(東京都中央区銀座)
大正10年(1921)漏電により焼失した木造の歌舞伎座は、大正13年(1924)SRC造五階建、建築面積3787㎡の建物として再建された。然し、昭和20年(1945)戦災により被害を受け、屋根と内部を失った。昭和25年(1950)被災した建物を修復し開場、以後60年に渡って使用されてきたが、国登録有形文化財に指定されながらも、老朽化、耐震性、バリアフリー等を理由に改築されることになった。地上29階、地下4階の高層ビルの低層部分を、現在の桃山様式風に外観を継承し、新歌舞伎座とする計画となっている。
大正10年(1921)漏電により焼失した木造の歌舞伎座は、大正13年(1924)SRC造五階建、建築面積3787㎡の建物として再建された。然し、昭和20年(1945)戦災により被害を受け、屋根と内部を失った。昭和25年(1950)被災した建物を修復し開場、以後60年に渡って使用されてきたが、国登録有形文化財に指定されながらも、老朽化、耐震性、バリアフリー等を理由に改築されることになった。地上29階、地下4階の高層ビルの低層部分を、現在の桃山様式風に外観を継承し、新歌舞伎座とする計画となっている。