(愛媛県今治市常盤町)
平成20年末、今治最後の百貨店が閉店した。私が初めて訪れたときは、大丸、高島屋、ダイエー、ニチイとほぼ同所に集まって開業していて、市街地黄金時代であった。然し、昭和59年(1984)瀬戸内運輸共同出資の高島屋閉店を皮切りに、ニチイの郊外(馬越町)移転(現サティ)、今治ショッパーズキーテナントのダイエーの撤退と、歯止めがかからない。
今治大丸は、昭和37年(1962)「大洋デパート」として開業したのが始まりである。昭和48年(1973)今治大丸(大丸傘下独立会社)となり、営業を続けていたが、地域の衰退により閉店の道に追い込まれた。

常盤町、旭町角に建つ、地上七階(一部九階)地下一階、売場面積10540㎡のビルの窓ガラスが、かつての賑わいを思い映すスクリーンのように寂しげに光っている。私も、ここで父や姪と買い物や食事をしたことを思い出した。市街地再開発を提唱する今治市は、この物件を援助、或いは利用者増のために、市の施設を同居させてまでも存続させたほうが、今後の動向に有利に働いたことは、想像できる範囲内だと思われたが…。
平成20年末、今治最後の百貨店が閉店した。私が初めて訪れたときは、大丸、高島屋、ダイエー、ニチイとほぼ同所に集まって開業していて、市街地黄金時代であった。然し、昭和59年(1984)瀬戸内運輸共同出資の高島屋閉店を皮切りに、ニチイの郊外(馬越町)移転(現サティ)、今治ショッパーズキーテナントのダイエーの撤退と、歯止めがかからない。
今治大丸は、昭和37年(1962)「大洋デパート」として開業したのが始まりである。昭和48年(1973)今治大丸(大丸傘下独立会社)となり、営業を続けていたが、地域の衰退により閉店の道に追い込まれた。


常盤町、旭町角に建つ、地上七階(一部九階)地下一階、売場面積10540㎡のビルの窓ガラスが、かつての賑わいを思い映すスクリーンのように寂しげに光っている。私も、ここで父や姪と買い物や食事をしたことを思い出した。市街地再開発を提唱する今治市は、この物件を援助、或いは利用者増のために、市の施設を同居させてまでも存続させたほうが、今後の動向に有利に働いたことは、想像できる範囲内だと思われたが…。