鹽竈神社社殿に隣接する志波彦神社は、志波彦神(シワヒコノカミ)を祀り、天智天皇三年(665)に官弊を初めて使ったとされ、このときに神社が存在したと推測される。平安時代の記録「延喜式神名帳」には名神大社とあり、もと宮城郡岩切村にあったが、明治7年(1874)鹽竈神社境内に遷座している。昭和9年から13年にかけて社殿を改築、昭和38年に市指定文化財となっている。

(しおがまじんじゃ 陸奥国一宮 宮城県塩竃市一森山 旧国幣中社 建造物:国指定重要文化財)
しるべ石から鹽竈神社最古の参道とされる七曲坂を上がり、社殿に到着する。北日本一番の参拝者数を誇る鹽竈神社は、創建時期は不明であるが、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)と経津主神(フツヌシノカミ)が陸奥国平定の折、道案内をした塩土老翁神(シオツチノオジ)がこの地で塩造りを始め、祭神として祀られたのが始まりと伝わり、平安時代初期の記録「弘仁式」に社名が見える。重要文化財に指定されている社殿は、仙台藩四代伊達綱村、五代吉村のとき造営されたものである。隣接して、明治7年に宮城郡岩切村から遷座した、旧名神大社の志波彦神社がある。(七曲坂)
(仙台藩主伊達周宗(ちかむね)寄進鐵合製燈籠)
(製塩釜)
(東参道)
(浄土宗金剛山矢田寺代受苦地蔵 京都市中京区寺町通三条上ル)
寺町通アーケードの商店街に並んでこの矢田寺はある。延暦十五年(796)に大和郡山の矢田山金剛山寺の別院として五条坊門(下京区)に創建され、天正七年(1579)に現在地に移されたという。
(関連記事:近江屋跡 旧第一銀行京都支店跡 旧京都郵便局 旧日本銀行京都出張所 姉小路 池田屋跡 佐久間象山大村益次郎遭難之地 武市瑞山寓居跡 錦天満宮鳥居 柳小路 油小路 本能寺跡 南蛮寺跡 木屋町二条 河原町御池)