(新城市豊栄)
往古大雨によって雁峯山(上穂山)に地滑りが起き、それによってできた山が臼子城山だという。
この辺りでは土砂崩れのことを、樹木をなぎ倒すことから「ナギ」と呼び、「臼子ナギ」という地名ができたといわれている。
臼子城はその山に、永正二年(1505)に築かれ、奥平氏臣佐宗(さそう)重之が居城した。その後佐宗勝宗のとき、奥平信秀は勝宗の養子になったという。
「三河二葉松」に「佐惣大膳、或ハ佐伯大膳ト書シモノモ有、白雪(俳人太田白雪)云、此古城ヲ見物ス、大手ヲ杵坂ト云、其傍ニ蓑石(城主が蓑を干した石)ト云モ有、後ニ此大手ノ処ニ、奥平休可(信秀)ト云兵法ノ師住ス」とある。また、佐宗勝重が居住した屋敷が臼子城下の円通寺に隣接する場所に存在したという。
臼子城内には櫓台と呼ばれる土塁と、郭に井戸が残る。
前回訪れた際(昭和53年11月22日)には辺りは畑で、山の斜面も杉桧の苗木が植えられたばかりという状態であったが、現在は全体に植林がされ成長し、暗い城跡となり、井戸も木々で埋もれていた。
時の移ろいを感じるが、ただ、見え難い「城跡標柱」だけは変わらない姿であった。
往古大雨によって雁峯山(上穂山)に地滑りが起き、それによってできた山が臼子城山だという。
この辺りでは土砂崩れのことを、樹木をなぎ倒すことから「ナギ」と呼び、「臼子ナギ」という地名ができたといわれている。
臼子城はその山に、永正二年(1505)に築かれ、奥平氏臣佐宗(さそう)重之が居城した。その後佐宗勝宗のとき、奥平信秀は勝宗の養子になったという。
「三河二葉松」に「佐惣大膳、或ハ佐伯大膳ト書シモノモ有、白雪(俳人太田白雪)云、此古城ヲ見物ス、大手ヲ杵坂ト云、其傍ニ蓑石(城主が蓑を干した石)ト云モ有、後ニ此大手ノ処ニ、奥平休可(信秀)ト云兵法ノ師住ス」とある。また、佐宗勝重が居住した屋敷が臼子城下の円通寺に隣接する場所に存在したという。
臼子城内には櫓台と呼ばれる土塁と、郭に井戸が残る。
前回訪れた際(昭和53年11月22日)には辺りは畑で、山の斜面も杉桧の苗木が植えられたばかりという状態であったが、現在は全体に植林がされ成長し、暗い城跡となり、井戸も木々で埋もれていた。
時の移ろいを感じるが、ただ、見え難い「城跡標柱」だけは変わらない姿であった。
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