(愛知県豊川市豊津町・橋尾町)
元禄四年(1691)それまでの橋尾用水(松原用水の前身)豊川橋尾井堰(豊川市橋尾町)が洪水によって流失し、翌年草ヶ部井堰(豊川市豊津町)が完成して以降、この地には、豊川右岸の田園を潤す流れが続いている。また、この地には上水道管が横切っている。昭和17年(1942)豊川海軍工廠に水道を供給するために豊川右岸に大和水源地を設け、配水池に送る水道管が通っているのである。我が家もこの水道の供給を受けている。平成に入り、付近は圃場整備によって区画が改められ、橋尾天神社の傍に架かる天神橋もそれまでの県道橋ではなくなり、持て余しているように大きな橋幅を今に残している。
(関連記事:松原用水宮前橋)
元禄四年(1691)それまでの橋尾用水(松原用水の前身)豊川橋尾井堰(豊川市橋尾町)が洪水によって流失し、翌年草ヶ部井堰(豊川市豊津町)が完成して以降、この地には、豊川右岸の田園を潤す流れが続いている。また、この地には上水道管が横切っている。昭和17年(1942)豊川海軍工廠に水道を供給するために豊川右岸に大和水源地を設け、配水池に送る水道管が通っているのである。我が家もこの水道の供給を受けている。平成に入り、付近は圃場整備によって区画が改められ、橋尾天神社の傍に架かる天神橋もそれまでの県道橋ではなくなり、持て余しているように大きな橋幅を今に残している。
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