

その絵画が描かれた背景を知った今にして思うと、その頃の私は、それらの絵画に触れた時、その作家たちの精神状態さえも受け止めてしまっていたのかも知れません。

だけどそのような風に書くと、まるで特殊能力があったかのようですが、若い時の感性って意外と侮れないものがあったようにも思うのです。

 

そして時は流れ流れて、そんな感性などすっかりどこかへ去ってしまった今となっては、

「わーい、(*´▽`*)、ムンク展に行くぞ~。」ってなものですよ。

 

ところでずっと昔に行った「ムンク版画展」の事ですが、チケットにも買っておいた絵葉書にも開催年の記録が書いてなかったのです。「いつ」と言うのは、その時は「今」なのでさほど重要性を感じないものですが、「時は経つもの」であるならば「いつ」と言う記録は大事な事だと思います。

「昔」っていつの事だったかと、自分でも分からなくなってしまいました。

だけどネットのない時代のことも、ちゃんと記録として整理され残されているので本当に助かりました。

それは1977年の事だったのです。今から41年も前。

きゃー、そんな前か~ !!!

感性も衰えて当然だし・・・・・・・いや、歳もばれるな。

41歳よりは上だって。←しらじらしい (^_^;)

で、その時のチケット。

 

 その時に買った絵葉書。

  

そしてこれ。 ↓ タイトルは「女」。

清純・成熟・そして老い。この絵(版画)が凄く好きで、その後の私の一部になったように思います。

上の三点とチケットの絵は、今回の絵画展にはなかったと思います。

だけどムンクこの女性のテーマを色を使って表現していました。

ー 白と赤と黒。

ホームページからお借りしました。↓   【生命のダンス】

だけどムンクの絵は、やっぱりどこか怖いー。

後ろの緑のオジサン、どう見ても妖怪じゃん。

この絵、女性たちの手にも作家の意志を感じるような気がしました。

 

ムンクは同じテーマでいくつも作品を描きました。

【病める子】

 (1977年に買い求めた絵葉書。)

私、音声ガイドを聴いて、初めて思わず泣きそうになってしまいました。

ムンクのひとつ違いの姉。15歳の時に結核にかかり亡くなりました。

「ねぇ、あれが見えないの。」と言ってカーテンの向こう側を指さす少女。

「あれは死神よ。」

 

 (今回、買い求めてきた絵葉書)

見守る家族の深い悲しみと絶望を感じざるを得ません。

 

ムンクのテーマには「孤独」や「嫉妬」がたくさん描かれていたと思います。

 (1977年、ムンク版画展の物)

 (今回、油彩)

【二人、孤独な人たち】

この絵画も好きです。二人でいても寂しい。だけど二人でいなければもっと寂しい、そんな二人・・・・・かも。

 

 ムンクの自宅から遠い街を見下ろして描いた【星月夜】

私は展示の絵画を一通り見たら、部屋の中央から離れて見るようにしています。この絵が展示してあったのは細長い部屋だったので、部屋の外れまで行った時に振り返って見たのです。

驚くほど美しかったです、この絵。

誰もムンクの事を「色のマジシャン」などと評していませんが、ちょっとそれを感じてしまいましたよ。

だけど間近で見た時に、この絵から私が感じたものは、やはり孤独だったのです。遠い街の明かりを見下ろす、ひとりの伸びた影。

私が思うには、ムンクはかなりハンサムな人だっと思います。人妻との恋に悩んだり、その人生も決して寄り添う人がいなかったわけではありません。だけど生涯独身を貫きました。

振り向いた時に、本当に綺麗だと無視できなかった【庭のリンゴの木】

 ファイルで買ってきました。

大きな家と、たわわに実ったリンゴ。向こうに座る赤い服を着た女と男。リンゴの季節で春ではないけれど、あの人たちにとっては春のようなものなんじゃないかしら。

何か見逃しているかもしれないけれど、珍しく明るい絵だなと感じました。

 

 

葉書は1977年の物ですが、今回も展示されていました。両方とも繰り返し描かれたモチーフで

【接吻】と【マドンナ】ですね。

私が意外と気に入ってノートで買ってきたのが

 【肖像画、時計とベッドの間】です。

「子供たち」と呼んだ自分の作品に囲まれて、時間を表す時計と横たわるためのベッドの間に立つムンク。なんか示唆的ですよね。

ムンクの絵画は、物語のページを捲って行くような面白さがそこには存在していると感じました。

ムンクの絵画は、キャンバスに描かれた小説。

もしかしたら、彼が求め完成させた「生命のフリーズ」が、私にそれを感じさせたと言うのでしょうか。

 

 

ところで、ムンクの手帳の走り書きメモには

『もうこれからは、室内画や、本を読んでいる人物、また編み物をしている女などを描いてはならない。』

と言うのがあって、絵画展の中にも紹介されていました。

私、思わず、この美術館の近所でやっていて絶大な人気のある「F」に喧嘩でも売ってるのかと笑ってしまいました。(もちろん違います。)

 

たぶん私は美味しいものは最後に食べるタイプなのでしょう。

最後にやっぱり語りたいのは、

 (絵葉書なので光ってしまってすみません。)

「叫び」についてですよね。

もちろんチケットも

 上手く撮れなかったので止めたのですが、チラシもこれ。

叫びづくしです。

当たり前ですね。ムンクと言ったら、まずは「叫び」だと言えるくらい有名な作品ですし、なんとこの絵(油彩・テンペラ画)は初来日なんですものね。

絵画展でも、この絵の前で人々が留まり会場内が混雑しないように、その絵の前だけ一列に並んで進むと言う工夫がされていました。

お蔭で人の肩の隙間から見なければならないなんてことはありませんでした。

また更に見続けたい方は、ロープの後ろから見続ける事が出来ます。

 

もちろんこの絵を怖いと思う私は、今はいません。

むしろ感動しました。

この絵のインスプレーションを得た時のムンクの日記(1892年1月22日)。

「私は二人の友人と一緒に道を歩いていた。日が暮れようとしていた。突然、空が赤くなった。私は立ち止まり、疲れを感じ、柵によりかかった。そのとき見た景色は、青黒いフィヨルドと町並みの上に炎のような血と舌が被さるような感じだった。友人は気にせず歩いていたが、私は不安に襲われてその場に立ちすくんだ。そして私は自然を通り抜けていく無限の叫び声を聞いた(感じた)。」

絵画展でも紹介されていましたが、覚えていられなかったので「https://www.artpedia.jp/work-the-scream/」から引用させていただきました。

 

自然の叫びー自然は何を叫んでいたのか。

その叫びには、耳を覆いたくなるような不安を人々に感じさせる力がある。

人々がこの絵に共鳴し愛し続けるのは、同じような共通体験を持っているからではないのだろうかなどと、ちょっと大胆な推理をしてしまいます。

また今となっては常識でもある、この絵の中の人が叫んでいるから「叫び」ではなく、「叫び」に耳を閉じているから「叫び」なのだと言うお話。

だけどこの絵を最初に見た人は、この絵の中の人が叫んでいると思いますよね。

私は、ある物語にこの絵の事が引用されていて、それもあってこの絵の中の人が叫んでいるのだと思っていました。だから違う事を知った時に「ああ、なるほど~」としみじみと思いました。

だけど私が思うには、この人だって叫んでいないって言えないなと言う事です。

耳を覆いたくなるような叫びを聞いた時、人はきっと目も瞑り口もきゅっと閉じるのではないでしょうか。だけどその自然の叫びに呼応するかのように、この人が叫んでいないとは言えないのではないかしら。だから目を見開き、口を大きく開けているのです。

それゆえにこの絵を一目見た人のほとんどが、「叫び」はこの人が叫んでいるからと思ってしまうのではないでしょうか。

 

と言うか、ムンクが生前の時に、誰も聞かなかったのかしら。

「この人も叫んでないの ?」って。

聞けよ~って思っちゃいますよね^^

 

またちょっと思った事ですが、この絵を見て不安感がかきたてられるのは、もちろん色使いにもあるかもしれませんが、その中のひとつにリアリズムから離れた描き方にもあるのでしょうか。

トップ画像は、出口近くにある一緒に叫びのポーズを取ることが出来る場所なんです。

入口でも写真を撮ったのに、こちらは余計な文字もないので、また撮りました。

 その時思いました。この人はにゅろ~と言う感じで、異様に腕が長い。

もちろん私はチビなので腕も短いから同じにはならないとは思うのですが、でも人間ってバランスがあるじゃないですか。家に帰ってから、180近くある息子君に同じポーズを取ってもらいました。

やはりこうはならない・・・・・。

この異様な構図が、人々を惹きつけ続けているのかもしれません。

 

そう言えば、この記事の最初の方で、昔はムンクもゴッホ(彼は今も)も怖いと書いたのですが、この記事が長いので忘れられたかも(^_^;)

少々ネット検索していましたら、とんでもない絵を見つけました。

コソッと載せさせていただきます。(ゴッホ&ムンク)

 この絵を見ても怖いとは思いませんし、神経にも触りませんが、「ちょっと~」とは思いますよね^^;

 

「そう言えば」のその2

お土産にコラボのファイルを買ってきましたよ。

 

 手が、手が耳に届いていないじゃん (笑)(笑)

 


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