(2005年12月10日訪)
天正十二年(1584)近江日野城主であった蒲生氏郷が築城を開始し、四年の歳月をかけて参宮街道の移設、城郭並びに城下町を完成させた。
天正十八年(1590)氏郷が小田原北条氏との戦いの功により会津に転封し、代わって服部一忠が入城。
文禄四年(1595)一忠は豊臣秀次事件の連座により自害している。
続いて古田重勝が入城、元和五年(1619)からは紀州藩領地となった。
天守は正保元年(1644)大風により倒壊し、それ以来天守は無い。
また、三重県伊勢地域において、天守が残存、復興したところも無い。
(関連記事:松阪)
天正十二年(1584)近江日野城主であった蒲生氏郷が築城を開始し、四年の歳月をかけて参宮街道の移設、城郭並びに城下町を完成させた。
天正十八年(1590)氏郷が小田原北条氏との戦いの功により会津に転封し、代わって服部一忠が入城。
文禄四年(1595)一忠は豊臣秀次事件の連座により自害している。
続いて古田重勝が入城、元和五年(1619)からは紀州藩領地となった。
天守は正保元年(1644)大風により倒壊し、それ以来天守は無い。
また、三重県伊勢地域において、天守が残存、復興したところも無い。
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