(華厳宗大本山東大寺廬舎那仏 奈良市雑司町 世界文化遺産 国宝 国指定史跡)
伏見城から久し振りの東大寺を訪れた。奈良市に初めて訪れたのは、小学校の修学旅行であったが、奈良の長い歴史故に、振り返って比較してみてもあまり変化が感じられなかった。ただ、以前よりアジア系観光客が増えているのを実感した。
(国宝 金銅八角燈籠)
(重文 木造虚空蔵菩薩像 宝暦二年(1752)開眼)
(廣目天像 江戸時代)
(増長天 持国天像頭部 江戸)
東大寺は元々、天平五年(733)金鐘寺として創建したのが始まりとされ、天平十三年(741)には聖武天皇が国分寺建立の詔を発し、大和国分寺となった。そして、天平十五年(743)には大仏造立の詔が発せられれ、天平勝宝四年(752)開眼供養会が行われた。その後、天災や戦乱に巻き込まれ、斉衡二年(855)の地震による大仏破損、治承四年(1180)平重衡(たいらのしげひら)の兵火焼失、永禄十年(1567)松永久秀による兵火焼失、慶長十五年(1610)の大風による仮堂倒壊と仏頭落下等、災難に見舞われている。その都度補修、再建が行われ、現在の大仏殿は元禄四年(1691)に再建されたものであり、大仏は破損したものを修復し、当初よりやや小さくなったものの像高は約15mで、元禄五年(1692)改めて開眼供養されたものである。また、大仏の鼻の穴と同じ大きさの穴が柱に開けられ、「招福の柱穴」として多くの人がくぐり抜けている。
(多聞天(毘沙門天)像 江戸時代)
(重文 如意輪観音菩薩像 元文三年(1738)開眼)
(賓頭盧尊者(びんずるそんじゃ)
この後は、二月堂方面へと向かった。
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