(別所街道 旧南設楽郡鳳来町)
古来は川添道と呼ばれ、豊川、宇連川沿いを通り、北設別所村方面へ向かう道の一つである。これに対し、更に内陸部を通る道を山手道といった。
住みやすく食料も豊富だったのであろう、川に面した斜面には、縄文時代の遺跡も点在している。
戦国時代には長篠の戦いにより五つの砦が築かれ、要害の地となった。
「乗本」は、近隣の地名「大海」「舟着山」に関連し、海上の船着場という意味合いの伝説を残している。然し一般的には、寒狭川と宇連川の合流点のこの地から下流は、岩場が減り水量も増えることから水運を始められる場所、“のりもと”の意味からきているようである。
近世以降、街道と川湊で栄えたといわれている。
(関連記事:鳶ヶ巣山 姥ヶ懐 中山 君ヶ伏床 舟津 乗本万灯)
古来は川添道と呼ばれ、豊川、宇連川沿いを通り、北設別所村方面へ向かう道の一つである。これに対し、更に内陸部を通る道を山手道といった。
住みやすく食料も豊富だったのであろう、川に面した斜面には、縄文時代の遺跡も点在している。
戦国時代には長篠の戦いにより五つの砦が築かれ、要害の地となった。
「乗本」は、近隣の地名「大海」「舟着山」に関連し、海上の船着場という意味合いの伝説を残している。然し一般的には、寒狭川と宇連川の合流点のこの地から下流は、岩場が減り水量も増えることから水運を始められる場所、“のりもと”の意味からきているようである。
近世以降、街道と川湊で栄えたといわれている。
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