(豊川市足山田町)
元亀初年頃に宝飯郡足山田村に築かれた山城。
本宮連峰向山の尾根上(城山:標高160m)に構えられた城には、出郭や堀切、土塁、一部に石塁がみられ、麓を添うように流れる黒谷川を堀として利用したようである。
また、頂の標柱近くには一石五輪塔が立っている。
城主秋山新九郎は元々武田氏の流れを汲むともいわれる同家家臣で、元亀四年(1573)信玄が野田城で負傷した後、徳川勢に攻められ落城した。(天正三年(1575)宝川合戦の際の説もある)
落城の際の伝説に、黒谷川からの水源を断った「いじめの谷」や、新九郎の娘が敵からの難を逃れた黒谷の沢「おいね隠れ」、武田秋山方の落武者達「城山くずれ」等が伝えられている。
元亀初年頃に宝飯郡足山田村に築かれた山城。
本宮連峰向山の尾根上(城山:標高160m)に構えられた城には、出郭や堀切、土塁、一部に石塁がみられ、麓を添うように流れる黒谷川を堀として利用したようである。
また、頂の標柱近くには一石五輪塔が立っている。
城主秋山新九郎は元々武田氏の流れを汲むともいわれる同家家臣で、元亀四年(1573)信玄が野田城で負傷した後、徳川勢に攻められ落城した。(天正三年(1575)宝川合戦の際の説もある)
落城の際の伝説に、黒谷川からの水源を断った「いじめの谷」や、新九郎の娘が敵からの難を逃れた黒谷の沢「おいね隠れ」、武田秋山方の落武者達「城山くずれ」等が伝えられている。