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森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

9th~13th

2016-08-14 00:20:26 | 梢は歌う(日記)

5日分の日記で私の備忘録。タイトルを付けるとしたら「お掃除日記+」と言う所でしょうか。

 

8月10日はバスパックツアーに出掛け、12日は横浜の実家に帰りました。

その記事は、「三島スカイウォーク&箱根千条(チスジ)の滝」 と 「サンマーメンと松原商店街で横浜を感じる」

に、書きました。ではその間の9日と11日と13日は何をしていたのかと言うと、9,11日はひたすらお掃除でした。

 

なにげにその前の週は午前午後に夜と予定が詰まっている日が多かったので、普通の家事も滞っていました。9日の日はその滞っていた家事をやっつける日となりました。

たくさんの洗濯をしてその片付けを山のようにし、キッチンの片づけ、そして冷蔵庫内の掃除。もう豚丼や天丼のタレを買うのは止めようと心に決めました。書いてある賞味期限って未開封の場合の事を言うのでしょう。開封してからは、そのようなタレってどのくらい大丈夫なんでしょうか。

自信がないので、ちょっと前に使ってから間が空いてしまったものは全部捨てました。

それから家中の掃除機掛け。間にトイレ掃除。汗だくになってしまいましたが、急いでシャワーを浴びて夕方短時間のバイトに出掛け、バイト後に買い物に行きました。

翌日は出掛け、夕飯を夫に頼まなければならないので、夕食後もキッチンのお片付けをさっさと済ませました。

それから再び洗濯などをして、ドラマの「オン」もチラ見。でもこのドラマは、私的にはちょっと気持ちが悪いので、チラ見程度が丁度良いのかも知れません。

明日の朝が早いので、いつもと違って12時半に床に就きましたが、いつもと違うと言うのがダメだったのか、まったく寝付かれずに朝が来てしまいました。遠足前の子供みたいですよね、まったく。

そんなわけでバスツアーは渋滞時間がたくさんありましたが、よく眠る事が出来て逆に良かったのかな~。

 

11日はラッタ君が12日に帰って来る事が分かったので、元カレの部屋のお掃除。いやいや「元カレ」ではありません。彼の元部屋のお掃除・・・・なんかそれも変な言い方ですかね。元・彼のお部屋の・・・かな。

今は私の仕事部屋なので、いろいろ物が詰まっていて、しかもこの前クローゼットのバッグのお片付けをしていた残骸が外に出ていたので、夫などが見たら大変そうに思ったようですが、実はこの部屋のお片付けはたいした事がないのです。出ていたものの帰る場所が決まっていたからです。と言っても物の多さは異常なので、この先ゆっくり処分して行くつもりです。

でも半年に一度の帰省だと、お布団も干さなくてはならずいろいろと大変です。

だけどここだけの片づけならばまったく疲れないのですが、私はこのみんなの夏休みにやっておかなければならない事があったのです。

それは押入れダンスの入れ替えです。

古い押入れダンスはラッタさんが生まれた年に買いました。もう引き出しが上手く出ません。ぎゅうぎゅうと沢山のものを入れて長年使っていたので底が歪んでしまったのです。なので新しい組み立て式のものを買い替えました。みんながいる間に新旧の入れ替えをしたいと思っていました。と言っても何かして欲しいのではなく、入れ替えた古いタンスを休みの間に捨てに行って欲しいとだけ思ったのです。

実際に古い押入れタンスの中のものを入れ替えて、そのタンスを外に出し、押し入れの中を掃除して、新しい組み立て式のタンスを組み立てて元通りにしまい、段ボールなども片づけると言う過程の中で夫殿の存在はナシ。

逆にいないから捗ると言うもの。

その間彼は「パ」の付く大人の遊技場に出掛け、途中で組み立てぐらいルート君にやってもらおうかなと急に黒い気持ちになったものの、ルート君は飲み会に行ってしまい私の黒い目論見は失敗しました。

まあ、最初から期待してなかったのですが。

 

その進捗を妨げるのは、好奇心の強いニャンコロリンのあんずさん。

組み立て式の部品を出して、再び戻ってくると・・・・・。

箱があれば、必ず入ってみたくなるニャンコなのでした。

 

近づくと、「エイ!」だって。

また私が手を出して捕まえようとするのを待ってるの図。

猫にとっては何でも遊びです。

 

これの組み立ては簡単だったのですが、時間はそれなりにかかりあっという間に1日は終わってしまいました。

再び御掃除機掛けをし、汗だくになりすぎたので急いでまたシャワーを浴びて、夫を「パ」の付くところから帰って来るのを待ちました。

6時になっても帰って来なくて、私はチョー不機嫌。だって、6時には姑の家に行く事になっていたからです。

催促のお電話もかかって来てしまうし、猫の食事の支度やトイレ掃除もまだだし、何もかも私にやらせないでよとプンプン。

結局お気楽な雰囲気で帰って来た夫殿に猫のお世話はしてもらったのですが、私って単純。

遣るべきことをやってもらったら、一緒に出掛けた途端に不機嫌な気分は飛んでいました。

いつもは運転手を引き受けてくれるルート君が居ないので、姑の家までは歩いていきました。じゃないとこんな暑い日だって言うのにビールも飲めませんからね。

いや、夫は飲めなくても私は飲めるのですが、毎日ちょっとずつ歩くチャンスはあった方が良いのかなと思っているので、姑の家まで歩くのはちょうど良かったと思います。

 

 

翌朝は5時に起きる予定だったのに、出掛ける相手がルート君だと安心してしまっていつも通り床に就いたのが2時近く。

横浜から帰って来て夕食が終わると、私は眠くて仕方がありませんでした。それでしばらくの間横になっていましたが、夜になってみんなで姉からもらってきたスイカなどを頂きました。

ラッタさんが帰って来てもルート君と遊んでいるだけで、夫と語らうなんて事はしません。それでも家族が4人同じ屋根の下にいるだけで、なんとなく幸せな気持ちになると言うものです。

その日も寝たのは日付が変わってから。

寝る前に窓に額をくっつけて空を見たら、雲の向うに走る筋を見つけたので、少々の期待をしながら、深夜でもベランダに出て雲と雲の間を見つめる私。ペルセウス流星群は12,13日がピークなんですよね。でも何にも見えず。ふと気が付くと空を見上げる私の足元であんずさんがじっと真っ暗なベランダの下を覗き込んでいました。

あんずさんはいったい何を見続けていたのだろうー。

 

幸せだった12日の最後は、そんな風に猫と一緒に空を見上げて終わりました。

 

そして13日の午後には駅までラッタさんをみんなで送っていきました。

 

その前には彼のリクエストによって、いつもみんなで行っていたうどん屋さんにランチに行き、その後で姑の家に顔を出しました。

これは私が注文したアナゴ天丼のうどんセット。

 大きすぎるアナゴは味が大味で、美味しいとは思えず残念でした。

 

その後に姑の家でしばしのお茶&おしゃべりタイムです。

 

帰る時に姑が手を振りながらラッタさんに言いました。

「時々帰って来るんだよ。みんなが寂しいと思ってるんだから。」

 

 

12日に出掛けていたので、洗濯などまた溜まっています。

でも私は気が抜けてボーっとしています。

 

 

 

・・・・・と言うわけで、家事&お片付けに頑張るのは明日から。

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サンマーメンと松原商店街で横浜を感じる

2016-08-13 11:12:28 | 家族スナップ

 

私は時々、無性にサンマーメンが食べたくなります。サンマーメンと言うのは神奈川のご当地ラーメンです。最近では地方でもこのラーメンがメニューにある所があるそうですが、やはり今でも全国区のラーメンと言うわけではありません。私はある時まで、それが地域限定メニューだと知らないで、大学生になった頃に東京でそれを注文して困惑されたことがあるのです。

 

8月12日、渋滞を避けるために朝5時に起きて6時に家を出て実家のある横浜に、ルート君の運転で行ってまいりました。パパさんはお留守番です。

早く出たおかげで、横浜のラッタさんの家には7時半ごろに着きました。彼を誘い出して、三人でモーニングを頂きつつ密かな会議をしてまいりました。もうすぐ夫殿の退社の時期が迫っているものですから・・・・・・

ああ、でも話がいろいろと飛んだり分散したりで、決まった事があったのか否かと言う所。

 

その後はいったんラッタさんとお別れして実家に行きました。着いた途端に山梨のおじさんからブドウが届き、おすそ分けを頂いてきましたが、母が昨年も私が来た時にそのブドウが届いたのだと言いました。そんな事は何にも私は覚えていない私でしたが、母はその事を日記に書いていたと言うのです。(母の日記はかなり前からずっと続いています。)

そんな事を書いているのかと私は思いました。だから、そんな事を私も書いておく事にします。

 

お昼は母と姉と、再びラッタさんを呼び出して、ルート君と私とで近くの中華料理屋さんに行ったのです。トップ画像がその時頂いたサンマーメンです。

今時は冷やしラーメンかとも思うのですが、やっぱり食べたかったものを頂きました。シャキシャキとしたもやしが美味しいサンマーメンです。

お店の中から外に出ましたら、外は相変わらずの暑さでした。でも体の中がポカポカすると外の気温の高さがあまり強く感じなくなり、逆に暑さをしのげるような気がしました。

 

午後からはみんなで、横浜ではちょっと有名な商店街に遊びに行ってみる事にしました。

年末になると、上野のアメ横と共に必ず紹介される「横浜のアメ横」と言われる「松原商店街」です。

 

下の画像は、よくテレビで紹介される段ボールを屋根に乗せちゃう八百屋さんです。

日よけの傘が、お客さんへの心遣いでしょうか。

 

 

私がちょっと子供たちに紹介したかったのは、下の画像のパン屋さん。経営者さんが同じかどうかは分かりませんが、このお店ははるか昔の私が中学二年生の時に初めてバイトをしたパン屋さんなのです。

中学二年生でバイトなんか出来るのかって思うでしょう?

昔は雇ってもらえたのですよ。

もちろん長期休暇限定です。お友達に誘われてチャレンジしてみたのです。

働く経験がしたかったので、お友達は10日ぐらいだけ働かせてくださいと言いましたが、お店の人の顔に困惑する表情を感じた私は、ひと夏働きますと言いました。

お店の改装が丁度ぶつかったので、40日丸々働くことはなかったのですが、初めてのバイトは時間的に楽なものではありませんでした。

なんたって中学生です。夏休みの宿題はたくさんあったのです。

でもお店の人には可愛がっていただき、ひと夏の得難き経験になりました。

その当時の事ですが、お店の「キムラヤ」と言うのは、木村さんがやっているお店と言うのではなく、その時の職人であるマスターが銀座キムラヤで修業を積んだ、つまりのれん分けで付いた名前だったと言うことも知りました。だからなのか、私はこのお店であんぱんってなんて美味しいのだろうかと知ったようなものです。

とにかく同じ場所に同じ名前のパン屋さんがずっとあると言うことが、素晴らしいなと私は思いました。

 

 

 

 

いろいろなお店が企業努力をしています。

お茶屋さんで頂きた抹茶ドリンク&ラッタさんの足。

 

 

頂いたものを記録と思って写真を撮ったら、姉がすかさず、

「じゃあ、これも・・・」

何も思わずパチリと撮ったけれど、良く見たら相当食べた後でしたね('◇')ゞ

 

 

本当は下記看板のような抹茶ソフト。確かに安い!200円ですよ。しかも抹茶の濃い味が凄く美味しかったです。抹茶の好きな方にはお勧めできます。抹茶ドリンクはちょっと甘め。疲れている時には良いかもしれません。甘いのが苦手な方には、半額の100円で冷たいお茶のドリンクもあります。

 

そしてまたも有名なお魚屋さん。マグロの解体ショーが日常です、解体しながらバンバン売っていくのです。新鮮かつお安いと思います。年末なんかはこのお店に入るのが大変みたいです。

 

 

再び実家に帰って来て、そこに来ていた又姪ちゃんたちとしばし遊んで癒されタイムです。そしてちょっとの転寝タイムの後、一度家に帰っていたラッタさんを迎えに行き、一緒にパパさんと猫ちゃんたちの待っている我が家にと帰ってきました。

5時半ごろ横浜を出ましたので、一部渋滞はありましたがおおむね順調に流れ、7時には我が家にいました。

 

 

家に着いてからは私は大忙しです。久しぶりの4人でのお食事なので、頑張って無い腕を振るいました。

一口カツとエビフライ。かなりの量を揚げてお皿を山盛りにしたはずなのに、あっという間になくなって、久しぶりの「ザ・我が家の食卓」と言う感覚を思い出しました。本音を言うと私は物足りない。仕方がなのでサラダとキャベツでお腹いっぱいにしたりして('◇')ゞ

と、言うことは、お母さんがデブの道を突き進んだ一因はラッタ君の独立にもあったんじゃないのかななどとこじ付けてみたりして ^^:

 

 

翌朝の朝食。買ってきたあんぱんを頂きました。懐かしい青春の味がしたのかは・・・・・内緒。

 

 

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三島スカイウォーク&箱根千条(チスジ)の滝

2016-08-11 13:05:06 | お出掛け日記

8月10日、バスツアーにて「箱根西麓・三島大吊橋」、別名三島スカイウォークと箱根小涌園近くの千条の滝に行ってまいりました。

このツアー、実は企業の招待旅行だったんです。当たった方は無料で御一緒する方は有料と言うアレです。最近の旅行ではいつも御一緒させていただいている愛子さんと星子さんとワタクシ花子で行ってまいりました。お名前出しましたが、これと言って三人の面白いお話はナッシング。ただ愛子さんのご厚意によって、有料部分を三等分していただいたので、自費で行ったら片道分の料金で行けたと言うわけなのです。

企業の招待旅行は、だいたい工場見学や即売会の恐ろしいオマケ付きです。

でも物凄く安いバスパックなんかもそれに近い所がありますよね。行きたくもない宝石工場なんか連れていかれちゃったりね。

今回は何処に連れて行かれちゃったのかは、下の方に書いておきますね。でも私はそこが詰まらないとか嫌だったと言う感じはしませんでした。なんでも経験&お勉強です。

 

ただ10日と言う日は、平日です。中にはすでにお休みに入っている方もいらっしゃるかもしれませんが、最近の平日の道路状況は渋滞が当然なのだそうです。

朝、ルート君が言いました。

「8時出発じゃ、そりゃ、無理だろ。」って。

 

少し遅れて8時15分ごろに千葉県流山市のとある所のバスターミナルから出発しまして、横浜の即売会会場に着いたのは既に12時近かったと思います。そこに75分。その後干物屋さんに行って20分。

そして3時にランチ。

ランチが3時!!!

さんじの~らんち~♪

「三時のあなた」という古い番組の歌に合わせて、良く「さんじの~♪ おやつ~♪」なんて歌ったりする事もあるけれど、三時のランチは惨事のランチよね。

 

と言うわけで、この三島スカイウォークに着いたのがほぼ4時ぐらい。

しかもなんだか空の模様が怪しげに。

だけどここは飛んでしまうかも知れないので傘は禁止の場所なんですって。と言うことは帽子も止めた方が良いって事かもしれないなと思いました。

「かあさん、

僕のあの帽子、どうしたんでしょうね。」みたいな事になってしまうかもしれません。

と言うことは、晴れていないと言うことは、それはそれでラッキーだったと思います。

でも~、

晴れていないと言うことは・・・・・・

なーにも風景は楽しめないって事なんですよね。

 

それでもその高さと長さを堪能しました。

   

 

 

視界はこんな感じ。

 

 

 それでも、寂しげな山の風景は、なんか好き。

 

 この場所には、本当はスカイガーデンと言うショップがあったりカフェがあったりで、時間があったら凄く楽しめる場所だと思います。橋を渡るのは有料ですが、ちょっと高い所から眺めるのも美しい橋なのかなと思いました。

添乗員さんがイチオシだと言ったのは、ここのトイレ。トイレの中にソファがあったり入り口には花の額のディスプレイがあったりで、この近辺で一番綺麗なトイレなのだそうです。トイレ自体は普通ですけれど(そこが変わっていたら逆に困るのだ。)、ペーパーが花柄だったりと、このようなトイレの割に頑張ってるなと感じました。トイレが美しいのって確かに大事な事ですよね。

 

そしてそこを後にして、やっとたどり着いた滝。

既に夕方の5時。日は伸びたと言ってもやはり夕方の薄暗さは迫ってきているのです。

添乗員さんが

「急こう配の坂道、途中から獣道。本当に大変です。先日行かれた方は、途中でタクシーを呼んでと根をあげていましたが、もちろんタクシーなど呼べません。私も仕事じゃなかったら付いて行きたくありません。」などとそこまで脅かしたのですよ。行かない選択もあって、そのような方は少し先に行ったホテルの喫茶店とかショップとかで休憩するのです。

本当は、その滝に下りていく所にある美術館も選択出来た筈なのですが、何しろ5時ですから、美術館は閉館時間を迎えてしまったのです。

私たちですか?

最初から行かないなんて選択肢はありませんよ。

しかもここ、脅かされた割には大したことはありませんでした。

先日の那須の「留春の滝」に比べたらどうってことないですよ。

 

 ここは千条と書いて「チスジ」と読むのだそうです。コンパクトながら綺麗な滝だと思いました。

やはり森の中山の中水辺は癒されます。

 

 

 

 

 

 

 

ここを後にして、帰路に着いたのですが、今回のツアーの添乗員さんは素晴らしかったです。

都内に入って夜景が綺麗になるとバスの中の灯を落として、ナイトツアーガイドをしてくれたのです。お得な気分です。

「へえ」とか「ふーん」とか言っている間に都内を抜けて、9時29分に着きました。突いた途端に、その横を私たちが乗りたかったバスがやって来て、私たちはまたも添乗員さんたちへの挨拶もそこそこに走ってそのバスに乗り込み、チョーラッキーな感じで家路に着いたのです。

 

素敵な偶然ですが、私たちが乗っていたバスのナンバーは星子さんの誕生日と同じだったのです。

「この旅行は絶対にツイてると思った。」と星子さんは言い、私もきっとそうだと思いました。

 

バスに乗っている途中で大雨が降りましたが、けっきょく私たちは何にも濡れる事もなかったですしね。

 

 

さんじ~のらんち~♪

炭水化物+炭水化物

 

  このメニューは恐ろしいと言えば恐ろしいですが、いろいろヒントがあった「粗食」。

ちょっとリッチに見せる技とか、本当に美味しく食べるコツとか。

シラスご飯に白だしでの茶漬け風って家でやっても美味しいかもしれません。

お腹が空いていたので、御飯はメッチャ美味しかったのです、実は・・・・。

食べ物を美味しく食べる一番の秘訣は、それは空腹なのだとしみじみと思ったのでした。

 

※           ※           ※

 

最後におまけのような話です。

今回の即売会は毛皮と電磁ムートンとムートンの絨毯など。

そこでは凄くデザインの気にいったコートが見つかって、素敵だなあとは思いました。お値段がセール中と言うことで30万ちょっと。

30回から36回払いも出来るそうです。

我が家は生活が変わる一歩手前の時期を過ごしています。そんなお高いものに手が出るわけもありませんが、たとえ手が出せても私は買いません。

次の部屋に行くと、手が出る1万から3万の金額のものが多数並んでいました。

ずるいやり方だなと思ったけれど、やはりそこのお部屋のコートのデザインもみな素敵でした。

イイナと思うコートもなかったわけではなかったのですが、最初からここでは私は買えないのです。

これが

「良く出来ているでしょう。本物の毛皮に見えるでしょう。」と言う偽物屋さんであったならば、心が動いて気にいったデザインのコートを買ってしまったかもしれません。かなり衝動買いの人なもので。

でも

「これはうさぎです。これはリスです。これはイタチです。」

無理だって!!!

着られないよ、そんなの、私にはね。

 

 

 

 

 

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エイト

2016-08-09 09:24:22 | 梢は歌う(日記)

ふと思った。

「エイト」と聞いて何を連想するかで、その人の好みとか年代が分かるのではないのかと。

「エイトマイル」なのか「スーパエイト」なのか、(あっ、それ相当マニアックじゃない?)、はたまた「エイトマン」なのか。

 

とそこに通りかかったルート君、

「エイト」と聞いて、何を連想する?

「ええと・・・」   まっ、これはお約束。

「『エイトマイル』とか?」

「それ、知らない・・・。」

(そ、そうか。君はこれ、知らないんだ。まあ、旦那も知らないな、これ。)←私の心の声

たぶんラッタさんだったら、これを選ぶんじゃないかしら。

「じゃあ、『スーパーエイト』とかは。」としつこく言うと

「ああ、それはありだな。」

(そっちが、アリなんだ。ふーん)

「だけど何を連想したかって言うと、あれだな。『エイトフォー』」

「えっ、なんだっけ、それ?」←すっかり頭が映画脳。

「エイト~フォ~♪だよ。」と腕をあげてシューと言う素振り。

あー、はいはい。聞くんじゃなかった・・・!

 

「エイトマン」、知らないってさ。

そりゃそうかも知れないね。

 

「老いる」と言うことは、ある意味悲劇である。

だが「長く生きる」と言うことには、違う意味がある。

そして徐々に若い水夫たちとは違う記憶が器の底辺に沈殿していく私たち。でも若い水夫がどんなに悔しがっても逆立ちしても、彼らにはその昔々の風景を見る事は出来ない。

ましてや私は、ぱちりと目を覚まし自我が覚醒してから今日まで戦争を知らず、幸せの国の住人である。

 

と、言うわけで、8月8日の日記。

 

夜、夫が言いました。

「陛下のお言葉、良かったよ。なんか心を打った。頭のいい人なんだなと思ったよ。彼は本当に前の天皇が・・・・・」

彼はいつもは皇室にたいしては口汚い人。でもそんな彼の心を動かした陛下のお気持ちとはいかに。その放送を見逃していたので、夜のニュースでゆっくりとしみじみと拝見させていただきました。

「象徴天皇」としていかに生きていくべきかと、天皇はずっと想い続けられて今日まであったのだと胸が熱くなりました。

だから政府の要人が、本心が隠しきれずに批判を受ける行動や言動を言ってしまった時にも、陛下は常にブレない事を言っていたのだなと思いました。それはある意味選挙などで足元が崩れる事がない、お生まれからの余裕だとも思うのです。

この「お生まれによって」日本の象徴になっていくと言う存在と言うことにも、そこには深い苦悩と思慮が生まれざるを得ない過程があると思いました。

私はふと、このような「陛下のお気持ち」と言う語りの時間を、もっと普段からもっと多くあったら良かったのになと感じました。そうすれば、もっと身近な皇室になるような気もしたのです。

 

いきなり時間軸が夜からになってしまいましたが、それを朝からに戻しますと、朝早くに

イチローさんが3000本安打を達成したニュースが飛び込んできました。本当に素晴らしいですよね。

スポーツ選手は怪我や故障が元で実力が発揮できなくなったり、引退せざるを得なくなってしまうことが多くあると聞きました。だけどイチロー選手はそれを避けるための不断の努力を惜しまない人なんですよね。毎日のストレッチや練習など力を抜かないのだと、ずっと以前のテレビ番組で聞いたことがあります。

彼はハンサムだし(そこ、関係ある!?)、本当に素晴らしい人ですね。

 

お昼近くにお稽古のお時間。先生宅を訪問したら、歌のお稽古にいらしているお知り合いの方がいて、しばしのおしゃべりタイムになりました。私よりも10歳ちょっと上の方ですが、その前向きな姿勢に学ぶことが多いです。

そしてワタクシの下手くそな「ぴ」の付くモノのお稽古タイム。練習不足のサイテーな結果。もうこれ、脳トレの為だけにやってるんじゃないのか。心の中で練習してこなかった事を棚に上げて泣く・・・・・。

まあ、そのうち本気出す…ってそのうち!?

 

その後、暑いので送ってくれると言う先生の厚意に甘え、甘えついでにパン屋さんでご一緒に昼食を済ます事にしました。先日も書いたかき氷サービスのパン屋さんです。今回も少々それが目当てです。ひと夏に1回で良いと言いながら、今年の夏はかき氷付いてます。

ここでは前回はいちご味だったので、今回はメロン味です。

 これは私が崩したのではなくて、最初から。いちご味のかき氷の時とは、だいぶ見た目が違うでしょう。店内はママ友and子供たちでいっぱいです。さすが夏休みです。それでもニコニコと対応してくれていたお兄さんの店員さんには好感度がアップです。

 

午後からはずっと家事タイム。

そして夕食をバタバタと作り、ばたばたと夜のバイトに出掛けたのでした。

おわり。

 

いやいや、「おわり。」ぐらい書かないと、凄く細かく書きたい衝動に駆られてしまうのです。かかってきた電話の事やその内容や、夜のバイトでの出来事など。

毎日の暮らしはなんて事のない集合体。でもその中の一つ一つはけっこう煌めいているものが隠れているんですよね。たとえそれがガラス玉であっても美しい事には変わりはないのです。

 

 

 

 

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セブン

2016-08-08 01:13:08 | 梢は歌う(日記)

8月7日の日記。

いったいこのタイトルをいつまで続けるのかと自分でも思うのだけれど、始めてしまったので、きっと8月いっぱいの日記のようなもののタイトルは、ずっとこれでいくと思います。

ところで私、この「セブン」と言う響きってかっこいいなあって、ついさっき思ったばかりです。でも子供の時から「セブン」って好きでした。そんなニックネームを持っている「ナナ」と言う名前の少女のお話の物語を書いていた事もありましたし、少女がこの名前で登場してくることも多かったです。それはつまり、ごく稀に書いているこっそり趣味で書いている物語の登場人物の名前の話なんですが、本当はハンドルネームもその名前で登録しようとしていたんですよ。でも、もちろん既に使われていてダメだったと言うわけなのです。

もしかしたら私、

「セブンさん」とか「ナナさん」って呼ばれていたかもしれませんね。

と言うわけで、セブンに因んで7枚の花の写真と共に、あれやこれやと綴らせていただきます。

 

 

今朝は早い時間から、リオオリンピックで感激させていただきました。

女子重量挙げ48キロ級で三宅宏実選手が、腰痛に耐えて銅メダルを取った事には感激いたしました。最後にバーベルをスリスリするところは可愛らしくて、そしてジーンとしました。

その後の水泳の萩野選手と瀬戸選手の金と銅のメダルも素晴らしかったです。女子の水泳でも16歳の池江璃花子選手の頑張りも素晴らしかったです。

 

 

7日の日は、バッグなどの整理。なかなか物を捨てられない私ですが、思い切ってバッグ二つとエコバッグを少々捨てました。

 

 

夕方からの日曜日はドラマディーなので、違った意味で忙しいです。

「真田丸」は今回も、凄く良かったです。

でも死にゆく者に、あの無茶ぶり。遺言書合戦はかなりブラックなお話だと思いました。なんかサスペンスのような別の話で出てきそうな展開です。しかもある意味コメディかのように描かれていて、三谷氏、怖い人だと思えてきました。

栄華を誇っていた秀吉のたった一人で死んでいくさまに、死に様はその時の死に方ではなくて生き様と等しいものなのかと思いました。そうであれば、たとえ真夜中に誰にも看取られずに死んだとしても(秀吉の事ではありません。)決してその最後が惨めだったとは思ってはいけないと思うのです。

だけど秀吉は一筋の涙を流す、その最後に。

その涙の意味はいったい何だったのかー。

そして出浦様の最後も何たる皮肉か。

 

 

私は9時からは「仰げば尊し」を見ています。ドラマに音楽が絡むと感動をお約束されているような、そんな気持ちになれるものですから。

だけど今日、ちょっと物語の流れが、ちょっとわざとらしくてこの先ちょっと厳しくないかって思ってしまいました。

でも夫も見ているので、我が家ではこのドラマをリアルタイムで見続けると思います。

だけど、この時間帯は裏の「HOPE」も面白いのですよね~。

オンデマンドで欠かさずに見始めました。

 

そして

「そして、誰もいなくなった」

いったいどうなっちゃうのよ~!!!

疑い出したらキリがないですよね、これ。

父の遺産があるって、新一が言ったじゃないですか。お母さんが後妻だったなんて前回初めて知った事だし、お母さんの卵焼きの味も覚えていない新一。あのお母さんには自分の子供はいなかったのだろうかー。もしかしたら子供がいて、その子供は・・・・ってもう妄想の迷路に入りこんじゃいますよ~・・・・。

また新しい1週間が始まりますね。

素敵な1週間になりますように。

 

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ろく

2016-08-07 11:32:51 | 梢は歌う(日記)
 
「父と暮せば」

ひとつ前の記事「ニノの『坊ちゃん』の記事で」の中で、8月5日の「プレミアムシネマ」で「父と暮せば」を放送すると書きましたが、忘れることなく見る事が出来ました。「父と暮せば」は前......
 

 上の文は昨年の8月6日に投稿したものです。

1945年8月6日は日本人ばかりでなく人類が忘れてはならない日だと思います。上に載っている記事内にもリンクしてあるのですが、

「広島原爆ドームと平和記念公園」 は、昨日今日に読んでいただきたいような記事なので読んでくださると嬉しく思います。

 

今年の8月6日は土曜日でしたので、土曜日はいつも夫殿と一緒に普通の買い物です。普通の買い物と言っても、主に猫たちのご飯の調達と猫砂などの補充でついでに洗剤などを買い求めてくるのが、いつもの習慣です。ショッピングモールの中に入っているホームセンターに行くので、その買い物が終わると珈琲などを飲んで帰って来るのも習慣化しています。

夫婦で喫茶店に行くって、意外と楽しいです。

テレビやパソコンなど気が散るものもなく、家事からも解放されているので、単純におしゃべりを楽しんだり意外と大事な夫婦会議をしたりします。車などの買い替えを決めたりしたのも、二匹目の猫を飼うことを決めたのもこの喫茶店での事です。

何も話す事がない時、相手に気を遣って何かを話さなきゃと思うこともなく、ぼんやりと自分の世界に浸れるのも家族とお茶を飲みに来る良い所なのかも知れません。傍から見たら、仲の悪い夫婦に見えるかもしれませんが ^^

 

で、昨日は、珈琲ではなくかき氷なんぞを注文してしまいました。だって本当に昨日も暑い日だったのですから。体を冷やしたい衝動にかられたんです。夫もいつもなら絶対に頼まない珈琲フロートなんかを注文したんですよ。

頼んだかき氷は・・・・

 

私はある時まで、抹茶は大好きなのに「抹茶の何か」と言うものは一切食べる事が出来なかったのですが、数年前からこれも大丈夫になったので敢えて食べてみたかったのです。基本、食わず嫌いとは闘うタイプです。

「抹茶の何か」の中の宇治金時が私の「抹茶の何か」を嫌いにした一番最初の原因だったように思います。

15歳頃の夏、京都の清水寺近くで夕立を避けたお店で頂いたかき氷の宇治金時の、ただ苦いだけのまずさったらなくて金時の部分だけ拾って食べたと言う想い出。そこから抹茶アイスも抹茶ケーキも、抹茶カステラも…とにかくみんなダメ。

好き嫌いはほとんどなくてもこれだけは長い間ダメだったと言うことを夫は知っていたので、

「何もそれじゃなくていちご味とかでも良かったんじゃないの。」と言いましたが、

「あえて、これが食べたかったの。」と頂きました。

 

 前の画像と大した違いのない上からの画像ですが、小豆がたっぷり練乳もいっぱい~。

 

苦くて甘くて冷たい~!!!

凄く美味しい~ !!

 

今年の夏を楽しむミッションの一つである「かき氷をお店で食べる。」と言うのは、パン屋さんでおまけで貰ったいちご味のかき氷で良いと思っていたけれど、これも追加です。

 

お買い物から帰ると、だいたいほとんどグータラで、細々と紙ごみなどを捨てると言う作業をしていました。

でもやっぱり主にグータラしていたような気がします。

夜はWOWOWで「バクマン。」を見ました。「ばくまん」って凄いですね。そう打ってスペースを押すとちゃんとカタカナになって「。」まで付くんですよ~!!

漫画の話は熱い気持ちになります。

面白かったです。

熱い気持ちの部分は、本当に熱いので、いつか「少年ジャンプ」のお話か、この映画の感想なども、もうちょっと長く書いてみたいような気もしますが・・・どうかな~。

 

 

 

 

 

 

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「ある惑星の悲劇」☆私の漫画史

2016-08-06 16:53:42 | 漫画・マンガ・まんが

人との出会いは「縁」と言うもので結びついた摩訶不思議なものであると感じる時がある。

それは本との出会いにも同じことが言えるのではないだろうか。そしてそれは漫画においても同じである。

漫画と私の出会いと歴史を順番に語っていきたいのだが、今日は8月6日なのでやはりこの本の話をさせていただきたいと思う。

 

ある惑星の悲劇 (1983年) (ほるぷ平和漫画シリーズ)
草河 達夫,旭丘 光志
ほるぷ出版

 

私は小学校のある時まで、おかっぱと言うヘアスタイルをしていた。言うなればサザエさんちのわかめちゃんカットのようなものだ。本音を言えばダサいなと思っていたと思う。もちろん、その頃は「ダサい」なんて言葉は誕生していなかったわけだけれど、しかしどんなに綺麗におかっぱに仕上げて貰っても、くせ毛が目立たぬくらいにある私の後頭部は、いつも髪の毛がくるくるとうねっていて、おかっぱ頭と言うよりいつも雀の巣と言う印象の子供だった。ゆえに自分の髪型に対してのこだわりがあまりなく、ある時まで親に床屋に行きなさいと言われたら行くと言う幼稚なお子様だっと言うわけだ。

そして私はその床屋に行くと言うことも、実は好きな子供だった。なぜなら床屋は顔剃りもしてくれてさっぱりするし、何よりも待っている間は少年漫画雑誌が読めるからだった。

そこで手にした雑誌・・・・どうも「少年マガジン」だったみたいだが、そこに特別寄稿のように載っていた「ある惑星の悲劇」と言う漫画に興味を惹かれたのだった。そのタイトルから、当時はSFと言う言葉も知らなかったが、そのような空想科学物語だと思ったのだった。

だけれどその「惑星」と言うのは、私たちが住んでいる地球の事だった。1945年、8月6日にその地球に人類初の原子爆弾が落された。その記録・・・・。

この漫画の作者、旭丘光志がある時薄暗い古本屋の片隅に埋もれるようにあった、自費出版の本の、やはりタイトルが気になって手に取った所から始まるこの物語は、読み手である私たちをあっという間に作者の目線に引っ張っていった傑作だと思う。

そしてその内容に、私は物凄いショックを受けたのだった。

 

思わず顔をあげて、あとどれぐらいで自分の番が回って来てしまうかをチェックする私。

自分の番が終わった後も、また待合いのソファに戻って漫画を読む人なんかいないからだ。

 

その頃の私が、原爆の事を知っていたのか知らなかったのかと言う記憶は定かではない。小学校では歴史は6年生で習うので学校でと言うことはなかったと思うが、母は戦争映画はしっかりと私たちに見せようとする人だったので、先の戦争でアメリカが使った新型爆弾の事は知っていたかもしれない。

だけど私は、その時まで明らかに知らないで、その漫画で知った事実があった。

つまり、人の皮膚は焼けただれ肉から離れるとすべて手の指の方に垂れていき、人々はまるで幽霊のように手を前にと突き出して歩く。原爆の最初の難を逃れた作者(草河達夫)が、その後見たモノは、そのように手を前に突き出し水を求めて川に向かう死の行進だったと言うー。

 

なんと言う恐ろしい爆弾だったのか。

子供だった私には、本当に恐ろしく感じ鳥肌が立ちブルブルと震えた。

そして家に帰った私は真っ先に母に

「お母さん、あのね・・・・。」とこの話をせずにはいられなかったのだった。

 

だけど本当は残り数ページを残して、私はおじさんに呼ばれてしまったのだ。でも私は、その時異例の事をしてしまったように思う。「ように思う。」と書いたのは、何しろあまりにも昔の事なので、記憶がすっきりとしていないからだ。その異例の事とは、自分の髪のお手入れが終わった後も、そこのおじさんに頼んで、その漫画だけ最後まで読まさせてもらったように思うのだ。

最後まで読まさせてもらったけれど、その内容の記憶が残っていないのも、やはりあまりにも昔の出来事だからなのだと思う。

しかし私の中にはその漫画と出会ったと言う記憶がしっかり残った。

 

人の思考の構築には、その人が出会ったものをいかに血とし肉にするかによると思う。

この作品は、私の中の反戦を思う心を作ったひとかけらの肉である。

 

 

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し・ご

2016-08-06 03:08:07 | 梢は歌う(日記)
 
ニノの「坊ちゃん」の記事で。。

さっき、別の所でだけれどブログを更新しようと編集面を開けましたら、その横帯の所に気になるエンタメニュースが目に飛び込んできました。そのブログ〈gooではないよそ様ですが〉は、編......
 

上の囲みは、昨年の8月5日に投稿したものです。

因みにこの記事は死後の事や死語の事をテーマにしたものではなく、単なる4日と5日の日記です。死後の事をテーマにすると、生前整理の話か、もしくはやっぱりオカルト話になるかと思うのですが、このようにブログ書き書きの時間が、深夜となると、そっちは怖くて書けません。ネタが無いわけじゃなないのですが。

昨年の記事を読むと二宮くん、昨年は、いや昨年も頑張っていたのですよね~。この記事に書いてあった、「坊ちゃん」はしっかり見ましたよ。あのドラマの中の坊ちゃんはすこぶるかっこ良かったですね。

子供の頃に私のおじさんに、面白いお話をしてと頼んだら、この「坊ちゃん」のお話をしてくれたのですが、まったくさっぱりどこが面白いのか分からなかったのです。でもこのドラマでは分かりましたよ。

それから「赤めだか」も面白かったです。ちょっと実在の方よりもかっこ良すぎたのが・・・・・・おっと・・・・失礼  ^^:

それから映画館に行こうと思っていたのに、行きそびれた「母と暮らせば」。今年の8月にWOWOWあたりでやって欲しかったけれど、こちらはブルー・レイが発売されたばかりなので、もうちょっと待たなければならないかもですね。

母と暮せば [Blu-ray]
吉永小百合,二宮和也,黒木華,浅野忠信,加藤健一
松竹

・・・・

母と暮せば [DVD]
吉永小百合,二宮和也,黒木華,浅野忠信,加藤健一
松竹

・・・・

やっぱり8月は、こういう内容のドラマや映画などを見たいと思う私です。

昨日の5日、午後から「黒い雨」をテレビで見ました。見たのは二度目ですが最初に見た時に田中好子さんが好演していて、私の頭の中でアイドルだった彼女が女優さんに切り替えられた、そんな作品でした。いつか読んでみたいと思っていた井伏鱒二原作の「黒い雨」はあえて白黒で作られていて見応えがありました。

残念ながら仕事に行く時間が来てしまい、ラストまで見る事が出来なかったのですが、記憶の中の映像では、最後までヒロインの育ての親のおじさんは前向き。ヒロインに原爆病が発病してはた目には、死んでいくのに違いないと思えてしまうラストでも、きっと良くなっていくんだと結んだのだと思います。ただ、一回目に見た時は、救いのないような現実に対して心ではファイティングポーズを取りながらも、女性は死んでいくのだと思っていました。だけどふと、もしかしたら彼女は死ぬとは限らないのではないかと思えたのです。

それでまたこの映画の事を少し検索してみたら、キャッチコピーは

「○死ぬために、生きているのではありません。

 ○体の中で、戦争は続いています。」

まさに生きるために闘っていたのですね。未公開部分でビデオにしか収録されていないらしいのですが、ヒロインは生き延びると言う原作にはないシーンも、今村昌平氏は撮っていたのです。そして悩みに悩んで本編公開時には削除したらしいです。もしもその映像があったなら、この映画に対してのイメージは相当変わったような気がします。でもやっぱりそこはゆっくりと、自分の脳内で考えてみると言うのが良いような気が、私はしました。

 

ところで、さすがに昨日は疲れていました。今週だけはほぼ毎日、昼間の一番暑い時に出かけて行かなければなりませんでしたので、その疲れの蓄積が、昨日は一気に出て午前中はひたすらゴロゴロしていました。そしてやっぱり猛暑の中、日傘をさしてお仕事に行ってきました。

あちぃーよ~とべそをかきたいような気持で歩いていましたら、足場屋さんのお兄ちゃんたちが、あっちでもこっちでも汗だくになりながらお仕事をしているのが見えました。

それを見ていて、「あー、私も頑張ろう~。」と言う気持ちになりました。

 

遡って4日の事ですが、この日の日記は実は書いたのです。でもあまりにも診察室での会話が細かくて、医師と私の診察室コントが恥ずかしくなったので、朝読み直してアップするのを止めたのです。

でも途中までは、その書いておいたものを使おうと思いました。

『8月4日の昨日は、朝一番で病院に行き、先日の大腸の内視鏡検査と胃カメラの結果を聞いてきました。

検査の直後、最初から出すことが決まっていた腸の生検は出したけれど胃は出さなかったとぼんやりした頭で聞いていましたので、たぶん大丈夫だとは思っていました。

でも映像を見たら、ポコっと膨らんだ透き通ったポリープがありました。

「あら、いやだわ~。」と私が言うと、

「胃は確かに荒れていますが、慢性胃炎の人なんかは、コンナノがポコポコといっぱいあったりもするんですよ。大丈夫です。」とお医者様が言ってくださったので安心しました。

 

いろいろと症状に合わせて薬を変えて出してもらいました。

「先生。私、頑張って長生きしたいなって最近思うようになってきたので、薬も頑張って飲みますね。」と私はその時に言いました。

でもこれはちょっとだけ嘘。

「最近」とか言ったけれど、「最近」そんな事を思ったことなんかないです。いつだって10年をめどに生きて行こうなんて弱腰な事を言って姉などを不安にさせている私なのです。じゃあ、いつそれを思ったのかと言うと、本当の「最近」、その診察室でそう思ったのです。

家族が癌体質なので、調子が悪いとすぐに「癌だったら嫌だなぁ。」と言う発想になるのです。

でも「セーフ」と言って貰ったので、「頑張って長生きしよう。」とその瞬間に思ったのですね。』

 

私はそのお医者様に言いました。

「能力もないのにハッタリ効かせて未だに毎日仕事をしているんです。それがストレスになっているのかもしれません。」

私の仕事の内容を知っている彼は、

「確かにストレス多いかもしれませんよね。でも仕事を続けられるのは良い事だと思いますから頑張って。」と言ってくださったのです。

 

私は思いました。能力がないのにハッタリで仕事をしているからストレスになるんだなと。

じゃあ、勉強するかなって。

ただでさえ衰え失っていくものが多い毎日の中で、生きるために生きる、そのために闘うって言うのも素敵な事なんじゃないかしらー。

 

 

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にい、さん

2016-08-04 01:43:59 | 梢は歌う(日記)
 
8月の結婚式
この数年に出席した甥や姪の結婚式で、今時の結婚式は私の時代とはいろいろ違うなと思うことがたくさんあります。まず仲人をがいないと言うのは、もうある意味、常識かもしれません。主賓挨......
 

上の囲みは昨年の8月3日に投稿したものです。

昨年の夏も、なんだか毎日バタバタしていて、そして頑張っていました。だけどやっぱり病気になりました。

今の私の体力では、グータラお気楽がいいのだと思うのですが、持って生まれた性分で、家事以外は喜んでせっせと働く事になっているのです。

 

8月2日は近所でのバイトが二コマあって、一度帰って来たので、片道およそ15分を4回歩き、何気に1時間のお散歩で7500歩ぐらい歩数を稼ぎました。

その帰り道の車道では車の台数がめっきりと減る8時過ぎだと、家々が道に面していなくて、凄く暗くなってしまう所があるのです。町会も古くて大きいと、そう言うことに鈍感になってしまうようで外套もまばらです。そんな道を歩いていたら、向こうからやってくる集団があってドキリとしました。

ナイトウォーカー・・・・!?

そんな風に言ったら、違う意味になってしまうのでしたっけ。

すれ違ってみると、集団と言うわけではなく、たまたま夜のお散歩のカップル3組が重なって、集団で歩いているように見えたのでした。

1組目は夜のお散歩が習慣化しているのでしょうか。黙々と二人でひたすら歩いていたのです。暗い道での黙々歩きって、すれ違うものにはちょっと怖いような気がするのです。

2組目は腰に二人ともライトを付けていました。この人たちがライトを付けていてくれたので、暗い道でもちょっと離れた所から人が大勢歩いてくると分かったのです。

この人たちは二人とも手にスマホを持っていました。

「手に入れた?」

「うん。」

「じゃあ、ここ渡って次に行ってみようか。」

「気を付けて。」

と、彼らは去って行きました。

思わず笑みがこぼれました。

彼らは、ポケモンハンターですね。

失礼ながら、このカップルは二人とも太めちゃん。きっと今までは夕食後はあっちとこっちを向いてパソコンやスマホタイムだったかもしれません。でも今はちょっと習慣が変わったのじゃないでしょうか。夕食後のお散歩を続ければ、揃ってちょっと絞まるのでは・・・・って人の事を言っている場合ではありませんでした。〈汗〉

3組目は新婚さんだったのかなぁ。手にはスマホなし。キャピキャピとおしゃべりしながら私の横を通り過ぎて行きました。

夜風の中の人間ウォッチングも結構楽しい発見がありますよね。

 

3日は家でのお仕事だったので、気持ちもリラックス。

それで朝一番の「シン・ゴジラ」を見てきました。

このゴジラは、凄く良かったです。良かったので、ゆっくり感想を書く予定です。

そして午後のロードショーでこれのひとつ前、12年前のゴジラの映画がやっていましたので、それも見てみました。

私はある時にゴジラ映画にうんざりし、もう私にはゴジラは受け入られるものではないなと思ってから、ずっと見ていなかった時代があるのです。〈まあ、ほとんど〉

でも今になって時々見ていなかった昔のものを見ると、それなりに思うことがあり、ごく稀にこのブログにもその感想を書いています。

しかしながら、今「シンゴジラ」を劇場でやっているからと言って、関連付けでこの「ゴジラ FINAL WARS」を放送したのは、ちょっと残酷な仕打ちのような気がしました。

副タイトルに「シリーズ50年の集大成!人気怪獣軍団VSゴジラ」とあったのですが、映画の特撮レベルの問題じゃなくて、これはこれで内容的に「シリーズ50年の集大成!」だと思いました。こんな幼稚なものがって思うかもしれませんが、そう、ゴジラ映画ってそう言う部分もなきしにあらずだったんですよね。だから大人になって、敢えて特撮好きと言うわけでもないので、途中からお別れしないわけにはいかなくなってしまったんです。

私、思うのですが、今の「シン・ゴジラ」の公開を記念して関連付けて放送して良いのは「ゴジラ」の1作目だけで、それだけが耐えうるレベルなんじゃないかなって。

 

 

 

なんだかいろいろとやる事が多すぎて落ち着かない夏です。

 

ちょっとブログをお休みしようかなとかコメント欄を閉じようかなとか、時々いろいろ考えますが、決めた事に縛られるのも嫌なのでこの先もテキトーにやっていく事にします。

 

好きな事を好きな時にテキトーに書く、まあ、そんな感じです。

 

こんな風にずっと日記を書いているかもしれません。

 

とりあえず、明日の朝は病院で検査結果を聞きに行ってきまーす。

 

 

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7月の終わりと8月の初め

2016-08-02 01:02:06 | 梢は歌う(日記)
 
夏を楽しむ
いつだって楽しい想い出が積み重なっていった「夏」と言う季節が、どんなに暑くて快適ではない朝から始まるものであっても、その想い出の記憶ゆえに嫌いにはなれません。今年も素敵な想い出......
 

上の囲みは昨年の8月1日に投稿したものです。

 

1日は「映画の日」で、本当は「シン・ゴジラ」を見に行きたいと朝から張り切っていたのですが、なんだか映画から帰って来てからのあれやこれやを考えたら、やっぱり家にいて出来るだけ家事をやった方が良いなと言う結論に達して、今日映画に行く事は諦めたのでした。

最近体調があまり良くなくて、もともと家事嫌いの上に家事を休み休みやっているので、すこぶる遅いのです。

呪いの家事・・・・・

なーんちゃって ^^

 

ところで毎年の夏のテーマの一つは、「楽しむ」なんです。何を楽しむのかって言えば、もちろん「夏」をです。

夏のロングバケーションを楽しむと言うのは、私の場合はナシです。夏はここ数年本当に体調が悪いし、の割には、毎日ちょっとではありますがお仕事もしています。

時間的にはちょっとでも、今の私にはそれが限界のような気もするのですよね。

だから私の夏の楽しみ方は「ささやかな」に終始しているんです。

 

そのささやかな夏の楽しみ方の一つは、かき氷を食べる事なんです。ちゃんとどこかのお店で食べたいなって思っているのですが、今はやりなのは天然氷のかき氷なんですよね。

でもお友達が言っていましたが、ランチ一食分するって。何がってお値段が。

なんかそういうのじゃないんですよね。本当に食べたいのって。

と思っていたら、今日、パン屋さんにお昼の調達に行ったら、おまけでかき氷を出してくれたんです。ツイッターにも載せちゃったものですが、しかもその画像のコピーで載せたら、ただのかき氷なのに画像が大きくなってしまいました。言うなれば手抜きの結果です。

そうそう、これで十分です。と言うわけで、夏の楽しみのミッション一個終了です。

パン屋さんでオマケでもらいました。 |霧島花子の投稿画像

 

7月31日の日曜日は、東京都知事の選挙。小池百合子氏が初の女性都知事に選ばれました。

「初の女性・・・」と言う言葉が踊ってる時代は、女性史的に考えると、まだまだって言う時代なんだろうなって思います。

 

日曜日はドラマディ。

「そして誰もいなくなった」。本当に元カノ死んじゃったんだろうかって怪しく思いましたし、お母さんが本当の母じゃないって今回初めての分かった事実だったかしら。まったくさっぱり分からなくて目が離せませんね。そして竜也君が叫ぶシーンでは、思わずツイッターとかニコニコとかでは盛り上がっちゃてるんだろうなとにやりとしましたよ。

 

最近感想を書かなくなってしまった「真田丸」ですが、ずっと面白く見ています。

老いた小日向さんの秀吉、素晴らしい演技でしたよね。

演出も素晴らしかったです。

どんなに天下を取ろうとも、「老い」には負けていく秀吉。

こちらも目が離せませんね。

 

ところで、昨日は映画館には行けませんでしたが、夜WOWOWで映画を見ました。「アデライン、100年目の恋」と言うやつなんですが、事故がきっかけで体の老化が止まってしまった女性のお話なんです。

みんなが老いていくのに、自分だけ20代の時のまま。

それってなんか羨ましいような気もするのですが、10年おきに引っ越したり愛していても恋人と別れなくてはならなかったりと、結構孤独で大変なのです。

 

姉が教えてくれた誰かの言葉。

「人間の死亡率、100%」

ああ、確かにって思いますよね。死なない人はいないのですから。

だからこそ限りある命を謳歌しなければと思うのだと思います。

 

それでも早すぎる死は、本当に悲しいものがあります。

7月31日、元横綱千代の富士の九重親方の死には本当に衝撃を受けました。

何がって言うと、その若さにです。

お歳が自分たち夫婦とも近くて、しみじみとまたしみじみとその死が胸をえぐりました。

 

でも九重親方は、多くの方に愛されて太く短く煌めいた人生を生き抜かれたと思います。

そのご冥福を心よりお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 

 

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