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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

鎌倉街道 萱津

2008-07-21 01:00:28 | 街道・宿場町

(愛知県海部郡甚目寺町上萱津・中萱津・下萱津)
 中村東宿から庄内川豊公橋、新川萱津橋を渡ると、萱津南宿に差し掛かる。古東海道である鎌倉街道は、川を沿うように進み、旧街道筋には幾つもの神社寺院がある。その中には、当初は真言宗であったが、元応二年(1320)日蓮宗として再興し、清洲城織田敏定に縁のある長久山實成寺があり、国指定の本堂、清洲城主福島正則が寄進したという山門が残る。また、隣接して正善寺、泉龍寺、國行寺があり、俗に「四ッ寺」と呼ばれている。更に北に進むと、弘安五年(1282)一遍の弟子他阿真教によって開山したという時宗横笛山光明寺(萱津道場)があり、豊臣秀吉幼少の日吉丸の頃、この寺で修行したという。また、隣接して三嶋神社がある。
(實成寺)
  
 上萱津に差し掛かると、福島正則が清洲城の長家を移築し、庫裡として寄進したという妙勝寺と、妙教寺、正法寺等があり、正法寺には伝説があって、陸奥国信夫郡(むつのくにしのぶぐん:現福島市)から来た藤姫という女性が、京にいる父を訪ねて、夫と共にこの萱津の宿まで来たところ、病のために十六歳で生涯を閉じたのだという。後日、京の父がこの地を訪れ、反魂香(焚くと煙の中に死者が現れるとされる香)を焚いたが、逢うことができず、以来この付近を「阿波手森(あわでのもり)」と呼ぶようになったという。また、阿波手の社と呼ばれ、草の神とされる鹿屋野比売神(カヤノヒメ)を祀る萱津神社があり、漬物の神社とも言われている。日本武尊がこの地に立ち寄った際、村人が漬物を献上した。武尊は、その漬物に対し「藪に神物(こうのもの)」と言い、以来漬物のことを「香の物」と呼ぶようになったと言われている。
  (正法寺)
  

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コメント (2)
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