(こがね塚 愛知県宝飯郡一宮町足山田字小金)
この古墳に初めて訪れたのは昭和59年9月27日(冒頭写真)である。当時は雑木に覆われ、地主が古墳の上に植木を並べたいと言っていた。小金古墳は、前方の水田から比高7mの丘陵上に位置し、直径32m(後の発掘調査で36m),高さ現状5.8m,葺石、造出を持つ円墳である。北東から中央にかけて幅7m,長さ10m,深さ4mの盗掘抗が開けられているが、これは明治38年頃、豊橋の薬屋が朱千杯、黄金千杯の伝説を信じて人夫を雇って発掘した名残である。その際の見学者の話では、瑪瑙(めのう)の勾玉、碧玉の管玉、鉄鏃が出土した他は何もなかったという。平成4年4月29日に訪れると、墳丘や周辺の樹木が伐採されていた。これは足山田地区開発中のキャッスルヒル城山カントリークラブの親会社、マキタ電機製作所等が入る工業団地を造成するためである。間もなく発掘調査が開始され、葺石(ふきいし:土砂流出を防ぐ石組み)のある二段築成の中期古墳であることは確認されたが、内部施設は先の盗掘により確認できなかった。石室石材が確認できないところをみると、粘土槨の木棺直葬であろうと推定される。同年8月22日の現地説明会では、発掘調査により葺石の間から若干の土師器片が出土したが、遺物はそれだけということであった。調査後の同年11月28日に訪れると、墳丘の四分の一が切り取られ、古墳の断面が現れていた。
私の踏査ノート(1984年9月27日)
1992年4月29日
盗掘抗南から
盗掘抗北から
北から
南から
丘陵下から
1992年11月28日
東から
北東から
南西から
西からの断面
1994年5月29日
北東から
1994年12月27日
造成が完了した小金の台地