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(東京都中央区日本橋) 慶長八年(1603)日本橋川に橋が架けられ、東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道の起点と定められた。現在でも国道起点となっている。江戸の大火によって幾度となく焼失し、現在の二連アーチの石橋は、二十代目で国指定重要文化財となっている。昭和38年(1963)に首都高が築造され景観が一変したが、高架を撤去し地下化するか否かで賛否両論となっている。 (関連記事:日本橋室町 板橋宿)
(福岡県太宰府市観世音寺) 天平宝字五年(761)観世音寺の境内(現在地)に創建した尼僧の道場である。その後、観世音寺と共に衰退していったが、寛文八年(1668)から、福岡藩主二代黒田忠之・三代光之が、家老鎌田昌勝、福岡簀子町の豪商天王寺屋浦了無(うらりょうむ)らに命じて伽藍が建てられた。本尊は廬舎那仏坐像(平安時代末期:国重文)及び脇侍仏の文殊菩薩・弥勒菩薩(江戸時代)で、その他、鐘楼(元禄十四年)、石塔(浦了無供養塔:貞享二年)、鑑真供養塔等がある。元禄十六年(1703)になると、福岡藩の藩命によって博多禅宗四ヶ寺の管理となり、観世音寺を離れ、臨済宗博多聖福寺の末寺となった。
(愛媛県伊予郡砥部町川井) 神亀五年(728)大三島より大山積神を勧請し、井川神社として創建したのが始まりとされる。仁和四年(888)と昌泰四年(901)には、菅原道真がこの地に訪れていると伝わる。その後、天慶五年(942)、道真と淳茂(道真五男)、北の御方(吉祥女:道真室)を祀り、天満神社と称したという。 入口には、日尾八幡神社(久米郡鷹子村:松山市久米)神官、三輪田米山(常貞)書の神名石(町指定文化財)がある。
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