flow Trip -archive-

「漂い紀行 振り返り版」…私の過去の踏査ノートから… 言い伝えに秘められた歴史を訪ねて

越中国府

2012-09-15 00:00:56 | 城郭・城下町

(富山県高岡市伏木古国府)
 伏木の台地は律令時代に国府が置かれていた地である。国庁が置かれていたとされる地点はその後、神保氏の城郭、古国府城(如意城)となり、天正十二年(1582)からは勝興寺がこの地に移転した。また、伏木特別地域気象観測所となっているところには国司館があったとされる。 天平十八年(748)大伴家持が国司となった際には、国府の台地からの光景を歌として詠んでいる。

我が背子が 古き垣内の 桜花 いまだ含めり 一目見に来ね
雪の上に 照れる月夜に 梅の花 折りて送らむ はしき子もがも
春の園 紅にほふ 桃の花 下照る道に 出で立つ娘子
吾が園の 李の花か 庭に散る はだれのいまだ 残りたるかも
春まけて もの悲しきに さ夜更けて 羽振き鳴く鴫 誰が田にか住む
もののふの 八十娘子らが 汲み乱ふ 寺井の上の 堅香子の花
夜ぐたちに 寝覚めて居れば 川瀬尋め 心もしのに 鳴く千鳥かも
あしひきの 八つ峰の雉 鳴き響む 朝明の霞 見れば悲しも
朝床に 聞けば遥けし 射水川 朝漕ぎしつつ 唄ふ舟人

(勝興寺を取り巻く堀と土塁)(国司館跡)
  

(関連記事:越中国分寺

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旧函館ロシア領事館

2012-09-14 00:00:29 | 木のたてもの

(北海道函館市船見町 函館市景観形成指定建造物)
 明治41年(1908)ドイツ人建築家リヒャルト・ゼールによって築造された、木骨煉瓦造二階建、延床面積682㎡の領事館である。昭和27年(1952)からは日本の外務省の管理となり、昭和40年からは市立道南青年の家として利用されたが、平成8年を最後に閉鎖されている。
      

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瓜郷遺跡

2012-09-13 00:00:26 | いにしえの人びと

(愛知県豊橋市瓜郷町寄道 国指定史跡 1983年踏査)

 豊川(とよがわ)河口付近の砂州上に形成された、弥生時代中期から古墳時代にかけての遺跡である。昭和22年から27年にかけて発掘調査が行われ、農耕具や貝殻等が検出されて豊かな生活であったことが分かった。訪れたこのときは、再現された竪穴式住居の屋根葺き替えが行われていた。

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The fourth Sapporo

2012-09-12 00:00:28 | 漂い紀行


 支笏湖から約2年振りの札幌に入る。変わらぬ時計台やテレビ塔を見るとホッとする感じがした。

 

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伊予国府津推定地

2012-09-11 00:00:35 | 海道・みなと

(愛媛県今治市喜多村・衣干・富田新港・東鳥生町)
 「国府津」とは、律令時代における国府の水運拠点を意味する。瀬戸内海燧灘に面する銅川(あかがねがわ)、竜登川の河口は、伊予国府時代の湊であったのではないかという説がある。


(関連記事:椿森神社

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衣川古戦場 東物見台

2012-09-10 00:00:49 | 城郭・城下町

(奥州合戦 岩手県奥州市衣川区・西磐井郡平泉町平泉)
 文治五年(1189)北上川と衣川が合流する地、衣川館付近で繰り広げられた、源頼朝に従った藤原泰衡によって源義経が最期を迎えた戦いである。東物見台は中尊寺に設けられた。
 

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二条駅前

2012-09-09 00:00:43 | 漂い紀行

(京都市中京区)
 高架地上駅化された山陰線二条駅から見た光景。

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越中国分寺

2012-09-08 00:00:18 | ほとけのいおり

(富山県高岡市伏木一宮 県指定史跡)
 天平十三年(741)聖武天皇の詔(みことのり)によって、日本全国に国分寺が造営され、越中国分寺もその一つである。昭和11年、41年、61年、平成元年に発掘調査が行なわれ、布目瓦が検出されている。金堂あるいは講堂とみられる基壇跡には薬師堂が建ち、堂内には平安時代初期の神将像が安置されている。

  

(関連記事:越中国府

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河野政通墓所

2012-09-07 00:00:09 | 孝霊天皇流族関係記事

(北海道函館市船見町)
 享禄三年(1454)津軽の安東政季(まさすえ)、相原政胤(まさたね)、武田信広、茂別家政と共に、河野政通は蝦夷地宇須岸に渡来し、を構えた。アイヌ勢に何度となく攻められ、永正九年(1512)の攻撃で陥落し、政通の子季通(すえみち)と娘を逃がして政通は自害した。政通の孫娘は蠣崎季広の妻となり、二人の間の子は松前藩初代の松前慶広である。宝暦三年(1753)時の亀田奉行は、政通の供養碑を旧称名寺(市内弥生町)の境内に建立した。
   

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河原田遺跡

2012-09-06 00:00:51 | いにしえびとの睡

(愛知県宝飯郡御津町上佐脇字西 町指定史跡 1983年再踏)
 昭和7年(1932)土取りの際に発見された、縄文時代晩期末(三河編年水神平式)から弥生時代後期にかけての遺跡である。昭和40年(1965)の発掘調査によって、甕棺、壺棺が検出され、埋葬の場であることが分かった。

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支笏湖

2012-09-05 00:00:00 | 水のほとり

(しこつこ 北海道千歳市 支笏洞爺国立公園)
 支笏湖は周囲約40km,最大水深363mのカルデラ湖である。アイヌ語で シ(大きな)・コッ(凹み)・トー(湖)を意味し、溢れ出た水は千歳川・石狩川となって道央、石狩平野を潤している。因みに「シコツ」は「死骨」を想像させるために、地名としては「千歳」に改められた。
(恵庭岳1320m)         
(樽前岳1041m・風不死岳1103m)

 次第に風が強く、波が高くなってきた。

 

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父の思い出を辿る

2012-09-04 00:00:40 | 漂い紀行

 亡き父の生まれ故郷、父が語っていた愛媛今治での思い出。
 吹揚蒼社川東禅寺鴨部さんなど、場所は尽きないが、今回は家の跡と祇園さんを辿った。
(父の生家 蔵敷の家跡)
  
(旭町四丁目から松本町四丁目にかけてあった本宅跡)

(本宅の前にあった旧市営バス旭町バス停)
(旭町五丁目の家跡)
 
(家の近くにあった旧興業舎(現ハリソン電機)跡)

  (祇園神社)

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中尊寺

2012-09-03 00:00:15 | ほとけのいおり

(岩手県西磐井郡平泉町平泉字衣関 世界文化遺産 国宝 国指定特別史跡)
 嘉祥三年(850)毛越寺と同じく僧円仁によって、「関山弘台寿院」として開創したとされる。長治二年(1105)に藤原清衡(きよひら)によって寺院は大きく拡大し、天治元年(1124)自らの廟として金色堂を建立、奥州藤原氏の栄華を伝えている。
 (弁慶堂 文政九年)                (重文 金色堂旧覆堂 室町中期)
   (天然記念物モミの木)            
(重文 鎮守白山神社能舞台 嘉永六年仙台藩再建)

   (西行歌碑)

(関連記事:衣川古戦場

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妙心寺

2012-09-02 00:00:14 | ほとけのいおり

(臨済宗正法山妙心寺 京都市右京区花園妙心寺町)
 建武四年(1337)花園法皇(第九十五代花園天皇)の花園御所を妙心寺として改めたのが始まりである。応仁の乱(1467-77)の際に焼失するが、雪江宗深及び細川勝元により復興していった。臨済宗の中で最も多く末寺を持ち、浸透している一派である。
   
  (霊雲院) (重文 仏殿 文政十年)
    (重文 経蔵 寛文十三年) (重文 法堂 明暦二年)(花園天皇離宮跡玉鳳院)  
 

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氷見線

2012-09-01 00:00:40 | RODEN-哀愁のRailway-

(富山県高岡市・氷見市)
 北陸線高岡から港町氷見を結ぶ全長16.5kmの地方交通線である。明治33年(1900)中越鉄道として高岡-伏木間が開業したのが始まりであり、かつては七尾線羽咋駅まで延伸する計画があったが、現在は廃止計画が持ち上がる程の赤字路線となっている。
また、藤子不二雄両者の出身がそれぞれ高岡・氷見であることから、キハ40形列車にラッピングを施した「忍者ハットリくん列車」が運転されている。
    

(関連記事:越中国分寺

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