(長崎市南山手町 国選定重要伝統的建造物群保存地区)
明治の中頃に郵便汽船三菱会社(後の日本郵船)の監督船長、及びジャパン・ブルワリ・カンパニー(後の麒麟麦酒)の支配人を務めた英国人ウィルソン・ウォーカー氏の住宅として南山手12番地に建てられた、木造二階建、延床面積340㎡の建物である。大正3年ウォーカー氏没後は、雨森氏の住宅となり、昭和63年(1988)長崎市に寄贈され、現在地に移築復元、「長崎市南山手地区町並み保存センター」として開設されたものである。
明治の中頃に郵便汽船三菱会社(後の日本郵船)の監督船長、及びジャパン・ブルワリ・カンパニー(後の麒麟麦酒)の支配人を務めた英国人ウィルソン・ウォーカー氏の住宅として南山手12番地に建てられた、木造二階建、延床面積340㎡の建物である。大正3年ウォーカー氏没後は、雨森氏の住宅となり、昭和63年(1988)長崎市に寄贈され、現在地に移築復元、「長崎市南山手地区町並み保存センター」として開設されたものである。