flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

柳川古文書館

2009-03-16 00:00:03 | 学びのやかた

(九州歴史資料館分館 福岡県柳川市隅町)
 水濠の傍に建つ古文書館に立ち寄った。国指定重要文化財の「大友文書」「鷹尾神社大宮司家文書」「立花文書」「伝習館文庫」「柳河藩立花家文書」等の古文書を保管するために昭和60年(1985)に設けられた施設で、本館、研修棟合わせて2793㎡の規模がある。このときは、「古賀家のお雛様」と、柳川特有の風習である「さげもん」が館内に吊されていた。
 

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台場鼻潮流信号機

2009-03-15 00:00:02 | STRUCTURE-構造物残影-
(明治村 旧所在地:山口県下関市竹子島 2002年2月24日)
 一見すると鉄道の信号機のようにも見えるが、潮流の方向と速さを航行する船に知らせるため、明治42年(1909)に設けられた腕木式信号機である。
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水郷 柳川

2009-03-14 00:00:08 | 水のほとり

(福岡県柳川市)
 筑後平野を南下、柳川に向かった。水郷と呼ばれるだけあって、至るところに舟が行き交うことのできる深さの水路がみられる。また、この地は、三河岡崎の城郭の改修及び城下町を整備した田中吉政がこの地に移封し、周辺の新田開発や海岸堤防等を整備している。
   


(関連記事:柳川古文書館 柳川城堀水門 柳川あめんぼセンター 柳川市民会館 柳城公園 水の散歩道 柳川城弥兵衛門 柳川城 御花松濤園 北原白秋生家 吉田兼儔屋敷

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旧川崎銀行本店

2009-03-13 00:00:01 | STRUCTURE-構造物残影-
(明治村 旧所在地:東京都中央区日本橋 2002年2月24日)
 昭和2年(1927)に竣工した、SRC造、地下1階地上3階の銀行建物の外壁部分である。昭和61年(1986)改築による建物解体の際に、外壁の一部が移築された。
 私は、この構造物を目にしたとき、保存の処置はとられながらも、哀愁を感じずにはいられなかったことを覚えている。
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西国の都へ

2009-03-12 00:00:40 | 漂い紀行

 九州の都、福岡を訪れた。西南地方は、昨年の沖縄鹿児島長崎に続いて四回目である。先ず、南福岡駅に降り立ち、博多区雑餉隈(ざっしょのくま)界隈を歩いた。この辺りは、第二の中洲と呼ばれる商業地である。
   

(関連記事:中洲 櫛田神社

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旧内閣文庫本庁舎

2009-03-11 00:00:47 | 学びのやかた
(明治村 旧所在地:東京都千代田区千代田 2002年2月24日)
 明治44年(1911)大熊喜邦が設計した、建築面積302㎡,煉瓦及び石造二階建の内閣文庫事務棟である。昭和46年(1971)文庫は移転し、昭和59年(1984)書庫棟は解体されたが、事務棟は平成2年に現在地に移築された。
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長崎を後に

2009-03-10 00:00:38 | 漂い紀行
 つかの間の長崎紀行が終わった。今回は、当初予定の空路から陸路に変更したため、半日分ほど滞在時間が少なくなってしまったが、それでも異国情緒は味わうことができた。長崎もやはり、私の血筋に繋がる地でもある。次回はそれら場所への訪問と、観光名所ではない隠れたところへ訪れようと思っている。
  
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聖ザビエル天主堂

2009-03-09 00:00:57 | かみのやしろ
(明治村 旧所在地:京都市中京区河原町三条 2002年2月24日)
 イエズス会宣教師フランシスコ・ザビエルの布教を記念して、明治23年(1890)仏人神父ビリオンによって建てられた、建築面積585㎡,煉瓦造、木造併用のゴシック様式建築である。昭和48年(1973)現在地に移築復原されている。
   
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RODEN NAGASAKI

2009-03-08 00:00:18 | RODEN-哀愁のRailway-
(長崎電気軌道)
 長崎のまちに路面電車が走ったのは、大正4年(1915)病院下、築町間が最初である。現在は本線(6.9km)、赤迫支線(0.4km)、桜町支線(0.9km)、大浦支線(1.1km)、蛍茶屋支線(2.2km)の5路線11.5kmを有している。この日は、先ず長崎駅前から浜口町まで乗車し、長崎平和会館に向かった。
(長崎駅前 1200形)
(大浦海岸通 1300形)
(石橋 360形)
(大浦天主堂下 300形)
(出島 370形)
 
 このまちも、路面電車を残したことによって、情緒を残し、交通弱者と環境に優しいまちが維持できている。そして、まちの温かみも合わせて感じるのであった。
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工部省品川硝子製作所

2009-03-07 00:00:41 | STRUCTURE-構造物残影-
(明治村 旧所在地:東京都品川区北品川四丁目 2002年2月24日)
 明治9年(1876)明治政府は興業舎硝子製作所を買収して、工部省品川硝子製作所を設立した。その際に建てられたのが、この煉瓦造の工場である。明治18年(1885)には再び民間経営となったが、明治25年(1892)に解散している。その後、製薬会社である三共の所有となり、昭和36年(1961)旧工場解体の際、煉瓦造の工場の一部を明治村に移築復原した。跡地は区指定文化財となっている。
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旧長崎内外倶楽部

2009-03-06 00:00:35 | 木のたてもの
(長崎市出島町)
 明治36年(1903)英国人フレディックリンガーによって、外国人と日本人の交流の場として建てられた施設である。昭和48年(1973)、平成12年に復原工事されている。
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休止

2009-03-05 00:00:53 | kourei-ki-日記-

多忙となり複数のHP更新がままならなくなってきました。
当面の間、「ほのやまのふもとで」「TENYOU FLOW」「mixi」の更新は休まさせて頂きます。
ただし、当「flow Trip」は、従来通り、毎日更新を続けます。

(写真は通勤途上の光景)
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旧出島神学校

2009-03-04 00:00:28 | 学びのやかた

(長崎市出島町)
 明治11年(1878)に英国人モントンルによって設計された、二階建て二層塔屋付き、建物面積783�の現存する日本最古の神学校建築物である。明治19年(1886)神学校は閉鎖され、明治42年(1909)まで宣教師宿舎として使われた。その後は病院として使用され、保存修理後の平成10年からは史料館として一般開放されている。


(関連記事:出島

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岡崎城石垣

2009-03-03 00:00:02 | 城郭・城下町
(愛知県岡崎市康生町)
 近世城郭には、堅固な石垣がつきものである。この岡崎城も、石の産地だけに、規模に対して多用されている。然し、産業都市故に、歴史や観光に対する重点度が低く、市は財政を理由に押しも弱いために、城跡内に高層マンションが建ったことや、国指定級と言われた大林寺郭堀の保存及び史跡化ができなかったことなど、その程度を伺い知ることができる。
   
 
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出島

2009-03-02 00:00:19 | いにしえの人びと
(出島和蘭商館跡 長崎市出島町 国指定史跡)
 寛永十一年(1634)江戸幕府が鎖国政策のために築いた人工島である。面積は、三千九百二十四坪であり、扇形をしている。安政二年(1855)日蘭和親条約締結により、出島内でのオランダ商館の役割は終えた。明治に入り付近が埋め立てられ、往時とは様相が大きく異なっている。昭和21年(1946)から史跡指定地内の公有化が進められ、平成8年からは建物等の復元事業が開始された。
       

(関連記事:旧出島神学校
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