森の中の一本の木

想いを過去に飛ばしながら、今を見つめて明日を探しています。とりあえず今日はスマイル
  

18日から22日までの日記

2016-08-23 01:05:58 | 梢は歌う(日記)

本当に単なる5日分の日記です。だからむやみに長いです。纏めて書くなよなと思いつつ、それでも公開日記なのであったことや思った事の3分の1ぐらいは書けないわけで、自分の毎日の備忘録の為にと言ったらやっぱりアナログの方が良いのかもしれませんね。

と言いながら、やっぱり書くわけですが・・・・。

 

18日は食器戸棚のお掃除と整理に終日費やしていたように思います。その事は、「別れの珈琲」と言う記事に書きました。

一日家に引きこもってお片付けをしていたわけですが、それでもダスキン交換を兼ねて友達がやって来たのでお茶などを飲みながら、財産贈与の割と深刻なお話をしていました。持っている人も持っていない人にもそれなりの悩みなどがあるものなのですよね。

「どう思う?」などと友人が言うものですから、きっとなんだか偉そうなことを言ってたんじゃないかな、私。

でも人が誰かに軽い感じで相談する時って、自分が思っている事を人の口を通して言って貰いたい時だと思うのよね。

そしてその答えがあまりにも違う時には

「目から鱗だわ。」と思い、自分の中の答えと同じな時は「やっぱりそうよね。」と背中を押されるものなのかと思うのですよ。

 

 

19日は図書館に行ったり市役所の出張所に銀行にとアクティブに動いた一日でした。

空は青空で美しく写真でも撮ろうとしたけれど、借りてきた本も重かったので止めたのでした。市役所の出張所の帰りに買い物した野菜がまた重たくて、せっせと余計な所は回らずに帰ってきました。家に着いて遅い昼食を買ってきたパンとコーヒーで取っていたら、外は雨が降っていました。ここの所外出時はいつも晴雨兼用の傘を持っていくので心配はなかったものの、まっすぐに帰って来て良かったと思いました。

夕方からは短い時間ですがお仕事タイム。

夜、テレビでずっと昔にやった「ゴーストバスターズ」をやる事を知って録画しました。

夫殿は全く興味もないようでしたので、リアルタイムでは見る事は出来ないと思ったものですから。

その録画したものは22日の今日、(書き終わる頃には日付が変わって、昨日になってるかな。)見ました。新作をもし映画館で見る事が出来たなら、その時に旧作の感想も書く事にしましょう。

 

20日は夫殿の病院の日。血液検査をしたのですが、その結果の電話が今日(22日)家に入りました・・・・・。

町医者なのですぐに結果が出ないのです。担当医が

「先日の血液検査の結果が出まして・・・」と電話が来た時には、私はドキッとしましたよ。

だって普通ならば電話なんかかかってきませんよね。何かがあったからかかってきたわけで、だからドキッとしたのです。

それは今飲んでいる薬の副作用である肝機能の数字が悪くなってしまったので、薬の休止の指示の電話だったのです。

「あっ、なーんだぁ。」とちょっとだけ思ってしまった私・・・・・。どんな電話だったら良かったってわけ。恐ろし、マイ深層心理。

 

夫が病院に行っている間は、「自分にかまう日」を実行しました。「自分にかまう日」と言うのは、髪を染めたりマニュキュアを塗ったり、お肌のマッサージをしたりする日の事を勝手に自分で名付けたのです。

 

その20日の午後、ずっとwowowオンデマンドで「刑事ヴァランダー」のドラマを続けて4本見てしまいました。嵌りに嵌ってしまったと言うわけですが、じっと黙って見ている事が出来ない貧乏性なので、紙ごみと格闘しながら見ていました。45Ⅼのゴミ袋一袋のゴミが出ました。

ドラマを楽しみつつ私のパソコン周りのお片付けを頑張った1日でした。

 

21日、お洗濯と冷蔵庫の野菜室のお片付けなどを頑張った日です。

夕食もなんとなく気合が入っていました。

夫殿は「美味かったなあ。」と言って席を立ち、

「今日、私、ちょっと頑張ったんだ。」と私が言うと、

ルート君も「うん、わかったよ。」と言いました。それだけで、報われたような気がした夜でした。

 

「真田丸」はいつもながら面白かったです。そして胸が痛かったです。三成に人望がないと言うのも悲哀を感じたけれど、けっきょく彼の行動が、それまで煮え切らない態度だった家康の野心に火を灯してしまったのですよね。三成が「家康殿、家康殿」とおだてていれば違う歴史があったかもしれません。

 

「仰げば尊し」。まずい事に、これ、だんだん詰まらなくなってきました。

ちょっと今の状況が分からないのだけれど、あの吹奏楽部の音楽は、かなりの完成形なわけなのでしょうか。それとも「あーすごく酷い。」でも猛特訓でこれからうまくなる所なのでしょうか。

なんだか流れ的にはそれは無いですよね。練習の時も先生は普通の顔をしてるし。

でもあの吹奏楽部の演奏、凄くばらばらに聞こえて感動からは遠いような気がするのです。最後は音楽で泣かせてくれるのでしょうか。

 

「そして誰もいなくなった」は、味方は敵で敵は味方・・・・なのかな。

これはもう最終回まで何も書けませんね。どんな風な展開になっていくのでしょう。ドキドキします。

 

22日は台風。

お仕事もお休みのメールが来て、私は風雨と闘うと言うより、猫のあんずさんと闘いながら家のお掃除。主にリビング全体のお掃除とゴミ捨て。なんであんずさんと闘いながらかと言うと、この猫ちん、子供が幼かった時のように私の後をついて回るのです。段ボールを一つ潰せばその上に上り、籠を一つ開ければ必ずその中に入り、押入れを空けたらその中に・・・・と言った具合です。

可愛いよね~。

「邪魔 !!

 退いて!!」とか言いながら、私は家に一人でいてもひとりではない毎日を過ごしているのです。

オリンピックの閉会式も見ました。

安倍ちんマリオ。

何度も見ていたら、

「チャチャッチャ、チャチャチャチャン♪」

と、その音楽が脳内で鳴り響きましたとさ。

おわり。

 

 

あっ、そうそう。

東京の開会式の時には、マリオも良いけれど、ゴジラもよろしくね。

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

リオオリンピック閉会

2016-08-22 15:17:28 | 梢は歌う(日記)

いっぱい感動を私たちにくれたリオオリンピック、とうとう終わってしまいましたね。

7日の朝、目が覚めてそして・・・・ と、その時のことは「セブン」と言う記事の中で書きました。

 

女子重量挙げの三宅選手の銅に感動し、萩野選手と瀬戸選手の金と銅のメダルにもまたまた感動し、「水泳日本」と言う言葉が蘇ったような気がしました。

でもその時

「どうせ日本なんてさ、メダルを5,6個取ったら、『メダルラッシュ』とか言っちゃうんでしょ。」なんて暴言を夫殿相手にこっそり吐いていた事を、ここに告白し、謹んでお詫び申し上げます。

 

本当に本当に、メダルラッシュだった今回のオリンピックでしたね。メダルがすべてではないし。まずはそこに行ったんだと言うことが一番の誇りだと思って欲しいと思います。だけどやっぱり選手たちの涙と笑顔にはたくさんの感動を貰いました。

男子の400メートルリレーでは、スポーツに縁のない私でも、子供の時から「リレーはバトンの受け渡しが命」と学校の先生から聞かされ続けていたことが証明されましたね。そして陸上でメダルなんてかつての日本では奇跡に等しい事だったのに、それにメダルをもたらす今を作ってきた一人が、世界で8位の男・高野進さんだったと分かりまたまた感動をしました。

 

本当に幼い時から、みんなに知られていた卓球少女の福原愛さん。その彼女に憧れて、また多くの卓球少女が生まれました。先頭で旗を振りみんなを引っ張ってきたようなものですよね。だから彼女の流した涙には、思わずつられて泣きました。

 

レスリングの吉田佐保里選手が銀になった時に「申し訳ない。」と涙したのは、キャップテンでみんなを引っ張らなくちゃいけない存在だったのに金じゃなくてすまなかったと言う涙だったと思うのですが、私はやはり「金」をお父さんの墓前に供えたかったのだなと思いました。でも涙する彼女のすぐそばに、彼女のお父さんは本当は立っていて、そっと彼女を抱きしめたと私の妄想は突っ走り、またも思わず泣きました。

その時の彼女のお母さんのエピソード !

「うちには、『銀メダル』がないから良かったね。」って言ったんでしょ。

なんて素敵なお母さんなんでしょうね。

 

ひとつひとつの競技の事を書けませんが、本当にたくさんの感動にありがとうと言いたいです。

 

今だとウィキペディアの文字を見ていても、いろいろ感動が蘇ってきます。

「リオデジャネイロオリンピック日本選手団」

 

次回開催の東京オリンピックには、今までいろいろあったと思います。でも居住まいをただし知恵を絞って、次はこの国から感動発信が出来ますようにと願っています。

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「黒の放射線」

2016-08-21 02:20:07 | ユーモレスクを聴きながら(book)

<私の漫画史番外編その2>

『「白鳥少女」☆私の漫画史』の記事の中で、その作品の原作を中尾明氏が書いていたと知って驚いたと言うことを書きました。

その中でもほんの少し触れた事ですが、学校の図書室でこの本を見つけて読み、凄く面白くて心に残った作品だったのです。

その年の司書の先生がやる気があったのか、かなりの新しい本が図書室に補充されました。

 

この「黒の放射線」は「鶴書房盛光社  (SFベストセラーズ)」の中の一冊で、同じシリーズの中には筒井康隆氏の「時をかける少女」や光瀬龍氏の「夕映え作戦」、眉村卓氏の「なぞの転校生」などもあるのです。

中学生だった私には、世界は小さく世間からも疎いので、ただ単純にこの出版社の「お仕事」に喜び嬉しく思ったのです。なぜならその頃、SFと言えばコナン・ドイルやジュール・ベルヌとかH.G.ウェルズだったと思うのですが、それを国産で読ませてくれたのですから。

 

それにこの本のシリーズは、今では「SFジュブナイル」とか言われていますが、もちろん私たちが中学生の頃はそんな言葉などなく「少年少女のための」と分かりやすく言われていました。

「ジュブナイル」と言うのは「ティーンエイジャーを対象読者とする小説のこと。

でもそれも21世紀になってからはあまり使われていなくて、ヤングアダルトと言うのが今では一般的で、図書館などでもそう言うコーナーがちゃんとありますよね。

まあ、「少年少女のためのコーナー」じゃ、やっぱり今はダメなのかも知れませんね。

「ださっ」とか言われてしまうのでしょうか。だけどそのような純日本語的なのって、分かりやすくていいと思うのだけれど。

 

それはともかくとして、「少年少女の為に」書かれたと言っても、文章の質が下がるわけではないのですよね。つまり主人公たちが感情移入がしやすい中学生や高校生だったりするのが特徴なのです。

感情移入してしまいましたよ、すっかりコンコンとね。

 

このシリーズは本当に好きでした。

でも・・・・・・

お話を覚えているのは、あまりないんです。もちろん「時をかける少女」は何度も映像化されたんで知っていますよ。他のものもあんなに面白いと思って読んだのに覚えていないとはこれ如何に・・・。

その中で覚えているのが、この「黒の放射線」だけなんです。なぜならこのシリーズの中で、私の一押しはこれだったからです。

映画化して欲しいななどとまで思っていました。

「時をかける少女」が映画化された時に、何でこっちが成るんだとも思ったのです。ドラマなら仕方がないと思うのです。スケールが違うから。

でも映画だったら、そのスケールも大きくパニックSFを作ることだってできるのになと思ったのでした。

 

ある日人々の間に「黒あざ病」と言うものが流行り出し・・・・・。

新興宗教・人々の暴動・その病の本当の秘密とは。ヒロインの恋の物語も絡んで、想像過多の中学生だった私は、物語を映画の大きなスクリーンに焼き直しながら読んでいたのかもしれません。

脳内再生映像として見ると、この物語が一番面白かったので忘れなかったのかもしれません。

 

どんなストーリーかと思われた方は、この本のタイトルで検索してみてください。

詳しくあらすじをあげながら感想を書いているブログや、挿絵などを載せているブログ、優しい視点で表紙とあらすじを書かれているサイトなどに出会うと思います。そしてまた辛辣な感想にも・・・・・。

 

もしかしたら今読んだら、私は違う感想を持ってしまうのかも知れません。

だからと言って、あの時に凄く好きだと思った過去の想いが消えてしまうわけではないのだと思います。

 

この本を手に入れようと思ったら、下に載せたAmazonからも古本として手に入れる事が出来ます。

でも図書館で借りようと思ったら、国会図書館での閲覧や全国で数館の図書館のみの扱いになってしまいます。

そう言えば学校の図書室には、色褪せたものが片隅に残っているのかもしれませんが。

 

何事も「残っていく」と言うことは至難の道なのかも知れません。

 

では先日もドラマ化された「時をかける少女」とどこが違うのかと、ふと思ってしまったのですが、それは他のメディアに取り上げられたか否かで明暗を分けたようにも感じたのです。

 

「時かけ」よりもこっちの方が断然好きだったと世界の片隅から叫んでも、もう中尾氏は2012年に亡くなっているので、その声が届く事がないのが残念のような気もします。

 

黒の放射線 (SFベストセラーズ)
クリエーター情報なし
メーカー情報なし

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

別れの珈琲

2016-08-20 02:02:48 | 物と私と片付けと掃除

ゴメンね。

今までありがとう。

あなたに何の落ち度もないけれど、色褪せてしまったあなたとはお別れすることにしたのです。

だってあなたを見ていても、ずっとそばにいたんだと言う愛着の愛はあっても、ときめかないんだもの。

ううん。

本当はなんにでも未練がましい私だもの。お別れなんかしたくないんだよ。

でも勇気を出して「さよなら」を告げるの。

この先の人生を丁寧に生きるためにね。

結婚した時から、ずっとそばにいてくれたのに・・・・

ゴメンね。

さようなら。

最後に、別れの珈琲を飲むよ。

 

 

と、言うわけで、最後に珈琲を頂いてから、そのカップとお別れしたのです。

えっ!?

お別れするのは夫とかじゃないですよ・・・  ^^

 

 

コーヒーカップも湯呑もペアで買うことが多いじゃないですか。

それなのになんでか夫のものからいつも割れて、その片割ればっかり残ってしまう事が多い我が家です。

あっ、別に私が夫婦げんかの後に、エイッって投げつけているからじゃないですからね、あしからず

 

このコーヒーカップは結婚したばかりの頃に買って、夫のは黒で両方とも金色のます目のデザインだったのです。今でも夫のカップの事は覚えていますが、記憶の中のそれは、真っ黒で金のラインも綺麗なまま割れちゃったのです。

私のはこんなに色褪せてしまったと言うのに。

 

先日実家に帰った時に、親の家から箱に入ったままの使っていない食器を少々頂いてきました。

それで前からやりないなと思っていた食器戸棚の中を整理しました。

時々整理しては使わなかった物の処分をしています。

 

好きな物や思い出深いものだと、少々欠けても使い続けてしまう私なので、今回はそう言ったものは出来るだけ容赦なく処分しました。

会社と湯呑って何気にセットじゃないですか。お仕事に着くと、朝のお茶の時間があったりで湯呑を持っていくとか、そう言う会社も、まだあるんじゃないかしら。それとも今は、たいていは使い捨てのカップ&ホルダーでしょうか。

お仕事を止めて10年以上たっても、我が家に戻って来て使い続けた湯呑。今年になって欠けてしまったので、こちらも最後にお茶を頂いてからお別れしました。

 

何もこんな風にイチイチ別れを言って写真を撮っているわけではないですよ。もう、そんな事をしていたら疲れ果ててしまいます。

 

テーブルの上に何も欠けてもいないし、色褪せてもいないけれど、とにかく使わなくなってしまった鍋の時用の小鉢や、プラスチックで出来た貝の形のお皿などを置いておいたんです。

その時丁度友人でもあるダスキンさんがモップ交換にやって来ました。

 

しばしのお茶タイム&おしゃべり。

お孫ちゃんがたくさんいらっしゃるのでプラスチックの貝のお皿はイイナと思ってくださったみたいで、それと小鉢も持っていってくれました。

ついでにこれも。

 

 4つもあったので半分こです。私はベランダで使おうかと思っています。

 

今も頻繁に使っていて、何も欠けていないお皿も三枚捨てる事にしました。

その理由は・・・

私はこの時、あの本の事を思い出しました。

 

人生がときめく片づけの魔法
近藤麻理恵
サンマーク出版

今、この本の感想はナシですが、要不要の基準が「ときめく」と言うのは、目から鱗の方も多いようですが、私にはちょっとなと感じていたのです。でも今回初めて、なるほどと思いました。

 

物を残す基準は、使っているかいないかばかりではないのですね。

入って来たものの二倍は処分したので、食器戸棚の中は快適な状態になったと思います。

 

キッチンのモノ減らしは、しばらく続けようと思います。

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

16th/17th

2016-08-18 09:35:55 | 梢は歌う(日記)

夏の終わりを感じる時ー。

外は相変わらずの猛暑だって言うのに、ひたすら眠くなる時、そんな時に私は夏の終わりを感じる事がある。

体が夏の疲れを感じて、次の準備に入っているのだ。

そんな風に感じるお盆明けの日々。

 

16日はそんな風に一日中眠い一日だった。

だけどどういうわけか、短時間バイトの時だけは、当たり前の事だが、シャッキとなる。本当に短い時間の私の労働時間。だけどどんなに短くてもお仕事はお仕事なのだ。私はたったかその場所に向かう。

その途中で知り合いに会ってしまった。

彼女はまったく私の気持ちなんかに気が付いていないはずだが、私は彼女が苦手である。なぜならいつだって自分の話だ。

「あっ、こんにちは~。」と言って、私が歩く足を止めなかったら、この人には時間が無いのだと悟って「じゃ、またね。」とか言って、去って行ってもらいたいものだ。だけれどわざわざ自転車から降りて歩く私の後ろを歩く・・・・・。

そして5分6分の間に、彼女の母の入院、彼女の兄の妻の母の病気、そして初孫が生まれた事を私は知ったのだった。

「やっぱり過ぎていく毎日は辛い事ばかりじゃないって事ですね。」と初孫の誕生を祝ってそう言うと

「私は毎日大量の洗濯物を洗って・・・・・」とか抜かす。

 

つまり

「大変だったわね。頑張ったわね。」と言って貰いたいんだなと思ったけれど、そんな事を言わされるのはうんざりなんだよ。だから

「いつまでも続く事じゃないよ。いっぺんに大変な事が起きたのならば、いっぺんに終わるって事じゃないの。」と、私は言い

「私だって先の事は分からないのよ。如何に今がピンシャンとしていても姑は92歳だし母は83歳な・・・」

「あっ、お仕事頑張ってね・・・」と去って行く彼女。

ああ、なるほど。

この手があったんだ。先制攻撃して、私が私の話ばっかりすればいいんだね。

 

※        ※        ※

 

たまにはドラマのお話をします。

火曜日の夜は、波留さんのON 異常犯罪捜査官・藤堂比奈子」を見ています。

が、これ、気持ち悪い・・・・。

姉が初回で同じ理由でリタイアした気持ちが分かってきました。でも、その時は「ああ、そう。面白そうじゃん。」と思っていたのですが、気持ちが悪いと思っても、ここまで来たら誰よりも異常なヒロインがどうなっていくのか見届けなくては、気持ちが悪いと言う気持ちが納まらないような気もします。

…だから、一応リタイアはしないのですが、気持ち的には…あんまりって感じです。

私は、ご存知の方もいると思いますが、意外とシリアルキラーのミステリーは好きです。異常犯罪の物語も。

でも・・・これ、限界を超えている。

異常犯罪は異常な人がやり、通常または普通の人々とは一線が引かれているのが普通の感覚。普通に見えていた人がその線を超えて異常になっていくのは理解できます。でもこれは「見えていた人が」って所がポイントで、普通だった人が憎しみのあまりと言うのは、ちょっと違うような気がするんですよね。

憎しみのあまりめった刺しの殺人とか言うのは分かりますが、普通は抑えられない衝動でと言ってもそこが人間としての限界で、普通だった人が憎しみのあまりと言えどもあんな凝った気持ちの悪い殺人をするわけがないと私は思うんですよね。何を言ってるかと言うと、前回の小銭殺人の事です。あんな気持ちの悪い事を普通の人は考えることは出来ないし、一人の死に様を見たら、その異常性に目が覚めると言うものじゃないですか。

それにひとり殺すのに100万ぐらいの小銭がいるのなら、300万の出費があったわけで、そのお金でいい方向に立ち直っていく事は考えられなかったのかしら…だいたいゲーセンで小銭を300万集められるのかしら・・・・。

なんか、腑に落ちん。

まっ、とにかく気持ちが悪い、コレ。

 

だけど波留さんのお芝居が上手いのか、この装っていると言うドラマ内での演技が最初は自然に見えたものが、徐々に装っていると言う感じが強くなってきました。

装っているんだと言うお芝居って、しかもそれが徐々に少しだけ崩れていくと言うそれって、かなり難しいですよね。波留さん頑張っている。もうそれだけでもリタイアしないで見ようかなと言う気持ちにもなるような気がします。サイコパスになる人も、最初からではなく悩み苦しんでいるのかもしれませんよね。←ずっと悩み苦しんで、そのまま人生の終わりまで持ちこたえて欲しいです。じゃないと、他の人に凄い迷惑が掛かります。

 

※        ※        ※

 

映画は「ジャングルブック」と「ゴーストバスターズ」を見たいなと思っているのですが、一日のタイムスケジュールを組もうとしている段階で、なかなかうまくバスの時間などが上手くいかない事もあって、予定が組めません。

しかも他の家族が一生懸命に働いている時間に、お母さんは遊ぶ事ばかりを考えているような気がして罪悪感さえ感じます。

でもこの罪悪感と言うのは、長い間兼業主婦で来た後遺症のような気もするのです。

だけど主婦業はほぼ年中無休のお仕事で、健康なうちは定年がありません。お盆のお休みの時だって、オヤスミなんか一日もなかったでしょう、主婦の皆さん!?

 

だからもう、収入を得るために家族と同じ時間を働いて、尚且つプラスで家事をしなくちゃっていう発想は「えいっ!!」って捨ててやると思うのです。あっ、これ、自分に言ってるんです。たぶん誰ももう家族は、私に働けって期待していないと思う・・・・し。

 

なんだか自分がイマイチ分からなくなっている、今の私。

何がしたいの?

何処に向かっているの?

 

時々私、あした死んじゃってもいいかって言うような気持ちになるんだけれど、そのとき必ず

「あかーん!!!」って思う。

いや、そんな風に思っちゃいけないって言う道徳心からじゃなくて、今突然死んだら、私がどのような保険に入ってるか、あの書類この書類がどこにあるのかって、きっと誰にも分からないと思うんです。

あー、死ぬ準備って大事だよなあって思うんです。

その準備がちゃんと普段からできている人は、いざと言う時にも未練なく心安らかにってなるかもしれませんが、私の場合は相当まずい状況です。

 

私に唐突なる悲劇が起きたとして、家族は最初は凄い悲しみに襲われると思うし嘆いてくれるとは思うんです。でもそのうちいろいろと遣るべき事務処理的な事が起きてきた時、イチイチあちらこちらをひっくり返しす姿が・・・・ああ・・・・。

それに時間が経って、もうあのおばさんのものは少し処分しようと、家族で物の整理を始めるとするでしょう・・・・・。

その時もあちらこちらからいろいろなものが出て来て、みんな疲れ果てちゃうと思うんです。

そしてそこで一言、みんなが言う。

「あの、ばばあ !!!」

 

残りの人生をいかに生きるかを模索するのも大事な事だけれど、そろそろ死ぬ準備をすることも大事な事だなと思います。それが出来ると言うのは体が動くと言うことで、「死」と言う言葉を使っても決してネガティブ発想ではないので安心してくださいね。

 

そうそう、昨日見たドラマはWOWOWのオンデマンドで「「刑事ヴァランダー」というもの。

海外サスペンスって、本当に面白いですよ。主役たちが人の死を悼み嘆き寄り添っているところも、普通の感覚で好きな所です。

夜の「家を売る女」も面白いですよね。「GO」って言いたくなります^^

 

 

 

 

 

 

 

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「白鳥少女」☆私の漫画史

2016-08-17 23:18:54 | 漫画・マンガ・まんが

「なくなパリっ子」が「週刊少女フレンド」に掲載されていた頃、私のお気に入りのもう一つの漫画が、この「白鳥少女」だったのです。

日本人は「鶴の恩返し」や「狐女房」のような、動物が人に化けて繰り広げる物語が好きなのではないかと思います。この「白鳥少女」はタイトル通り白鳥の化身です。

いくらなんでも物語などは覚えていませんが、かなりハラハラした展開だったと思います。

と言うのは、少女はある一定時間になると水辺に行ってその変身を解くか、または休むか、叶わぬ時は、最低の水分補給が必要だったんじゃなかったかしら。水辺がなくて、ヨロヨロと倒れ、せめて一杯の水を求めて助けを乞う、そんなドキドキするような設定もあったような気もします。

これはこの記事を書きだしたら、なんとなく思いだした事なんです。

私がはっきり覚えているシーンは、少女が着ているコートの上に、男がジュースをこぼしてしまうのです。

「あっ、シミになってしまう。」と思うのですが、そのジュースはコートの上でコロコロとはじかれて、コートには何のシミも残らなかったのです。それを見た男は驚いて、なんて素晴らしいコートなんだと、自分の娘の為に欲しいと思い盗んでしまうのです。

― なんで昔の少女漫画は、道徳心のないやつが普通に登場するんでしょうね。

もちろんそのコートは不思議な少女にとって、ただのコートではなく体の一部です。

丸裸にされて冬の街に投げ出された白鳥のようなもの・・・・・

 

最初に言いました通り物語の展開こそ覚えていませんが、けっきょく少女漫画ですので、なるようになってハッピーエンドだったと思います。

だけどオシャレの為だけに動物の体の一部は貰わないと言う気持ちは、こんな所から培われたのかも知れないと言っても、それがまったくの大ぼらと言うわけではないと、私は思いました。

 

この漫画は細野みち子さんの作品です。漫画の原作があってその作者が中尾明さんなんです。中尾さんってどんな方と検索して、私は吃驚しました。この方は翻訳家なのですが、SF小説なども執筆していて、私が中学の時に図書館で見つけ夢中になって読んだ「黒の放射線」の作者だったのです。

この「黒の放射線」の事は別枠で書きたいと思います。

また細野みち子さんの代表作は「おはようエルザ」と「金メダルのターン」。

「金メダルへのターン」はドラマ化もされて、あの頃、荒唐無稽な技を競うスポコンものが流行り、これもその一連の流れでヒットした作品だったのではないでしょうか。漫画の「金メダルのターン」は結構面白く読んでいたように思うのですが、これもおぼつかない記憶ですが、ライバルになりつつあったちょっと不思議な感じの少女が性別チェックで引っかかったあたりとか、飄々とした性格をを描くのに、動揺しているヒロインに「ガム食べる?」と顔色を変えないで言うシーンなど、理解が出来ないまま物語から離れたか、もしくは物語が終了したかだったと思います。

 

ところでその細野みち子さんの漫画の事などをリサーチしていましたら、またまた驚く事を知ってしまいました。

ある方の2010年に書かれたブログに、彼女の講演会に出掛けた事が書かれていたのですが、そこに横浜カルチャースクールで礼法を教えているのだとあったのです。

今はどうなのかと調べたら、そのカルチャースクールの講師欄にお名前がありました!

今も現役の礼法の先生なんですね。

素晴らしいな♪

 

歩く道は違っても、生涯現役に変わりはないって事ですよね。

 

 

 

 

・・・・・

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

14th / 15th

2016-08-16 10:34:33 | 梢は歌う(日記)

14日と15日の出来事です。

15日には私の夕方バイトが始まってしまいました。時間的にはちょっとでも、みんながまだ休んでいるのに出かけて行くのは、気持ち的には少々辛いものがありました。でも送ってもらったり、お食事の盛り付けを頼めたりと便利な事もあったのわけですが。

 

この日は朝からルート君に頼んで、クリーンセンターにゴミ捨てに行きました。

捨てたものは

押入れダンス・ホットカーペット・電気の傘二つ・プリンター・ドラムステッキと言うゲーム。

不燃ごみで捨てられるものもありますが、重いのでこの際一緒に持っていく事にしました。粗大ごみで出したら2000円かかる所、600円ちょっとで済みました。

だけどこの「物の墓場」に来るたびに、ほんのちょっとの間だけ私は悲しくなるのです。

車から乱暴に投げ出された物たちは、本当にゴミにしか見えません。押入れダンスなどは、ちょっと前まではスムーズに引き出せなくても便利に使っていたゴミではなく「物」であったのです。

あんなにぎゅうぎゅうと靴下や下着を詰めて収納しなければ良かった。壊れて来てしまっても、もっと丁寧に直してあげれば良かった。

そうしたらまだまだゴミにはならずに「物」として生きていけたのだろうか・・・・。

しばしの感傷に浸って、

「ごめんね。さよなら。」と車の中から目立たぬくらいに手を振っていましたら、車からそれらを降ろしていたルート君が戻って来て、そんな私に気が付くと一言言いました。

「振り返るな。すでに過去だ。」

 

 

その帰りに病院に毎年出している書類の為の診断書を取に行きました。

15日も通常稼働の所って多いんですよね。

病院は人で溢れかえっていましたが、私は出来上がっている診断書をもらい受けるだけだったのであっという間に終わりました。

 

その後、最近ずっと食べていなくて、ちょっぴり食べたいなと思っていたマクドナルドのバーガーをドライブスルーで調達しました。

ところがワタクシ、すっかり世間知らずになっていて、「すごく美味しいと言うわけではないけれど安い」と言うのがマクドナルドなのかと思い込んでいました。照り焼きバーガーを頼んだら、単価高いじゃん。

「安いのは、普通のハンバーガーかチーズバーガーだよ。」とルート君。

もう、それ以外は頼まないわ、私。

あっ、でも、私、ここで凄く食べたいメニューがあるのでした。それがなんだか良く分からないので、今度、じぃっとメニューを見てみる事にしましょうと心の中で思ったのでした。

日記を書く事の良い点の一つは、過ぎた過去の記録のように見えるけれど、その作業の中で次への行動が見えるところだと思います。

 

14日の日曜日はドラマディー。

でも「仰げば尊し」はお休みでした。だったら裏の「HOPE」をかけてくれれば良いものを、意地でもかけない夫。と言うか、彼は今まで見た事がないから、見ると言う選択肢がないのですね。だけど私、今は余裕です。と言うのもラッタ君が帰って来た時に、壊れてしまったパソコンの録画機能を直してくれたからです。

 

今回も「真田丸」は見ごたえがありましたね。

狸おやじの家康の真の恐ろしさが見え始めました。どうしてそうなってしまうのだろうかと分からないまま、みんなが家康の言葉になびいて言ってしまい、そして沈黙。黙っていられなくなった三成が口を挟むと、なんだか最後は彼の方が分が悪くなってしまう・・・・・。

言葉の強力ほど怖いものは無いと私は思います。

 

同じような事が日常の生活でも見受けられるなと、思った方も多いのではないでしょうか。

先日ツイッターでも拉致被害者を救うには憲法9条に問題があって…云々と言うことを呟いている人がいて、まったく訳が分からない事だと思っても、活字でしっかり呟かれるとそれなりの説得力があるように見えて共鳴する人がいるのかと心がざらっとしました。凄く嫌な気持ちになったのでその方とはお別れしましたが、よく見てみると、その方から私はフォローされてなかったので、「ばっきゃろー」と思って切り捨てても何の問題もなかったのでした。

そのようなレベルの話でなくても、言葉の強力と言うのはおばさんの世界ではチョーたくさんありますよ。

あれやこれやと思い出すと・・・・ああ、もう人間嫌いになって引きこもりたくなるから止めておきますね。

 

それにこれで、「あの時あんなことがあった。」「あの人がこうだった。」「あの人のココだけは嫌いよ。」とか言っていたら、リアル「そして誰もいなくなった」になってしまいそうですしね。

 

そして

「そして誰もいなくなった」。

物語が1話に繋がって、次回から第2章。

ふむ。

これ、だんだん分かってきた・・・・・・。

と言っても、90%は分からないわけです。おい、それで良く分かって来たと言えるよなと一人ツッコミ ^^

そして分かったと思い込んでいる部分も外れていたら恥ずかしいと言うこともありますが、当たっていたら、逆にマジィので今は沈黙ですね。

あっ、あれは言ってもいいよね。バレバレですよね。あれはあの彼の自作自・・・・・

ああ、それもやめておくか~。

こういうのって難しいですよね。

とにかく毎週楽しんでいます。

竜也さんの「えっ?」を聞くのも楽しみです。

 

そう言えば、ゴミ捨てに行く車の中で、ルート君と交わした会話が

「藤原竜也のどこが好きか」と言う話題だったのよね~。私が熱く語っていたのを彼が仕方がなく聞いていたんじゃなくて、語っていたのはルート君。

 

楽しい時間でした♪

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ささやかな願い

2016-08-16 01:47:50 | 梢は歌う(日記)
 
家族の歴史を語り合おう
今、私が時々思い後悔している事は、それはどうしてもっと義父の話を聞いておかなかったのかと言う事。父の話をもっと聞いておかなかったのかと言う事。さらにさかのぼって祖母の話......
 

 上の文は昨年の8月15日に投稿したものです。

8月15日は「終戦記念日」。

戦争を知らないと歌っていた若者たちも、立派な老人世代です。その親たちが経験したのも子供の視点からの戦争だったりもする今、出来る限りの事を聞き出しておくことも大事な事なことのように思います。

2013年には「終戦記念日の日に思ったこと」と言う記事を書きました。

今もその想いは同じです。

 

ひとつ前の「おばあちゃんの読み聞かせ」の中に登場してくる私の祖母は、その葬式の時にやって来た彼女の弟たちが

「ねえちゃんは本当に働き者だったな。」

「うん、朝から晩まで働いた。」と語り合うような人でした。

 

その祖母は、私が物心ついた時から老けていました。おばあちゃんなのだから当たり前に感じていましたが、自分が大人になって、そして今になって見るとちょっと不思議なような気がするのです。

それは私の家系は母も含めて、美人であるかは別にして、丸顔が幸いしているのかパッと見が実際の年齢よりも若く見えるのです。

こんな一文を堂々と書いてしまって、この文が友達の目に触れたら思わず椅子から滑り落ちてしまうかもしれません・・・・。

「でもおばあちゃんは昔から老けていたよね。」と言うと、父も母もそしておじさんも口々に

「若い時から、ずっと苦労をし続けてきたからな。」と言いました。

 

祖父は戦争から生きて帰って来ることが出来ました。でも実際は生きていたのは肉体だけで心は死んでいたようなものです。

だから祖母は戦争中と同じようにずっと働かなければならず、時には心の中に鬼も宿り、祖父を呪ったのに違いありません。だから祖父は北海道まで流れて行って死んだのだと思います。

 

戦争に正義や大義なんかあるわけがない。

素敵な戦争、そんなものがあるわけがない。

 

私は戦争を知らずに生まれて来て、そして知らないまま死んでいきたいと思っています。

また次の世代の子供たちその次の子供たちを、誰かに殺されるまたは殺さなければならない恐怖からずっと守ってあげたい。

そんなささやかな願いが叶う世の中であり続ける事が出来ますように、宇宙の幾千億の星に祈ります。

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

おばあちゃんの読み聞かせ

2016-08-15 00:20:20 | 漫画・マンガ・まんが

<私の漫画史、番外編その1>

この記事の背景なるモノは「私の漫画史」などをお読みくださると助かります。

 

私が姉の病室に行きそこにある漫画本を手に取ると、母の母、つまり祖母はそこに母の一番下の弟などがいると、

「読んでやれ。」と必ず言いました。

幼稚園を出る頃には文字は読めて書けて当たり前のような今の時代とは違って、それは小学校で習うものと言うような呑気な時代でした。姉が入院したのは、私が小学校に上がる前だったので、祖母が叔父に「読んでやれ。」と言ったのは当たり前の流れだったのだと思います。

だけど私は、幼少の頃は近所に一緒に遊ぶ友達と言うものが皆無で、姉が学校に行ってしまって帰って来るまでは、一人だけのごっこ遊びか〈いわゆる妄想世界に遊ぶ。〉絵本のような本を友にするしかなかったので、小学校に上がる頃にはひらがなカタカナはかなりスラスラと読めた方だと思います。

読んでやると言う行為が面倒に感じた叔父などは

「読めるよな。」と言うので、私は「うん。」と頷くしかありませんでしたが、本当の事を言うと読んでもらえるのは嬉しかったのです。なぜならその当時も漫画の漢字にはルビがふってあったと思うのですが、スラスラ読めると言っても、漢字も混ざる文字を読み続けるには私は幼かったのです。

だけど祖母は、叔父と私がそんなやり取りをしていても、必ず怖い顔をして「いいから読んでやれ。」と言いました。

私はシメシメと思いながら読んでもらいましたが、いつもすぐに後悔しました。

なぜなら叔父の読み方は棒読みだったからです。

私の脳内には可愛らしく歌うように話すヒロインが、叔父が読むと

「は・は・は。ダカラマユチャンハ→」みたいな一本調子です。がっかりして

「もうイイ。」などと私は言い、叔父を怒らせていたのではないでしょうか。

 

ところがある日、「読んでやれ。」と言う者もいなくて、祖母が読んでくれることになりました。私が「読んで~。」とねだったのかもしれません。

ただやっぱり祖母が読み始めて、私は吃驚しそしてがっかりしました。祖母の読み方って言ったら下手くそな叔父の比ではありません。

もう漫画のヒロインキャラの破壊者レベル。

 

私の祖母は口の悪い人で、私はこの人にどれだけ言葉では傷つけられたか分かりません。だけど言ってることに悪意がなくて、本当に口が悪いだけなのです。言いかえそうと思ったらいくらでも言い返すことが出来るレベルです。

それに昔の事ですが、母曰く、私はああ言えばこう言うの達人だったのです。

だけど、それでも私はこの祖母に何かを言いかえした事は一度もないのです。

祖母は歳を取っていたから。理由はそれだけなのですが、だから私が彼女に「もうイイ。」などと言うわけはありません。

 

だけど祖母はセリフを読むときに、指で横をなぞりながら読み進めていきました。私はそれを目で追い、頭の中で読み直しながら祖母と一緒に読み進めていきました。読み直された言葉は、ヒロインの可愛らしい声に変換されて脳内でイキイキと響きました。

一つ読んだら目がしょぼしょぼしてしまうのか、それとも飽きてしまうのか、それが限界だった祖母。でも私の方も、限界だったかもしれません。それでも祖母の読み聞かせは、どんなに下手でも嫌だとは思えずに、むしろ懐かしく、そしてなんとなく微笑んでしまうような想い出になりました。

 

ところで今の仕事を始めて、時々
「うちの子、本を全く読まないのです。」などと相談を受ける事がありました。その都度、大真面目に答えてきましたが、あまり意味がなかったように思います。

だいたいお話を聞くと、家に親が読んだ本が一冊もない、一緒に図書館に行った事がない、もしくは本屋に家族で買い物に行った事がない、親が本を読んでいる姿を見せた事がない、そして本の読み聞かせって、そりゃ何ですかとなれば、どうやって本好きな子が出来るのか、むしろ私が聞いてみたいです。

子供を本好きにするには、まずこの「ない」を「ある」に変えてみて、そこからがスタートではないかと思います。

と言いましても、このような私のブログにお立ち寄りくださるあなた様には、まったく関係のないお話だったかもしれませんね^^

 

 

 

 

 

 

 

 


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

SMAP解散

2016-08-14 09:56:48 | 同じ時代の船に乗る

やっぱり、書くよね~、「SMAP解散」の事は。

※        ※         ※       ※

 

しかしこの夏は、たとえ私が料理人・皿洗いに掃除のおばさん&洗濯女と言う日常のみの生活に徹した生活をしていたとしても、私以外の世界は大きく動いているのですね。

 

海外ではイチロー殿が画期的な記録を残し、リオではメダルラッシュと言う言葉に違和感を感じさせない選手たちの活躍ぶり、そして日本では共に時代を生きたビッグなアイドルグループが消滅すると言うニュースが流れてきたのですから。

 

今年の1月19日に書いた「SMAP雑感」。

その頃死にかかっていた夫殿さえも思わず心配してしまったSMAP騒動でしたが、

そこの最後に

>この先の彼らの未来は誰にも分からない事ですが、あの会見を見た今の段階では、SMAPは潜在的解散をしてしまったのではないかと、つい私は思ってしまったのでした。

と言う言葉で締めさせていただきました。

 

潜在的解散が顕在的解散になるだけで今更ショックでもないだろうと思われるかもしれませんが、それでもしっかりとそれが決まってしまうと、私はやはり吃驚しました。

彼らの歌は親しみやすく、それでいて何気ない気張らない応援歌のようで好きなものが多かったのです。解散となれば、もう彼らの新しい歌は聴く事も出来ず、今までの歌も過去の音源が残るだけで一緒に歌われることはなくなるわけなんですよね。

やはり一つの時代の終わりは寂しいものがあるなと思いました。

 

と言っても壊れてしまったものは元には戻らないのだと思います。

あの謝罪会見の時、体の向きが一人微妙に違うように感じた香取君は、もう木村君とは一緒に仕事が出来ないと言ったとか。

無理にやっていても、美しいハーモニーにはならないと思います。

もうひとりひとりがビッグになったのですから、自分の道を突き進むのが良い事なんだと思います。

 

解散が今年いっぱい・・・・・・。

私の妄想・・・・・。

解散コンサート中に紅白参戦。視聴率がそこだけうなぎのぼり・・・・・。

 

いや、その日に解散コンサートをやっていなくても、紅白にトリ。やっぱり視聴率がうなぎ上り。そして白組の勝ち・・・・・。

 

いやいや、これ、妄想ですからね。あしからず。

 

最後に5人のコメントを載せておきますね。

中居正広 ファンの皆様、関係各位の皆様、我々SMAPが解散する事をご報告させて頂きます。ご迷惑をお掛けしました。ご心配をお掛けしました。お世話にもなりました。このような結果に至った事をお許しください。申し訳…ありませんでした…。

木村拓哉 この度の「グループ解散」に関して、正直なところ本当に無念です。でも、25周年のライブもグループ活動も5人揃わなけ れば何も出来ないので、呑み込むしかないのが現状です。沢山の気持ちで支えて下さったファンの方々、スタッフの皆さんを無視して「解散」と言う本当に情け 無い結果になってしまいました。今は言葉が上手く見つかりません。

稲垣吾郎 ファンの皆様、スタッフ関係者の皆様、この度はご心配ご迷惑をお掛けして本当に申し訳ございません。今の状況で五人での 活動は難しいと思い、辛い決断ではありますが「解散」という形を取らせて頂く事になりました。どうか僕達の意思をご理解頂けたらと思います。28年間本当 にありがとうございました。

草なぎ剛 この度僕たちSMAPは解散する道を選びました。いつも応援してくれたファンの皆様、支えてくれた関係者の皆様、グループ結成から28年間本当にありがとうございました。今後も精進して参りますので引き続き、温かく見守って頂けると嬉しく思います。

香取慎吾 ファンの皆様、そしてスタッフ関係者の皆様。僕らSMAPは解散いたします。応援して下さった沢山の方々に心より感謝申し上げます。そして突然のお知らせとなりましたこと、深くお詫び申し上げます。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする