flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

山陰へ

2010-12-17 00:00:03 | 漂い紀行
 この地域へは初めて訪れる。「米子鬼太郎空港」と愛称が名付けられた美保飛行場は、鳥取県と島根県境の弓ヶ浜半島にあり、近年滑走路の拡張が行われ、管制塔もある空港であるが、東海地方からは、日に夕刻着の一便しかない。
 長閑な光景を目にしながら、境港経由で松江に向かった。
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江戸 日本橋

2010-12-16 00:00:11 | 街道・宿場町

(東京都中央区日本橋)
 慶長八年(1603)日本橋川に橋が架けられ、東海道、日光街道、奥州街道、中山道、甲州街道の起点と定められた。現在でも国道起点となっている。江戸の大火によって幾度となく焼失し、現在の二連アーチの石橋は、二十代目で国指定重要文化財となっている。昭和38年(1963)に首都高が築造され景観が一変したが、高架を撤去し地下化するか否かで賛否両論となっている。
   

(関連記事:日本橋室町 板橋宿

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筑紫戒壇院

2010-12-15 00:00:48 | ほとけのいおり

(福岡県太宰府市観世音寺)
 天平宝字五年(761)観世音寺の境内(現在地)に創建した尼僧の道場である。その後、観世音寺と共に衰退していったが、寛文八年(1668)から、福岡藩主二代黒田忠之・三代光之が、家老鎌田昌勝、福岡簀子町の豪商天王寺屋浦了無(うらりょうむ)らに命じて伽藍が建てられた。本尊は廬舎那仏坐像(平安時代末期:国重文)及び脇侍仏の文殊菩薩・弥勒菩薩(江戸時代)で、その他、鐘楼(元禄十四年)、石塔(浦了無供養塔:貞享二年)、鑑真供養塔等がある。元禄十六年(1703)になると、福岡藩の藩命によって博多禅宗四ヶ寺の管理となり、観世音寺を離れ、臨済宗博多聖福寺の末寺となった。

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道後 平成二十二年

2010-12-14 00:00:22 | 漂い紀行
(愛媛県松山市道後)
 凡そ三年振りに訪れる。いつ来てもあまり変わらないということは、この地としては良いことだ。
 

(関連記事:道後平成十七年
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松原用水 大和

2010-12-13 00:00:52 | 水のほとり
(愛知県豊川市豊津町・橋尾町)
 元禄四年(1691)それまでの橋尾用水(松原用水の前身)豊川橋尾井堰(豊川市橋尾町)が洪水によって流失し、翌年草ヶ部井堰(豊川市豊津町)が完成して以降、この地には、豊川右岸の田園を潤す流れが続いている。また、この地には上水道管が横切っている。昭和17年(1942)豊川海軍工廠に水道を供給するために豊川右岸に大和水源地を設け、配水池に送る水道管が通っているのである。我が家もこの水道の供給を受けている。平成に入り、付近は圃場整備によって区画が改められ、橋尾天神社の傍に架かる天神橋もそれまでの県道橋ではなくなり、持て余しているように大きな橋幅を今に残している。


(関連記事:松原用水宮前橋
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金城大樋川

2010-12-12 00:00:15 | 水のほとり
(ふぃじゃー ふぃがー 沖縄県那覇市首里金城町)
真珠道金城の石畳)の程近くにある琉球王府時代からの清水である。石畳と同様に、石でしっかりと整備されている。
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市ヶ谷水管橋

2010-12-11 00:00:17 | STRUCTURE-構造物残影-
(東京都千代田区五番町・新宿区市谷田町)
 中央線市ヶ谷駅の上には、千代田区から新宿区に向けて江戸城外濠を跨ぐように架けられている鉄橋がある。これは、昭和4年(1929)に横川橋梁製作所が製造した鋼桁水管橋である。
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観世音寺

2010-12-10 00:00:42 | ほとけのいおり
(天台宗清水山観世音寺 福岡県太宰府市観世音寺)
 白鳳元年(661)斉明天皇が崩御し、その追善のために、子天智天皇が発願したのが観世音寺の始まりという。寺院が完成したのは、天平十八年(746)とされる。発掘調査により、東西93m,南北78mの回廊で囲まれ、金堂の正面が横を向いていることが分かった。その伽藍形式と瓦の形式等が飛鳥川原寺と共通している。また、律令時代の北の拠点であった多賀城及び同附属観音寺(多賀城廃寺)と同様に、西の拠点である太宰府の、国家鎮護の祈願寺院でもあっただろうと想像できる。平安時代以降次第に衰退し、現在残る講堂と金堂(県指定文化財)は、福岡藩主二代黒田忠之・三代光之が、家老鎌田昌勝、福岡簀子町の豪商天王寺屋浦了無(うらりょうむ)らに命じて建てられたものである。
(北側回廊跡) (講堂)(金堂)
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宮内天満宮

2010-12-09 00:00:45 | かみのやしろ

(愛媛県伊予郡砥部町川井)
 神亀五年(728)大三島より大山積神を勧請し、井川神社として創建したのが始まりとされる。仁和四年(888)と昌泰四年(901)には、菅原道真がこの地に訪れていると伝わる。その後、天慶五年(942)、道真と淳茂(道真五男)、北の御方(吉祥女:道真室)を祀り、天満神社と称したという。
 
 入口には、日尾八幡神社(久米郡鷹子村:松山市久米)神官、三輪田米山(常貞)書の神名石(町指定文化財)がある。

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晩秋の岡崎

2010-12-08 00:00:25 | 漂い紀行
 半年振りに訪れる。前勤務地は相変わらずの雰囲気であった。
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内金城御嶽

2010-12-07 00:00:17 | かみのやしろ
(うちかなぐすくうたき 沖縄県那覇市首里金城町)
 首里城東側、真珠道の近くに、アカギの木に覆われてこの御嶽(うたき:聖域)はある。「琉球国由来記」には、村人がこの辺りを通行する際に、霊気に打たれるので、ここに御嶽を置いたと伝わる。
 
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曙橋通り

2010-12-06 00:00:44 | 漂い紀行
(東京都新宿区住吉町)
 私の出張場所に程近いこの辺り。
 新宿界隈ではここだけという、昔ながらの商店街である曙橋通り。夕刻のこの通りは思いのほか賑わっていて、生活感が漂っている。かつては旧フジテレビが近くにあり、日中も賑わっていたようだ。
(念仏坂)  
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旭地蔵尊

2010-12-05 00:00:25 | ほとけのいおり
(福岡県太宰府市五条)
 『筑前国風土記』に、「この地谷間にありていと閑寂なる境区なり 堪慧の墓は横岳に行く道の傍にあり此所入定の地なる故に石塔を立てしそのしるしとする」とある。横岳崇福寺を創建した僧堪慧(たんね)は、とある神事から疫病を引き起こす鬼に仕立て上げられた。そして堪慧は、この地に自ら横穴を掘り、読経を続けた末、即身仏となったと伝えられている。現在の旭地蔵尊は、堪慧の墓所に祀られたものという。
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砥部川

2010-12-04 00:00:46 | 水のほとり
(とべがわ 重信川水系 愛媛県伊予郡砥部町)
 町内川登の上尾峠より発し、御坂川に合流する全長16.8kmの一級河川である。中流には天然記念物、衝上断層がある。
   
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漫ろ岐阜2010秋

2010-12-03 00:00:06 | 漂い紀行
 寂しさを感じるのは、私だけであろうか。
  
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