(横浜市中区山手町)
文久三年(1863)から明治8年(1875)まで、この地にフランス海兵隊が駐屯したことから、そう呼ばれるようになった。港の見える丘公園の南西側をイギリス軍が駐屯し、北側をフランス軍が駐屯した。

明治27年(1894)煉瓦造り二階建てのフランス領事館が建設されたが、大正12年(1923)関東大震災によって倒壊した。昭和5年(1930)スイス人建築家マックス・ヒンデル設計によって再建されたが、昭和22年(1947)不審火によって焼失している。
昭和46年(1971)横浜市が約一万㎡の同土地を取得し、港の見える丘公園の一部として整備され、平成14年からは領事館時代の遺構を調査の後、保存整備された。
(RC造り部分のみ残る領事館建物跡(木造部分二階~四階(屋根裏)及び塔屋部分は焼失))
(井戸水汲み上げ用の風車(再現))
(関連記事:旧英国領事館 港の見える丘の猫)
文久三年(1863)から明治8年(1875)まで、この地にフランス海兵隊が駐屯したことから、そう呼ばれるようになった。港の見える丘公園の南西側をイギリス軍が駐屯し、北側をフランス軍が駐屯した。


明治27年(1894)煉瓦造り二階建てのフランス領事館が建設されたが、大正12年(1923)関東大震災によって倒壊した。昭和5年(1930)スイス人建築家マックス・ヒンデル設計によって再建されたが、昭和22年(1947)不審火によって焼失している。
昭和46年(1971)横浜市が約一万㎡の同土地を取得し、港の見える丘公園の一部として整備され、平成14年からは領事館時代の遺構を調査の後、保存整備された。


(RC造り部分のみ残る領事館建物跡(木造部分二階~四階(屋根裏)及び塔屋部分は焼失))

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