(静岡県浜松市都田)
武田軍、織田徳川軍が戦った三方原の北方、今は浜松のテクノエリアとして開けた都田(みやこだ)地区。
その一角、都田川南方の台地、中津郷ヶ平には、前方後円墳の古墳が残る。
とはいえ、全長25m、高さ2.5m程の小さなものである。
この辺りには、8基の古墳が群集していた。
耕地造成や介護施設建設などで1基以外は滅失してしまったが、その際、人物埴輪が出土したという。それは 6世紀初め頃のものである。
辺りは、思いのほか緑が豊富で、鬱蒼とするところを多く見かけた。道路脇には、芋穴の痕跡が複数見られ、開墾によって開けた、この地の表情が窺える。
(写真中、土盛りは、道路と介護施設、民家に挟まれ唯一残された郷ヶ平4号前方後円墳)
武田軍、織田徳川軍が戦った三方原の北方、今は浜松のテクノエリアとして開けた都田(みやこだ)地区。
その一角、都田川南方の台地、中津郷ヶ平には、前方後円墳の古墳が残る。
とはいえ、全長25m、高さ2.5m程の小さなものである。
この辺りには、8基の古墳が群集していた。
耕地造成や介護施設建設などで1基以外は滅失してしまったが、その際、人物埴輪が出土したという。それは 6世紀初め頃のものである。
辺りは、思いのほか緑が豊富で、鬱蒼とするところを多く見かけた。道路脇には、芋穴の痕跡が複数見られ、開墾によって開けた、この地の表情が窺える。
(写真中、土盛りは、道路と介護施設、民家に挟まれ唯一残された郷ヶ平4号前方後円墳)



