flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

赤岩口電停

2006-03-17 00:00:33 | RODEN-哀愁のRailway-
(愛知県豊橋市)
 豊橋鉄道東田本線の終点、赤岩口電停に初めて降りたった。
とは言え、この辺りはよく訪れるところである。
線路は、豊川水系朝倉川の橋のたもとで終わっている。地元利用客は、ここから更に東の多米町方面へと歩いて行くが、延長要望が多く出されている。
 電停のすぐ横に赤岩車庫がある。ここで、名鉄岐阜市内線などからやってきた車輌の整備が行われた。
  
(関連記事:「3702」
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アキバガリバー

2006-03-16 00:00:47 | まちの違和感
 安城市秋葉公園にある、ガリバーである。
富士山麓にあった、テーマパークのガリバーを思い出させる像である。
この「遊具」も、一部の人たちによって話題になっているそうだ。
 
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重原城 権現石

2006-03-15 00:00:04 | 城郭・城下町

  伝説「権現石」
 天文二十三年(1554)一月、三河国碧海郡重原城は今川義元の軍勢の攻撃を受けて落城した。
奇襲のため軍兵も集まらず苦戦していた。
その夜、突如仁王様のような大男が現れ敵の矢面に立った。
時の城主山岡河内守は、この間に難を逃れた。
それは、日頃信心していた権現石が化身して大手門に現れ、城を守ろうとしたのであった。
戦いの後その石を見ると、無数の矢の当たった跡が付いていた。
「権現様が身代わりになってくださったのだ」と河内守は思ったのだった。
  

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鎌倉街道 橋尾

2006-03-14 00:00:22 | 街道・宿場町
 我が家近くの集落、橋尾。
豊川(とよがわ)と東名高速に接しているこの地は、東海道の前身というべき鎌倉街道が通っていた。
川を越える付け根であるこの地を、橋尻、橋尾というように呼ぶようになったといわれている。
当時は地区の西側を流れていた川も、度重なる氾濫で現在の東側へと変わった。
また、街道筋も次第に豊川下流へと変遷していったようである。
 
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福土山・雄総古墳群

2006-03-13 06:00:15 | いにしえびとの睡
 岐阜市の最高峰、百々ヶ峯から南に延びる雄総(おぶさ)丘陵、通称福土山。
そこには雄総古墳群と名付けられた8基の古墳があった。
丘陵南端にあった1号墳は、堀田観音堂再建の際に雲珠(馬具)、金環、碧玉製管玉(装飾品)、滑石製紡錘車(糸を紡ぐときに使う弾み車)、直刀、須恵器が出土し、その他の古墳からは、鎧、勾玉も出土したという。各古墳の内部構造、副葬品からみて、4世紀から6世紀頃の地区権力者の墓であったことだろう。

 お堂の裏方には、未だ眠っている古墳もある…。

(関連記事:八代古墳群 西山古墳群
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がまごおり

2006-03-13 00:00:12 | かみのやしろ
 古来、宝飯郡の西端であったため、西ノ郡と呼ばれた蒲郡。
今回は三河三谷から平田町、水竹町、蒲郡町と歩いた。
何度か訪れているこの地であるが、この経路を歩いたのは初めてである。
黄泉の国から戻った伊邪那岐命が禊祓をして生まれたという三貴神の一柱、月読命を祀る社、以前訪れたときには、境内から埴輪を採集したことがあった。
それはこの近くに古墳の跡があり、そこから運ばれた土であろうかと推測できる。

 市内最大河川、西田川を渡る。と言っても川幅20mもない川である。故にこの辺りは水不足になりやすく、豊川用水の水に頼っている。
川沿いにある小さなお堂の無住職の薬師寺、そして国道バイパス造成地を見ながら天桂院山の丘に登る。
この山も、国道により二つに切り裂かれる運命にあり、木々が伐採されていた。
この季節、山は梅の花が咲き、この先の山の運命を否定するかのようであった。
然し国道が計画されてから半世紀程が経っても、全体の約半分が出来上がった程度である。
 天桂院山の頂には、山岳信仰系のような社殿を持つ、貴船神社が鎮座する。
横綱玉の海の墓がある麓の天桂院から、市街地へ向け歩くと、幾つかの大寺院がある。
海産物や織物で栄えた昔の名残を見ることができる…。
  
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長良八代古墳群

2006-03-12 06:00:02 | いにしえびとの睡
(岐阜市長良八代 2005年1月23日)
 10基からなる古墳群である。
その内最大なのが1号墳で、墳頂に方縣津神社の社殿が建てられている。
北東にある2号墳には円筒埴輪が巡らされていたようである。
共に石室石材が無く、竪穴式粘土槨の古式埋葬方法の5世紀前半と考えられる。その他3号から10号墳は、宅地化により次第に滅失していったようだが、横穴式石室を持つ、~7世紀の後期古墳であり、この辺りの代々首長墓であったのであろう。

(関連記事:雄総古墳群 西山古墳群
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「野」

2006-03-12 00:00:38 | いにしえびとの睡
(岐阜県揖斐郡大野町 1998年3月8日の日記から)
 所々雪の残る揖斐大野を訪れた。
間もなく廃止されるであろう谷汲線という軌道電車に乗り、稲富という駅に降り立った。
 付近は「野」と呼ばれ、大型古墳が群がって残っているところである。
そこには城塚という地名があり、関ケ原合戦直後、織田氏の城館がこの古墳の土盛りを利用し築いたためという。墳頂テラスから周りを眺めると、千五百年間の人々の動きが見えてくる様な気がした。

“揖斐ごおり”の歴史を感じさせられた一日であった。
  
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カテゴリー分割

2006-03-11 18:00:28 | お知らせ

「紀行」、「ご近所漫ろ歩き」から「街道・宿場町」、「城郭・城下町」、「伝説・昔話」「かみのやしろ」を分割しました。
また、過去に訪れた同季節の紀行を順次掲載していきます。

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横浜みなと

2006-03-11 00:00:46 | 海道・みなと

 いつも通るだけで、一度だけ八景島には立ち寄ったことのある横浜。日本一の人口の都市、そして巨大な貿易港。今回は市の中心地から港へと向かった。
 様々な由緒のある建物群、それにより街の落ち着きが違ってくる。その過去と未来を表す技術と建物、それら施設もうまく同居している。
 帰路は大船からまわって、東海道を下った。


(関連記事:横浜税関倉庫 桜木町 開港記念横浜会館 横浜税関本関庁舎 横浜構造物平成二十四年 横浜駅界隈 平沼駅跡

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Yokohama Customhouse warehouse

2006-03-10 00:00:36 | STRUCTURE-構造物残影-

(横浜税関新港埠頭保税倉庫 横浜市中区新港)
 1911年、横浜税関施設として赤レンガ2号倉庫を建設し、1913年、赤レンガ1号倉庫が竣工した。設計は、横浜正金銀行本店丸三麦酒工場等を設計した妻木頼黄である。
 1923年9月、関東大震災により1号倉庫が損壊したが、1927年から1930年にかけて、震災復旧工事が行われた。
 1945年、米軍により接収されたが、1956年接収解除され、1号倉庫は税関倉庫として、2号倉庫は横浜市管理倉庫として復活した。
 1989年、取引量減少により倉庫が使用されなくなり、1992年3月、横浜市が全棟取得。1994年から、1号倉庫構造補強工事、2号倉庫屋根改修工事が行われ、1996年からは外壁等改修工事、2000年からは内部改修工事が行われた。そして2002年4月には、1号倉庫が文化施設、2号倉庫が商業施設として生まれ変わり、現在に至っている。
 (クリックすると拡大します)
   

(HP版: http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/yokohama-customshouse-warehouse.htm
(関連記事:横浜税関倉庫’09 開港記念横浜会館 横浜税関本関庁舎 安田銀行横浜支店

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横浜税関本関庁舎

2006-03-09 00:00:51 | STRUCTURE-構造物残影-

(横浜市中区海岸通 横浜市認定歴史的建造物)
 大正12年(1923)関東大震災によって倒壊した二代目庁舎を、昭和9年(1934)3月に再建した、SRC造地上5階塔屋付、延床面積12,184㎡の建物である。設計者は国会議事堂を設計した吉武東里で、ロマネスク様式を採用している。
 平成13年(2001)に、老朽した建物の修繕改装を行い、横浜税関資料展示室を併設させた。
 塔屋の付いた開港記念横浜会館をジャック、神奈川県庁舎をキング、この横浜税関をクイーンと呼び、横浜三塔と呼んでいる。
 

 (HP版 http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/yokohama-customshouse-public-office-building.htm
(関連記事:横浜税関倉庫 横浜正金銀行本店 安田銀行横浜支店

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Commemoration of opening a port Yokohama hall

2006-03-08 00:00:38 | STRUCTURE-構造物残影-

(開港記念横浜会館 横浜市中区本町 国指定重要文化財)
 横浜港開港50周年記念事業の一環として大正3年(1914)9月12日に着工、大正6年(1917)6月30日に竣工した、石、鉄筋コンクリート、煉瓦造3階建、越屋根、時計台塔屋付き1,537㎡の建物で、意匠は辰野金吾式フリー・クラシック様式を採用した公会堂である。
 大正12年(1923)9月1日、関東大震災により倒壊は免れたものの、内部は全焼してしまったが、その後1926~7年に震災復旧及び補強工事が行われた。終戦直後、米軍に接収され、在日兵站司令部調達部として使用されたが、昭和33年(1958)6月接収解除され、直ちに改装工事が行われた後、昭和35年(1960)2月に再び開館した。 昭和63年(1988)開港130周年、市制100周年を記念し竣工当時の外観を改めて再現する工事が実施された。

(クリックすると拡大します)
      
ステンドグラス: 二匹の鳳凰と横浜市の市章、駕籠に乗った旅人、渡し舟に乗った旅人、横浜を出航するポーハタン号が飾られている。
天井: 漆喰塗りの折上げ天井で、歯飾りや繰り形モールディング、浮彫り彫刻が施されている。

(HP版: http://www.d1.dion.ne.jp/~tenyou/structure/commemoration-of-opening-a-port-yokohama-hall.htm )
(関連記事:横浜税関本関庁舎 横浜税関倉庫横浜正金銀行本店 安田銀行横浜支店 旧逓信省横浜中央電話局 旧横浜商工奨励館 神奈川県庁本庁舎
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ビジネスホテル解体

2006-03-07 00:00:38 | 天祐語録

                                     (クリックすると拡大します)
 各地で耐震偽造された建物の解体、補強が行われつつある。
このホテルでも先月から解体作業が始まっているが、見て分かるように鉄筋や柱が細く、床板も薄い。
よくマンションは補償問題云々と取り沙汰されるのに、ホテルは何故自己負担させられるのか…という話しが出る。
然しそれは、建築主がホテルそのものであるから仕方がない。
マンションでいう販売主に当たるからだ。
短い工期、低予算で施工すれば、何かしらの簡略事項が発生する可能性が出てくる。
低予算で金儲けを…というところから発生しうるリスクだ。
高級ホテル、マンションではこのような問題が出てこないのも頷けるところである。

関連過去記事: 11/5 鉄筋コンクリート   11/18 儲けの極み   11/23 儲けの極みⅡ   12/9 金儲けは幻想  12/14 喚問の圧力    1/14 コスト削減と儲け唯一主義社会の今後

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有松

2006-03-06 06:00:05 | 街道・宿場町

(名古屋市緑区有松)
 東海道池鯉鮒鳴海宿の間の宿(あいのしゅく)として栄えた有松は、豪商の名残が感じられる町並みが続く。
 秋には、山車が繰り出す街道筋では、江戸初期から続く絞り生地を製造販売しているためか、他の街道宿場町でみられる家族連れ観光客とは違い、女性群を多く見かけた。
 

(地域関連記事:鷲津砦 鳴海駅仮線跡 鳴海城 丸根砦 大高城

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