(富山県高岡市御馬出町 2012年2月21日)
嘉永七年(1854)同地にて漢方医高峰精一の長男として生まれた。その後間もなく、父の勤務する加賀藩学問所「壮猶館(そうゆうかん)」に近い金沢へ転居。精一は加賀藩典医となった。譲吉は長崎に留学し、京都兵学塾、大阪適塾(蘭学)、舎密局(せいみきょく:化学)、工部大学校(東大工学部前身)、イギリスグラスゴー大学等で学び、農商務省に入省した。その後は実業家の傍ら、消化酵素の研究でタカジアスターゼや、ホルモン分泌物であるアドレナリンを発見し、大正11年(1922)六十八歳で没した。昭和30年(1955)生誕百年を記念して生家跡を高峰公園とし、譲吉の胸像が設置された。
