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「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

神足城 勝龍寺城

2012-08-08 00:00:51 | 城郭・城下町

(京都府長岡京市勝竜寺 日本の歴史公園100選)
 南北朝時代以前に現在の神足神社付近に築城された、神足氏に拠る神足城を起源とする。その後、山城守護畠山義就(よしなり)によって、乙訓(おとくに)郡代役所として利用された。そして、松永久秀の城となり、三好長慶(ながよし)の死後、久秀と三好三人衆が対立すると、勝龍寺城は三好勢によって攻略され、三人衆の岩成友通が城主となった。永禄十一年(1568)には上洛した織田信長らによって勝龍寺城は落城した。元亀二(1571)信長の家臣となった細川藤孝(後の幽斎)が城主となり、城郭が拡大され、旧神足城を取り込んだとされる。天正六年(1578)には藤孝の子忠興と明智光秀の娘玉(後のガラシャ)との婚礼がこの城で行われている。天正十年(1582)山崎の戦いでは光秀が入城したが、光秀は羽柴秀吉に敗れ、勝龍寺城も落城し、淀城築城の建築資材として転用された。その後、寛永十年(1633)に永井直清が二万石で山城長岡藩として城を再興(隣接地に陣屋として)した。然し、慶安二年(1649)永井氏は摂津高槻に転封となり廃城となった。昭和63年の発掘調査の後、平成4年、城跡の一部は公園として整備され、模擬櫓等が建てられた。
(本丸西側土塁)
(沼田丸)
      (本丸北門跡)
   (忠興とガラシャ)
     (神足屋敷土塁)
 

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