神戸駅の南西、日宋貿易で「大輪田泊」(おおわだのとまり)として栄えた古くからの港と西国街道が往来した兵庫津。
南端の和田岬駅を降りると、海路交通の守り神「和田宮さん」が鎮座する。
和田神社から北に歩くと、日本最大といわれる兵庫運河に差し掛かる。和田岬沖での海難事故を回避するため、兵庫港から須磨へ至る運河を明治時代に築造したものである。岸壁には震災による液状化の名残が見られる場所があった。
運河を渡ると石で造られた「十三重塔」が目に入る。これは清盛塚と呼ばれるもので、隣りの平経正の琵琶塚と共に平家の墓とされているが、道路拡幅による発掘調査で人骨、遺品等は検出されなかった。
清盛塚のすぐ西側には、一遍智真が諸国遊行の後、正応二年(1289)八月二十三日、五十一歳で寂した観音堂、後の真光寺がある。空襲や震災により堂宇は被害を受け、当時からの面影は少ない。私はここで、暫しの瞑想に耽った。
更に北側へ歩くと能福寺「兵庫大仏」がある。仏高11m、明治時代に建立されたが、戦時中の金属供出でなくなり、平成3年に再建されたものである。

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運河を渡ると石で造られた「十三重塔」が目に入る。これは清盛塚と呼ばれるもので、隣りの平経正の琵琶塚と共に平家の墓とされているが、道路拡幅による発掘調査で人骨、遺品等は検出されなかった。
清盛塚のすぐ西側には、一遍智真が諸国遊行の後、正応二年(1289)八月二十三日、五十一歳で寂した観音堂、後の真光寺がある。空襲や震災により堂宇は被害を受け、当時からの面影は少ない。私はここで、暫しの瞑想に耽った。
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