(福岡県太宰府市観世音寺 国指定史跡)
太宰府の役人を養成したとされる機関が、この学校院である。旧字には「学業」が伝わっている。天応元年(781)の『太政官符』には「府学校に六国の学生、医生、算生は二百余人あり」と見える。昭和44年(1969)に発掘調査が行われ、奈良時代後期から室町時代の掘立柱建物遺構、溝、築地が検出されている。
太宰府の役人を養成したとされる機関が、この学校院である。旧字には「学業」が伝わっている。天応元年(781)の『太政官符』には「府学校に六国の学生、医生、算生は二百余人あり」と見える。昭和44年(1969)に発掘調査が行われ、奈良時代後期から室町時代の掘立柱建物遺構、溝、築地が検出されている。